オリジナル。登山、微百合、日常のぐだぐだ。
細々と進めてまいりますー。
MHF、メラギナス実装されましたね。
理不尽な超広範囲一撃必殺技のない、かといって適度に派手でこじんまりもしていない、マイルドなモンスターだと思います。初見でも普通に戦える。可愛い(断言
擬人化したらエルフ耳金髪褐色肌の(ry
小学校の成績は悲惨も悲惨、暗澹たるものだった。主要四教科どころか、実技の学科さえ平均を遥かに下回っており、身体能力で言えば体育で稼げそうなものを、チーム・プレイがどうしようもないせいでやはり救いようがなかった。普通の親であれば嘆き、あるいは怒り、子供を通じて自身の無力さを思い知らされる数値だっただろう。が、通知表を見ても、文太は空を叱ることはなかった。
「こういうもののなあ……」と文太は言った。「空虚さというか、どうでもよさというか、カラクリを知ってるのも教師って職業だ。苦手分野ってのは誰にでもあるよな。まあ、おれはそんなに気にしないから、おまえもそんなに気にするな。焦ることはないよ」
焦ってなどいなかったが、そう言われたことで逆になんだか悪い気がした。「バカでごめんよ」
「おまえが頭の悪い子じゃないってのは見てりゃわかる。むしろ聡明な感じはするんだがな。空は学校の成績をなんとかしたいって思うか?」
「ううん……?」
「おまえがそうしたいってんなら、おれが教えてやることもできるし、そうだな、火野に教わってもいいんじゃないか?」
部屋の窓際でぼんやり外を眺めていた愛莉が途端に厭な顔をした。「先生。私そういうのヤだかんね」
「そんなこと言うなって。火野はちょっと自分の勉強をないがしろにしたって、問題ないくらいの成績だろ?」
「内申くれるんなら考えてもいいよ」
「そりゃできん話だがな……」
空は首を振った。「ほんとうに困ったら相談するよ。でも、いまはいい」
実際、こんなことよりもずっとやりたいことは山ほどあった。学ばなければならない技術も。そちらのほうは文太に相談するわけにもいかないので、彼の所有している技術書を片っ端から読み干し、実践するしかないところだった。
空がなにをしたいか知っている愛莉は、空を見下ろし、意味深な表情を浮かべた。いかにもあんたの弱味は私が握っているとでもいうように。空も彼女を見返し、文太が自分から眼を離した隙を見計らって唇のまえで人差し指を立ててみせた。
キッチンで洗い物をしている文太の背に、愛莉は身を寄せた。そうして背伸びをし、彼の耳許に唇を寄せて言う。「ねえ、先生? 私の気持ち知ってるでしょ?」
「ああ、知ってる」と文太は彼女を見ずに言う。「そういう風に装っておれをどうしたいかも知ってる。おれひとりだったらおまえの意図に乗ってやってもよかった。子供はなんでも経験しておくものだからな。けど、悪いな。空がいるから、まだ路頭に迷うわけにはいかないんだ。空が自分ひとりで生きていけるようになったら考えてやってもいい」
愛莉はつまらなそうに身を離した。「なんでもお見通しって視線がむかつく」
「おまえが中学でなにをしでかしたかってことだけはお見通しだ。子供の無邪気な邪悪さってことで決着はついてるが、おれは世間より多少子供のことは知ってるつもりだよ。それに、おまえを見てりゃそういうことはわかる」
「先生はさ!……」
「おまえのために堕ちた悪人を演じてやってもいい。跡形もなく破滅してやってもいい。世間のみんながなにをどう断定して、おれって人間を貶めようが、山は悪人でさえ受け入れてくれるんだから。こんなおれでさえ。社会的に死ぬことはそんなに怖くないんだよ。ただ子供を社会的に殺すのはこれ以上ないってくらい怖いことだが」
文太は蛇口を捻った。水が溢れ出し、洗剤を跡形もなく落としていく。
愛莉は毒蛾のように身を翻し、冷蔵庫を蹴飛ばした。率直ないらだちが篭められた動作だった。それを見せつけるような動作だった。またあえてそうすることで、自分のかたちを表現しようとするような動作だった。
「問題児を退学させたことを自慢げに話す教師がいる」と愛莉は言った。「いかにも、おれは子供に甘い他の教師とは違うんだぞ、って言う風に。高校生だからって容赦はしない、クラスの秩序を保つことができる、おれは仕事ができる教師なんだって言う風に。けど、それってなに?」
「ああ。おれもあの先生は苦手だな。ちょくちょく言われるよ、櫛灘先生は子供に甘すぎるとかなんとか。なによりも教師に必要な、厳しさが足りないとか。生徒に舐められちゃいかんとか。でも、生徒が退学したってのは教師側の敗北だと思うよ。哀しいことだ」
「あいつなんとかしてよ。先生の同僚でしょ」
「なるべく話すようにはしてる。でも、難しいんだ。価値観の違いでひとくくりにされてしまう。結局みんな、それが世のためひとのためと思ってやってるんだから。彼みたいな教師を必要としている職員方も多いんだ」文太は溜息をつく。「おれひとりでなにもかもできるわけじゃない。けど生徒のことを考えると、おれがなんとかしないとって思う。ほんとうに難しいところだ」
「山なんか登ってる場合じゃないよ」
「それはそれ。これはこれ」
「男ってどうして頭とちんぽを一緒にできないわけ?」
「こら」言いながら、文太は少し笑った。
布巾で食器の水気を取る文太の背に、愛莉は額を押しつけた。「私がここによくくること、どう言われてるか知ってる? 先生」
「おれは難聴じゃないよ、火野」
「よく言う」
「おまえの目論見はきちんと成功してるよ。半分な。学校じゃ、おれは針の筵だ」
「だったらどうして追い返さないの」
「教師、だからな。一応な。おれが教師になったのは、山をやるのに都合がよかったからってだけだが、それでも何年もやってりゃ自覚くらいつく。子供は」あらゆる想いを篭めて次のことばを言う。「難しいよな」
愛莉が文太になにをしたいのか空は知っていた。というより、なんとなく想像をすることはできた。
(あたしの対象年齢じゃねえな)
そんな風に思い、部屋にふたりを置き去りにして、空は里山に向けて自転車を走らせていた。
父を奪うとか奪われるとか、そういうことにあまり空の関心はなかった。それは親父が決めればいいと思う。他人に比べて、奇妙な親子関係だということはわかっていた。どうしてあたしに母親がいないのか。詳しい事情はわからなくても、空は父親のことを愛していた。そこに愛莉が割って入ろうというのなら、それは勝手にすればいい、と考えていた。それでなにもかも滅茶苦茶になるなら、むしろさっさと滅茶苦茶になったほうが健全だとも考えていた。
別に愛莉のことは嫌いではない。
複雑に見えて単純極まりない感情がある。
今日は、いままで行ってない場所に行くつもりだった。そのことのほうに気を取られている。まだ朝早く、休日で道路に車も少ない。山裾のほうに立ち漕ぎで突っ走り、崩れた神社の鳥居の下に自転車を放置し、そこであらかじめ見つけてあった獣道に侵入する。
目印はない。辛うじて踏み跡があるだけの、雑木林の坂。沢筋に入ると、視界が少し良くなる。デイパックを背負いなおしてほとんど走るように歩いた。
「親父はずるいよな。こういうとこ、行こうと思えば思うだけでどこにでも行けるんだから」
そんなことを呟く。
自転車では行動半径が狭すぎることへの愚痴だった。空の年齢で電車代やバス代は高すぎる。
白い、ごろごろした岩の続く、剥き出しの沢筋だった。水量は少なく、渡渉するにしても飛び石伝いに横切れそうだ。樹木の枝葉で視界はよくないが、これがどこへ続いているのか想像するだけでわくわくする。今日は、頂上まで行ってみるつもりだった。行けたらの話だが。
空がその女を見つけたのはそういう日だった。
そのせいで、結局、頂上へは到達できなかったのだ。彼女がそれ以上に面白そうなことをやっていたせいで。渡渉し、反対側の岸に達すると、そこはちょっとした広場状になっており、二、三メートル台の岩がぽつりぽつりとそこらじゅうに目立つ、異様な場所だった。彼女はその岩のうちのひとつの傍にいた。岩の下に分厚いマットを敷いて。
(……あ? こんなところにひとがいる。なにしてんだろ?)
川岸で立ち止まり、空はしげしげとその光景を見つめた。
背の高い、ぼさぼさの髪をポニー・テールのかたちに結んだ、若い女だった。少女と女の境目にあるような見かけだった。見ていると、岩と向き合い、自分の下唇をつまんだりして、真剣な眼を岩に走らせている。指先は粉で白い。
はっとする。(ボルダリング……!)
ロッククライミングの一形態。ザイルを必要としない高さの数手、その課題を登る短い登攀。しかし、こんなところで?
見渡せば、うってつけの場所のように思われた。沢筋で地面は安定しており、手頃な岩がごろごろしている。知らなかった、こんなところにあったんだ、と驚く。城址の石垣でなく、こんなに近くに……
女が登り始める。
やっぱりクライマーだ。父親や、そのザイルパートナーである篠原以外では初めて眼にする。しかも、まだ二十にもなってないような、女性クライマーとは!
しばらく見つめていたが、空の眼にも、女の腕が確かなものだとわかる。登り方に迷いがない。滑らかで優しく、冷静さと落ち着きがあり、しかも確実だ。一手一手が丁寧で力強い。これはこれは、と空は思った。運がいいぞ。こんな近くで本物のクライマーのクライミングを見ることができるなんて! 昂る想いを胸に押し込んで、そっと近づいていく。
さすがに、気づかれている。女がボルダーマットに降り立ち、視線を巡らせて空を見、にこりと邪気なく笑う。空はかっと頬が熱くなるのを感じた。
「こんにちはっ」と女が言う。
「……ど、ども」
「地元の子かな? ここはまだ開拓されてないエリアだから、誰かと会うなんて思いもしなかった! もしかして君の遊び場だった?」
「いや、あたしもここくるの初めて」口早に言って、「ねえ、あんたがやってるのってボルダリングだろ? クライマーだよね?」
「ん?」その幼い少女がボルダリングということばを知っているのに驚いたようだった。「いかにもいかにも。そのとーり。君はあれかな? こんなところまでひとりできちゃうってことは、もしかすると、山の子だったりするのかな?」
「いや、まだそーいうんじゃないよ。です。でもその、興味があるんです。やりたいなとは思ってるし、考えてる。あの、もしよかったら」ごくりと喉を鳴らして、「ちょっとだけでいいから、触らせてもらってもいい? 石垣しか登ったことなくて――」
唐突に現れてそんなことを言う少女に、女がどう思ったのか。しかし、女はまったく戸惑う様子を見せず、むしろ歓迎するかのように笑みを深めて言う。
「大歓迎! あたしもひとりでやってて寂しかったとこ! いいよ、おいで?」
空は頬を赤らめ、不器用な微笑みを返して、近づいていった。
女は握手を求めて腕を差し出す。「初めまして、よろしく。あたしは美奈子。芹沢美奈子」
「あ……櫛灘空、です」
「空ちゃんか。いい名前だね! っしゃ、やろ? 陽が暮れるまでたくさん時間はあるよ!」
その出会いは僥倖だった。空にはそのことがはっきりとわかった。胸の高鳴りを抑えきれず、空はぶつけるような声を上げた。「はい!」
空のクライミング技術の基礎は美奈子に叩き込まれたものだった。それは時を経て、現在時制の彼女のなかにも息づいている。独学で習得困難なものを、美奈子の動きから盗んだのだ。いまほど、ネットで映像を拾うのが容易でなかった時代。DVDもブルーレイも存在しなかった時代。
空と美奈子はすぐに意気投合した。空の心には山への幼い情熱が煮え滾っており、美奈子にはそれを実行するだけの逞しい行動力があった。ふたりはクライマーだった。それ以外にどんな理由が必要だったというのだろう?
幼少の思い出がどれほど大切で、光り輝いているものなのか。ただ麓から山を見上げるという行為にさえ、光芒があった。夜の闇のなかでさえ、ヘッドライトのささやかな照明を頼りに登ったものだ。ボルダリングだけでなく、美奈子に連れられてルート・クライミングさえやった。
美奈子のクライミングはまさに模範的なムーヴで、魔法のようなところはどこにもなく、実力さえあれば誰にでも実行可能な動き方をしていた。着実であり、堅実であり、確実であった。空はそれを学ぶというよりは吸収した。そうして、次々と自分のムーヴにフィードバックしていった。
空のクライミングは、ほとんど魔法のように進化していった。届かないはずのホールドを掴み、支えられるはずのない重心を保った。バランス感覚が異常だったのだ。空にだからできるムーヴであり、空以外にはできないムーヴをしばしば実行した。美奈子はそんな彼女の稀有な才に驚きながらも、面白がり、学べるものはどんどん学ばせていった。空はまったく飽きることを知らない少女だった。
その日は朝から小雨で、クライミングには不適なコンディションだった。濡れた岩はクライミングシューズからスメアリングを奪い、チョークの炭酸マグネシウムの粉を洗い流す。それでも、ふたりは限界が訪れるまでボルダリングをした。山においては悪天候は常に存在する。ふたりはボルダリングというより、きたるべきロング・ルートの予行練習をしていた。
限界がきて、山裾に下りると、夕暮れ時だった。上天は黒い雲に覆われていたが、西の空は夕陽の茜色が波のように刻んでおり、雨天にもかかわらず明るかった。ふたりはびしょ濡れだった。そこで、愛莉がやってきたのだった。
「先生が留守だからあんたを迎えにきたんだけど」と傘を差す愛莉は言った。空の隣にいる美奈子を鋭く見つめて、「誰そいつ」
空は困ったように愛莉を見、美奈子を見た。しかし、愛莉の無愛想な態度にもかかわらず、美奈子はいつもどおりにっこりと笑った。
「こんにちは。芹沢美奈子といいます。空ちゃんと――」そこで言い淀んだ。空を見て尋ねるように首を傾げた。空は彼女の袖を引き、頷いてみせた。「クライミング、やってたところです。どもども。で、あなたは?」
愛莉の態度は頑なな石のそれだった。空は肩を落とし、彼女の代わりに言う。「美奈子さん、このひとは火野愛莉。親父の教え子。なんか知らんけどよくウチにくる」
「ううん?」
愛莉は顎をしゃくった。「行くよ、空。あんたがどこ行ったって私の知ったことじゃないけど、先生に叱られるのは私なんだから。ああもう、そんなびしょ濡れになって。少しは家で大人しくしてるってこと、できないの?」
「別に親父はあんたを責めたりしないだろ。あたしがやりたくてやってることなんだから、なにか言われるとしたらあたしのほうだ。親父はもう帰ってきてんの?」
「……ふん」
実際、愛莉にはなんの義務もなかった。文太に対するポイント稼ぎ程度の意味合いしかなかった。しかし、空がこの見知らぬ女と仲良くしていることに妙な苛立ちがあった。気に食わないのだ。
愛莉は美奈子を見ようともしなかった。しかし、美奈子はその程度で気を悪くするような女でもなかった。ただにこにこと笑い続けていた。空は少しほっとしたような気分になった。
「もうとっくに帰ってきて、あんたを待ってるんだよ」と愛莉は言う。「あの篠原とかいう男と一緒にさ……おかげで、私とろくに話しちゃくれない。酒盛りまでして、なにが教師だ。ほんっと、気に食わないったらありゃしない……」
「ああ、篠原のやつも一緒なんだ? じゃあ、急いで帰るよ。美奈子さん、今日はありがとうございました。また今度」
美奈子はにこやかに手を振った。「うん、じゃあね、空ちゃん。あたしも楽しかったよ」
それで美奈子と別れた。
帰路、並んで歩きながら、空は隣から直に不機嫌な空気を感じた。とはいえやはり、その程度で気後れする空でもなかった。ややあって、愛莉は不意に立ち止まって苦い声音で言った。
「なにあの女?」
「なにって」空は首を傾げた。「そのまんま、クライマーのひとだけど。このまえ会ったんだ。それでなんだかんだ気が合って、教えてもらってる」
「クライマー」愛莉はますます苦々しげに呟く。
「そう、親父とおんなじ人種の。あたしにゃそれしか言えないけど。あたしもまだあんまり美奈子さんのこと知らねーし」
愛莉は唇を歪めた。「先生とおんなじ人種?」半ば、表情に憎悪が入り混じっていた。「そういう言い方やめてくれる? 人種なんか、私もあんたもおんなじ日本人じゃない。自分たちだけが特別みたいな言い方して!……」
「ええ……そう聞こえた? 別に、クライマーが特別なんて考えもしてないけど」
「そう考えてるんでしょ? 他の、私たちみたいな普通の人間をどっかで見下してさ」
「あたしらを見下してるのはあんたのほうだろ?」空のことばにあくまで邪気はない。「あんたは、親父とおんなじ世界にいることができないって、勝手に諦めてるからそんなことを思ってる。自分と親父が違うってハナから決めつけてかかってる。でも、それってなんか変だよ。山にとっちゃクライマーもそうでない人間も全然おんなじ、ただの人間でしかないんだから」
愛莉はことばを詰まらせた。
「山は山だよ。クライマーのものじゃないし、他の人間のものでもない。地主さんのものではあるけど、それだって百年後には変わっちまってる。あたしにゃ、親父もあんたも美奈子さんもおんなじにしか思えないけど、そんなに気に食わない? わかってないなら言っておくけど、あんたがどれだけあたしのこと嫌ってたって、あたしはそうじゃないよ」
愛莉はまるで変わらない表情のまま空を見下ろしていた。
あたしのことばなんかちっとも聞いちゃいない、と空は思った。
ふいと顔を背けて、愛莉はまた歩き出した。空はその背を小走りに追わなければならなかった。
細々と進めてまいりますー。
MHF、メラギナス実装されましたね。
理不尽な超広範囲一撃必殺技のない、かといって適度に派手でこじんまりもしていない、マイルドなモンスターだと思います。初見でも普通に戦える。可愛い(断言
擬人化したらエルフ耳金髪褐色肌の(ry
小学校の成績は悲惨も悲惨、暗澹たるものだった。主要四教科どころか、実技の学科さえ平均を遥かに下回っており、身体能力で言えば体育で稼げそうなものを、チーム・プレイがどうしようもないせいでやはり救いようがなかった。普通の親であれば嘆き、あるいは怒り、子供を通じて自身の無力さを思い知らされる数値だっただろう。が、通知表を見ても、文太は空を叱ることはなかった。
「こういうもののなあ……」と文太は言った。「空虚さというか、どうでもよさというか、カラクリを知ってるのも教師って職業だ。苦手分野ってのは誰にでもあるよな。まあ、おれはそんなに気にしないから、おまえもそんなに気にするな。焦ることはないよ」
焦ってなどいなかったが、そう言われたことで逆になんだか悪い気がした。「バカでごめんよ」
「おまえが頭の悪い子じゃないってのは見てりゃわかる。むしろ聡明な感じはするんだがな。空は学校の成績をなんとかしたいって思うか?」
「ううん……?」
「おまえがそうしたいってんなら、おれが教えてやることもできるし、そうだな、火野に教わってもいいんじゃないか?」
部屋の窓際でぼんやり外を眺めていた愛莉が途端に厭な顔をした。「先生。私そういうのヤだかんね」
「そんなこと言うなって。火野はちょっと自分の勉強をないがしろにしたって、問題ないくらいの成績だろ?」
「内申くれるんなら考えてもいいよ」
「そりゃできん話だがな……」
空は首を振った。「ほんとうに困ったら相談するよ。でも、いまはいい」
実際、こんなことよりもずっとやりたいことは山ほどあった。学ばなければならない技術も。そちらのほうは文太に相談するわけにもいかないので、彼の所有している技術書を片っ端から読み干し、実践するしかないところだった。
空がなにをしたいか知っている愛莉は、空を見下ろし、意味深な表情を浮かべた。いかにもあんたの弱味は私が握っているとでもいうように。空も彼女を見返し、文太が自分から眼を離した隙を見計らって唇のまえで人差し指を立ててみせた。
キッチンで洗い物をしている文太の背に、愛莉は身を寄せた。そうして背伸びをし、彼の耳許に唇を寄せて言う。「ねえ、先生? 私の気持ち知ってるでしょ?」
「ああ、知ってる」と文太は彼女を見ずに言う。「そういう風に装っておれをどうしたいかも知ってる。おれひとりだったらおまえの意図に乗ってやってもよかった。子供はなんでも経験しておくものだからな。けど、悪いな。空がいるから、まだ路頭に迷うわけにはいかないんだ。空が自分ひとりで生きていけるようになったら考えてやってもいい」
愛莉はつまらなそうに身を離した。「なんでもお見通しって視線がむかつく」
「おまえが中学でなにをしでかしたかってことだけはお見通しだ。子供の無邪気な邪悪さってことで決着はついてるが、おれは世間より多少子供のことは知ってるつもりだよ。それに、おまえを見てりゃそういうことはわかる」
「先生はさ!……」
「おまえのために堕ちた悪人を演じてやってもいい。跡形もなく破滅してやってもいい。世間のみんながなにをどう断定して、おれって人間を貶めようが、山は悪人でさえ受け入れてくれるんだから。こんなおれでさえ。社会的に死ぬことはそんなに怖くないんだよ。ただ子供を社会的に殺すのはこれ以上ないってくらい怖いことだが」
文太は蛇口を捻った。水が溢れ出し、洗剤を跡形もなく落としていく。
愛莉は毒蛾のように身を翻し、冷蔵庫を蹴飛ばした。率直ないらだちが篭められた動作だった。それを見せつけるような動作だった。またあえてそうすることで、自分のかたちを表現しようとするような動作だった。
「問題児を退学させたことを自慢げに話す教師がいる」と愛莉は言った。「いかにも、おれは子供に甘い他の教師とは違うんだぞ、って言う風に。高校生だからって容赦はしない、クラスの秩序を保つことができる、おれは仕事ができる教師なんだって言う風に。けど、それってなに?」
「ああ。おれもあの先生は苦手だな。ちょくちょく言われるよ、櫛灘先生は子供に甘すぎるとかなんとか。なによりも教師に必要な、厳しさが足りないとか。生徒に舐められちゃいかんとか。でも、生徒が退学したってのは教師側の敗北だと思うよ。哀しいことだ」
「あいつなんとかしてよ。先生の同僚でしょ」
「なるべく話すようにはしてる。でも、難しいんだ。価値観の違いでひとくくりにされてしまう。結局みんな、それが世のためひとのためと思ってやってるんだから。彼みたいな教師を必要としている職員方も多いんだ」文太は溜息をつく。「おれひとりでなにもかもできるわけじゃない。けど生徒のことを考えると、おれがなんとかしないとって思う。ほんとうに難しいところだ」
「山なんか登ってる場合じゃないよ」
「それはそれ。これはこれ」
「男ってどうして頭とちんぽを一緒にできないわけ?」
「こら」言いながら、文太は少し笑った。
布巾で食器の水気を取る文太の背に、愛莉は額を押しつけた。「私がここによくくること、どう言われてるか知ってる? 先生」
「おれは難聴じゃないよ、火野」
「よく言う」
「おまえの目論見はきちんと成功してるよ。半分な。学校じゃ、おれは針の筵だ」
「だったらどうして追い返さないの」
「教師、だからな。一応な。おれが教師になったのは、山をやるのに都合がよかったからってだけだが、それでも何年もやってりゃ自覚くらいつく。子供は」あらゆる想いを篭めて次のことばを言う。「難しいよな」
愛莉が文太になにをしたいのか空は知っていた。というより、なんとなく想像をすることはできた。
(あたしの対象年齢じゃねえな)
そんな風に思い、部屋にふたりを置き去りにして、空は里山に向けて自転車を走らせていた。
父を奪うとか奪われるとか、そういうことにあまり空の関心はなかった。それは親父が決めればいいと思う。他人に比べて、奇妙な親子関係だということはわかっていた。どうしてあたしに母親がいないのか。詳しい事情はわからなくても、空は父親のことを愛していた。そこに愛莉が割って入ろうというのなら、それは勝手にすればいい、と考えていた。それでなにもかも滅茶苦茶になるなら、むしろさっさと滅茶苦茶になったほうが健全だとも考えていた。
別に愛莉のことは嫌いではない。
複雑に見えて単純極まりない感情がある。
今日は、いままで行ってない場所に行くつもりだった。そのことのほうに気を取られている。まだ朝早く、休日で道路に車も少ない。山裾のほうに立ち漕ぎで突っ走り、崩れた神社の鳥居の下に自転車を放置し、そこであらかじめ見つけてあった獣道に侵入する。
目印はない。辛うじて踏み跡があるだけの、雑木林の坂。沢筋に入ると、視界が少し良くなる。デイパックを背負いなおしてほとんど走るように歩いた。
「親父はずるいよな。こういうとこ、行こうと思えば思うだけでどこにでも行けるんだから」
そんなことを呟く。
自転車では行動半径が狭すぎることへの愚痴だった。空の年齢で電車代やバス代は高すぎる。
白い、ごろごろした岩の続く、剥き出しの沢筋だった。水量は少なく、渡渉するにしても飛び石伝いに横切れそうだ。樹木の枝葉で視界はよくないが、これがどこへ続いているのか想像するだけでわくわくする。今日は、頂上まで行ってみるつもりだった。行けたらの話だが。
空がその女を見つけたのはそういう日だった。
そのせいで、結局、頂上へは到達できなかったのだ。彼女がそれ以上に面白そうなことをやっていたせいで。渡渉し、反対側の岸に達すると、そこはちょっとした広場状になっており、二、三メートル台の岩がぽつりぽつりとそこらじゅうに目立つ、異様な場所だった。彼女はその岩のうちのひとつの傍にいた。岩の下に分厚いマットを敷いて。
(……あ? こんなところにひとがいる。なにしてんだろ?)
川岸で立ち止まり、空はしげしげとその光景を見つめた。
背の高い、ぼさぼさの髪をポニー・テールのかたちに結んだ、若い女だった。少女と女の境目にあるような見かけだった。見ていると、岩と向き合い、自分の下唇をつまんだりして、真剣な眼を岩に走らせている。指先は粉で白い。
はっとする。(ボルダリング……!)
ロッククライミングの一形態。ザイルを必要としない高さの数手、その課題を登る短い登攀。しかし、こんなところで?
見渡せば、うってつけの場所のように思われた。沢筋で地面は安定しており、手頃な岩がごろごろしている。知らなかった、こんなところにあったんだ、と驚く。城址の石垣でなく、こんなに近くに……
女が登り始める。
やっぱりクライマーだ。父親や、そのザイルパートナーである篠原以外では初めて眼にする。しかも、まだ二十にもなってないような、女性クライマーとは!
しばらく見つめていたが、空の眼にも、女の腕が確かなものだとわかる。登り方に迷いがない。滑らかで優しく、冷静さと落ち着きがあり、しかも確実だ。一手一手が丁寧で力強い。これはこれは、と空は思った。運がいいぞ。こんな近くで本物のクライマーのクライミングを見ることができるなんて! 昂る想いを胸に押し込んで、そっと近づいていく。
さすがに、気づかれている。女がボルダーマットに降り立ち、視線を巡らせて空を見、にこりと邪気なく笑う。空はかっと頬が熱くなるのを感じた。
「こんにちはっ」と女が言う。
「……ど、ども」
「地元の子かな? ここはまだ開拓されてないエリアだから、誰かと会うなんて思いもしなかった! もしかして君の遊び場だった?」
「いや、あたしもここくるの初めて」口早に言って、「ねえ、あんたがやってるのってボルダリングだろ? クライマーだよね?」
「ん?」その幼い少女がボルダリングということばを知っているのに驚いたようだった。「いかにもいかにも。そのとーり。君はあれかな? こんなところまでひとりできちゃうってことは、もしかすると、山の子だったりするのかな?」
「いや、まだそーいうんじゃないよ。です。でもその、興味があるんです。やりたいなとは思ってるし、考えてる。あの、もしよかったら」ごくりと喉を鳴らして、「ちょっとだけでいいから、触らせてもらってもいい? 石垣しか登ったことなくて――」
唐突に現れてそんなことを言う少女に、女がどう思ったのか。しかし、女はまったく戸惑う様子を見せず、むしろ歓迎するかのように笑みを深めて言う。
「大歓迎! あたしもひとりでやってて寂しかったとこ! いいよ、おいで?」
空は頬を赤らめ、不器用な微笑みを返して、近づいていった。
女は握手を求めて腕を差し出す。「初めまして、よろしく。あたしは美奈子。芹沢美奈子」
「あ……櫛灘空、です」
「空ちゃんか。いい名前だね! っしゃ、やろ? 陽が暮れるまでたくさん時間はあるよ!」
その出会いは僥倖だった。空にはそのことがはっきりとわかった。胸の高鳴りを抑えきれず、空はぶつけるような声を上げた。「はい!」
空のクライミング技術の基礎は美奈子に叩き込まれたものだった。それは時を経て、現在時制の彼女のなかにも息づいている。独学で習得困難なものを、美奈子の動きから盗んだのだ。いまほど、ネットで映像を拾うのが容易でなかった時代。DVDもブルーレイも存在しなかった時代。
空と美奈子はすぐに意気投合した。空の心には山への幼い情熱が煮え滾っており、美奈子にはそれを実行するだけの逞しい行動力があった。ふたりはクライマーだった。それ以外にどんな理由が必要だったというのだろう?
幼少の思い出がどれほど大切で、光り輝いているものなのか。ただ麓から山を見上げるという行為にさえ、光芒があった。夜の闇のなかでさえ、ヘッドライトのささやかな照明を頼りに登ったものだ。ボルダリングだけでなく、美奈子に連れられてルート・クライミングさえやった。
美奈子のクライミングはまさに模範的なムーヴで、魔法のようなところはどこにもなく、実力さえあれば誰にでも実行可能な動き方をしていた。着実であり、堅実であり、確実であった。空はそれを学ぶというよりは吸収した。そうして、次々と自分のムーヴにフィードバックしていった。
空のクライミングは、ほとんど魔法のように進化していった。届かないはずのホールドを掴み、支えられるはずのない重心を保った。バランス感覚が異常だったのだ。空にだからできるムーヴであり、空以外にはできないムーヴをしばしば実行した。美奈子はそんな彼女の稀有な才に驚きながらも、面白がり、学べるものはどんどん学ばせていった。空はまったく飽きることを知らない少女だった。
その日は朝から小雨で、クライミングには不適なコンディションだった。濡れた岩はクライミングシューズからスメアリングを奪い、チョークの炭酸マグネシウムの粉を洗い流す。それでも、ふたりは限界が訪れるまでボルダリングをした。山においては悪天候は常に存在する。ふたりはボルダリングというより、きたるべきロング・ルートの予行練習をしていた。
限界がきて、山裾に下りると、夕暮れ時だった。上天は黒い雲に覆われていたが、西の空は夕陽の茜色が波のように刻んでおり、雨天にもかかわらず明るかった。ふたりはびしょ濡れだった。そこで、愛莉がやってきたのだった。
「先生が留守だからあんたを迎えにきたんだけど」と傘を差す愛莉は言った。空の隣にいる美奈子を鋭く見つめて、「誰そいつ」
空は困ったように愛莉を見、美奈子を見た。しかし、愛莉の無愛想な態度にもかかわらず、美奈子はいつもどおりにっこりと笑った。
「こんにちは。芹沢美奈子といいます。空ちゃんと――」そこで言い淀んだ。空を見て尋ねるように首を傾げた。空は彼女の袖を引き、頷いてみせた。「クライミング、やってたところです。どもども。で、あなたは?」
愛莉の態度は頑なな石のそれだった。空は肩を落とし、彼女の代わりに言う。「美奈子さん、このひとは火野愛莉。親父の教え子。なんか知らんけどよくウチにくる」
「ううん?」
愛莉は顎をしゃくった。「行くよ、空。あんたがどこ行ったって私の知ったことじゃないけど、先生に叱られるのは私なんだから。ああもう、そんなびしょ濡れになって。少しは家で大人しくしてるってこと、できないの?」
「別に親父はあんたを責めたりしないだろ。あたしがやりたくてやってることなんだから、なにか言われるとしたらあたしのほうだ。親父はもう帰ってきてんの?」
「……ふん」
実際、愛莉にはなんの義務もなかった。文太に対するポイント稼ぎ程度の意味合いしかなかった。しかし、空がこの見知らぬ女と仲良くしていることに妙な苛立ちがあった。気に食わないのだ。
愛莉は美奈子を見ようともしなかった。しかし、美奈子はその程度で気を悪くするような女でもなかった。ただにこにこと笑い続けていた。空は少しほっとしたような気分になった。
「もうとっくに帰ってきて、あんたを待ってるんだよ」と愛莉は言う。「あの篠原とかいう男と一緒にさ……おかげで、私とろくに話しちゃくれない。酒盛りまでして、なにが教師だ。ほんっと、気に食わないったらありゃしない……」
「ああ、篠原のやつも一緒なんだ? じゃあ、急いで帰るよ。美奈子さん、今日はありがとうございました。また今度」
美奈子はにこやかに手を振った。「うん、じゃあね、空ちゃん。あたしも楽しかったよ」
それで美奈子と別れた。
帰路、並んで歩きながら、空は隣から直に不機嫌な空気を感じた。とはいえやはり、その程度で気後れする空でもなかった。ややあって、愛莉は不意に立ち止まって苦い声音で言った。
「なにあの女?」
「なにって」空は首を傾げた。「そのまんま、クライマーのひとだけど。このまえ会ったんだ。それでなんだかんだ気が合って、教えてもらってる」
「クライマー」愛莉はますます苦々しげに呟く。
「そう、親父とおんなじ人種の。あたしにゃそれしか言えないけど。あたしもまだあんまり美奈子さんのこと知らねーし」
愛莉は唇を歪めた。「先生とおんなじ人種?」半ば、表情に憎悪が入り混じっていた。「そういう言い方やめてくれる? 人種なんか、私もあんたもおんなじ日本人じゃない。自分たちだけが特別みたいな言い方して!……」
「ええ……そう聞こえた? 別に、クライマーが特別なんて考えもしてないけど」
「そう考えてるんでしょ? 他の、私たちみたいな普通の人間をどっかで見下してさ」
「あたしらを見下してるのはあんたのほうだろ?」空のことばにあくまで邪気はない。「あんたは、親父とおんなじ世界にいることができないって、勝手に諦めてるからそんなことを思ってる。自分と親父が違うってハナから決めつけてかかってる。でも、それってなんか変だよ。山にとっちゃクライマーもそうでない人間も全然おんなじ、ただの人間でしかないんだから」
愛莉はことばを詰まらせた。
「山は山だよ。クライマーのものじゃないし、他の人間のものでもない。地主さんのものではあるけど、それだって百年後には変わっちまってる。あたしにゃ、親父もあんたも美奈子さんもおんなじにしか思えないけど、そんなに気に食わない? わかってないなら言っておくけど、あんたがどれだけあたしのこと嫌ってたって、あたしはそうじゃないよ」
愛莉はまるで変わらない表情のまま空を見下ろしていた。
あたしのことばなんかちっとも聞いちゃいない、と空は思った。
ふいと顔を背けて、愛莉はまた歩き出した。空はその背を小走りに追わなければならなかった。
PR
これを読んでいると嫁はいらないけど子供が欲しくなります。