オリジナル。ジャンルはなんだったっけ(錯乱
もう終わりが見えてもいい頃合いなんだけれどまだ見えない。
いままででいちばん難産かもしれん。まあ難産だからといっていい作品になるとは限らなry
※5/5
なんか改行できてなかったので修正。あれー? いつもどおりにやったはずなのに、どういう仕様になってるんだこのブログ……?
もう終わりが見えてもいい頃合いなんだけれどまだ見えない。
いままででいちばん難産かもしれん。まあ難産だからといっていい作品になるとは限らなry
※5/5
なんか改行できてなかったので修正。あれー? いつもどおりにやったはずなのに、どういう仕様になってるんだこのブログ……?
皮肉にも椿希のつけた顔の傷が愛梨の『暴走』を抑え込む一手となっていた。また、愛梨のつけた背中の傷が椿希を本家から分家へ移すきっかけとなり、大きな影響を及ぼすふたりが遠ざかったことで、その状況が生まれてしまっていた。臆病者ども、と椿希は心のなかで家族を罵倒した。
ためらっているときではなかった。椿希は天見を伴い、愛梨の離れに訪れた。彼女が篭もっている部屋のまえまで行くと、椿希は天見に振り返った。
「なにか助言が欲しい気分なのだけれど。天見さん、この情けない私になにか言うことはあるかしら?」
天見は眼を眇めるようにして言う。「らしくないことを言いますね」
「そうね。まったく、私らしくもない。まあ、やってみるわ」椿希は襖をノックした。「愛梨さん」
返事がくるまえに襖を開く。
既に陽が沈んでいた。灯りは点いていない。障子から射し込む月明かりの蒼白い光だけが光源となっており、けれど満月でむしろ明るい。ぼやけた闇のなか、愛梨は窓際でこちらに背中を向けていた。彼女の周りだけが浮き上がっているかのように見えた。
愛梨は気だるげに振り返り、ふたりを見やる。床にかするほど長く伸びた黒髪が遅れて揺れ、彼女の表情さえ定かではなかった。上機嫌であるわけがないのは明らかだった。椿希は敷居を跨ぐ。
「こんばんは、愛梨さん」と椿希は言う。「ずいぶんと久し振りね。ご機嫌はいかが?」
「椿希……」
「一昨日帰ってきたっていうのに、なかなか会えないものだから、こっちからきちゃった。いまお時間頂いてもよろしいかしら」
愛梨は前髪の奥から底光りする眼で椿希を見つめた。ほとんど睨むように代物だった。普通の人間なら気後れしそうなほど重い眼で、どういう人生を辿れば人間の眼がそのような力を得るに至るのか、天見には想像もつかなかった。それでも、その程度で怯むようなふたりでもなかった。
「顔の傷、具合はどう?」と椿希。
「まだ痛む」
「そう。ごめんなさい。私のほうはだいぶ良くなったのよ。痕は残ってるけどね……」椿希は彼女に近づき、いっそ優雅なほどの動きで正座した。「最初はお風呂に入るたびにじんじん痛んだものだけれど。糸ももう抜けたわ。斬れ味が良かったことが救いだったのか。もう少し深く斬り込まれていれば、背骨までばっさりやられてたかもしれないけれど、まあお互いに幸運だったわね。ああ、このことについて愛梨さんを訴えるようなことはないから、安心して頂戴」
「なにをしにきた?」
「天見さんに聞いたんでしょう? 仲直りしにきたの」
愛梨は天見に眼を向けた。天見は敷居の外で口を閉じたまま突っ立っていた。先日、いかにも手慣れた様子で岩を登っていた娘。彼女を見ると心の深部が波を打ってざわめくような想いに囚われるのを感じる。それは、顔の傷よりもずっと根の深い痛みを伴って愛梨の胸に迫ってきた。
愛梨は座らなかった。椿希を見下ろし、嘲るように鼻を鳴らす。
「こっちにそんなつもりはない。あんたとは口も利きたくない」
「それはわかってるわ。でも、このままでいると私の心に黒い染みを残したままになる。和解したいの」
「そんな必要はない。もう知ってるんだろ?」愛梨は自虐的に笑った。「もうこの家に長くいることはできない」
「……。知ってたの」
「そこまで鈍い女じゃない。私は」ふっと顔を背けて――「自分がどういう女かってわかってる。でも、先に言っておく。この家はもう用無しなんだよ」
椿希は眼を細め、彼女の眼を追った。愛梨の心がどこにあるのか探ろうとするかのように。しかし、彼女の眼は闇夜のように暗く、その先を見通すことはできなかった。椿希はもどかしさに胸が痛くなった。
どうにか言う――「あなたは私の父を愛していたのではなくて?」
「そんな感情は生まれてこの方一度も持ったことはない」
「聞いていいかしら。あなたの望みはなに?」
「私の望みはただひとつだ」愛梨の声には現実感がなかった。ひどく投げやりで遠かった。「なにもかもぶっ壊したい。潰して、壊して、滅茶苦茶にしたい。その様を間近で見つめて嘲笑いたい。ただそれだけだ。それだけ……」
「その望みは果たせたかしら」
いっとき、ガラスのような静寂が部屋に満ちる。強張った糸が張り詰め、ことばということばが虚無に吸い込まれていくような空気が浮かび上がった。椿希は自分の問いかけがひどく無意味なもののように感じた。
愛梨は眼を戻し、椿希を見下ろした。そうして腕を伸ばす。椿希の頬に手のひらが添えられ、漂白したように白い指先が、焼死体のように硬く曲がった。
「半分は」
「そう」椿希はじっと彼女を見つめ続けた。「それは良かったわね。けれど、残り半分は?」
「あんたが死ねばそれでいい」愛梨はひどく不安定に嗤った。「でも、それが叶うことはないだろうね。誕生日、おめでとう。あとはあいつらが決断するまで待って、この家から消えるよ。それでなにもかもお終い。永遠にさよなら」
椿希は途方もない哀しみが湧き出てくるのを感じる。「それでいいの?」
「あいつらは容易い人間だった。少し掻き回してやっただけで、無様に慌てふためいて、本性を露わにする。こんな立派な屋敷を持って、お高く留まっていても、別に他の奴らとなんにも変わりはしない。人間なんかはみんなクソだ。どうもありがとうございました。そうあいつらに伝えておいて」
愛梨は椿希から指を引き剥がし、取り付く島もない動作で背を向けた。そうして窓際に寄り、開いた障子のあいだから外に顔を向ける。それで話は終わりだとでもいう風に。
椿希はじっと彼女の背を見つめた。けれど、これだけ近くにいながらも、彼女はどこまでも遠いように思われた。あらゆることばは無為の張りぼてだった。長い秒の後、椿希は立ち上がる。
敷居を跨ぎ、廊下に出、襖を閉める。溜息をついて、天見に言う。「行きましょう」
天見は頷き、椿希についていく。
椿希は天見に言う。「どうしようもない人間だと思うかしら?」
「誰について?」
「愛梨さんについて。あるいは、彼女になんの意味のあることばも伝えられなかった私について」
「さあ。他人を評価しようなんて思いもしません。でも、私よりかはだいぶマシな人間なんじゃないですかね」
「自分を過小評価しすぎじゃなくて?」
「自分の中身は自分が一番よく知ってる。何度も何度も自分の中身を覗き込んできた。自分については正当な評価だと思いますけど。少なくとも、あなたたちの中身なんて私にはわからない」
椿希はふっと息をついた。「まあ、ありがと」
渡り廊下を歩く。月明かりが水底のように柔い。すべては闇の底に沈み、黒い雲さえ輝いている。遠い南アルプスの山脈は、静かに身を横たえ眠る巨獣のように見えた。その背びれは遥かになだらかで優しい曲線を描いている。
粘着性の糸に縛りつけられたような現状について、椿希は溜息をついた。もう一度溜息をつき、さらに溜息をついた。立ち止まって煙草を取り出して咥え、山のほうを見ながら火をつける。小さな火に彼女の口許がオレンジ色に浮かび上がった。
「言ったわよね。私、愛梨さんのこと嫌いじゃないのよ」紫煙を吐き出して――「これまで出会った人間のなかで、彼女みたいなタイプ、いない。興味深い――って言うと変だけれど。まるで人の持つ悪意を全部凝縮して、堂々と表に現しているような女性。それでいて悪びれもしない。言い訳もしない」ぼんやりと煙草を見つめて、「誰かが正しいと思う服を着ない。そうなったことに、理由なんかない。語弊があるけれど、まあ、単純に憧れてさえいるわね。だからちょっと残念だわ。このままお別れすることになるのかしらね……」
「まだ仲直りしたいと思います?」
「そうね。そう。このまま、って、すっきりしなくて厭だわ。でもどうすればいいのかしら。私がこの家を彼女に差し出して、全部片づくことなら、そうしてもいいと思っていたけれど、彼女はそれを望んでもいない。私が死ぬ? 仮にそうしても、彼女は決して満足なんかしないと思うわ」椿希は振り返って天見に言う。「あなたに彼女はどう見えた?」
「なんか焦ってるように見えました」
「焦っている?」
「求めている。でも、求め方がわからない。そんな感じの。不登校を起こしたあと、空さんに会うまえの私が、ちょうどあんな感じだったと思います。それって要するに、山を登るまえの私ってことですけど。で、投げやりになっている。そのうえで自分で自分が投げやりになってるって気づいてない」天見は鼻を鳴らす。「当てにならないクソみたいな考察ですけど」
椿希は少し考えて、「……そうね。そうかもしれないわ」
結局のところ突き詰めてしまえば自分と愛梨は赤の他人にすぎない。友でも身内でもなく、ただ過程のなかでふっと顔を合わせただけの遠い間柄。それでも、このまま彼女と別れてしまえば自分がどういう風に感じるのか、想像できない椿希ではなかった。むしろ、彼女のなかに自分の一部とひどく近しいものを感じていた。
「理由なんかないのよ」椿希は自分のこおとばを繰り返した。「ただ、そういう性質だったから、そう生まれついているだけ。物語によくあるような、過去の体験やトラウマからそうなったわけではない。性悪説の証明。なにもかもが解決して、改心したり、変われたりするわけじゃない。そういう人間は……どうすればいいのか」もう一度煙草を咥え、自分の内部を覗き込んで言う。「ただ……消え去るだけなのか。誰の手にも掬われずに消え去ることしかできないのか。ええ、もうこう言ってしまうわ。彼女は私よ。なにもかもが厭でただひたすら破滅を望んでいる、私の深い一部をひたすらに表に現した、私の……未来」
「椿希さんもいつかはあんな風になるんですか?」
「ならないでしょうね。桐生の分家に――シズや宗次叔父様に優しくされてしまったから。あの家にいると、不思議とどこまでも穏やかになれるのよ。感じられる限りの世界すべてが優しく感じられる。人間の繋がりってほんと大事ね。天見さんは、もしかしたら、山に登っているとそう感じられるんじゃないかしら?」
天見は不登校を起こす前後からただ一度の例外を覗いて声を上げて笑ったことがない。ただ一度、空や杏奈とともに登った、槍ヶ岳のガスに覆われたあの頂で、以外には。
あの場所には優しさの一片も存在していなかった。ただひたすら無機質で、命の気配のない、絶対の美しさ以外にはなにもない場所だった。そこにあったのはむしろ峻烈な厳しさだった。とはいえ、椿希のことばはたしかに的を射ている。天見にとって世界とは他でもないあの頂だった。
煙草を携帯吸殻に押しつけ、椿希は歩き出す。天見は彼女についていく。
部屋に戻ると、携帯が震えている。天見は画面を見つめ、それが好ましい人物からのものであることを知ると、椿希と桜花に声をかけてから廊下に出る。
「空さん」
『こんばんは、天見。ここ、どうにか電波が届くみたいでさ。いま大丈夫?』
「はい。水無先輩は元気ですか?」
『ああ、とってもいい調子だよ。あたしなんかいなくてもいいんじゃないかってくらい』
くぐもった笑い声が聞こえ、天見は少し気が緩む。
『それで――』
山の装備は持ってきていないが、ジャージは持ってきていた。早朝。天見は朝飯まえに身支度を済ませ、静かな寝息を立てる椿希と腹を出していびきをかいている桜花の枕元を足音を忍ばせて部屋から、朝靄もけぶる外へ出た。上空が黒く、いまにも雨が降ってきそうな天気だった。
準備体操もそこそこに、駆け出す。いつものトレーニングだ。普段は住宅地から河川敷へ向かうルートだが、桐生家に滞在中ということで、気の赴くままに足を運んだ。山のほうへ。砂利道は急勾配で、曲がり路でうねっており、登山の予行としては悪くない。ちょっとしたトレイル・ラン気分で竹林を駆け抜けると、ふっと視界が開く。見晴らしの良い山道で、崖の下を川が流れている。からだの調子は良好で、気分は上々だった。このまま山に登れれば最高なのだが。空や葛葉が羨ましかった。
ちょっとした広場になっている場所にやってきて、道が途切れた。
足を止めてあたりを見渡す。ぽっかりと開けていて、駐車場かなにかなのだろうが、乗用車はない。自販機に、ベンチがいくつか。そのうちのひとつに、愛梨が座っていた。はっとして眼を凝らすと、茫洋とした表情を浮かべ、両手で包み込むようにしてコーヒーの缶を握っている。天見はちょっと考えて、彼女に近づいていった。
「おはようございます」
愛梨は弾かれたように天見を見上げた。「……あんたか。なに?」
「別に用はないですけど。走ってたら見かけたんで。座ってもいいですか」
「勝手にしろ」
天見は愛梨の隣に座った。太腿を揉んで、マッサージの真似事をする。
湿った、生温かい風が吹いている。稜線から降りてきたかのように、ここでない場所の香りがする。愛梨は隣の小さな娘を見下ろした。その年齢よりも若干小柄で、生意気にも髪を明るい金に染め、既に頭頂部が黒くなっている。しかし、ここまで近く座り合っているとはっきりわかった。その小さなからだに似つかわしくない途方もないエネルギーが内部で滾っていた。それはここでないどこかへ飛んでいくための動力だった。
「あんたが川で岩を登ってるところを見た」と愛梨は言う。「あんたは山をやるの?」
天見は視線を太腿から彼女へ移した。「はあ。初心者ですけど」
愛梨は指先をコーヒー缶から離し、たゆたうように南アルプスの山脈に向けて言う。「あそこはやった?」
「いいえ。やりたいとは思ってます」
「じゃあどこをやった?」
「北アルプス……穂高と槍ヶ岳。あと、丹沢。去年の冬からなんで、まだそれくらいですね」
「ものすごく昔、八ヶ岳の赤岳を登ったことがある。美濃戸口から、行者小屋でテントを張って。私以外のふたりは経験者だった。ろくでもないくらいの。そうして二度とやるもんかって感じて、それ以来登ろうと思ったこともない」
「気持ちはわかります」
「あんたたちはマゾだ。くだらない被虐性癖のくそったれどもだ。なんの生産性もない、なんの進歩もない、なんの社会的貢献もない――」
天見は鼻を鳴らした。「椿希さんに、あなたは山を憎んでるって聞きました。正確には、憎んでるような眼で山のほうを見てたって。山となんの関係もない人間って、あそこを見てそんな眼をしない。それって、その体験からくるものですか? よっぽどひどい山行だったんですね。勿体ない」
「……」
愛梨は俯いた。傷だらけの過去が波打って氾濫し、溺れかけるような感覚が胸の深部を満たした。異常なほどの光芒が記憶を刺し貫き、その体験で感じ得たあらゆる感覚が怖ろしく生々しく蘇った。空と美奈子の肉声までもが耳を打ち、眼前が真っ黒になり、真っ白になり、朝陽と夕焼けと宵闇が同時に押し寄せてきた。それは……
「――そう。ひどかった」愛梨は苦悶の声で喘ぐ。「ひどかったなんてもんじゃない。最悪だった。あそこは……あの山は」天見は愛梨の横顔を見つめた。しかし、そこにあった色は予想に反して澄み切っていた。唇が微笑のように曲がっていた。「あの山は……」
天見は首を傾げた。
記憶の山を覗き込む愛梨の顔は、どう穿って見てもそれを憎んでいる表情ではなかった。
風が吹き抜け、不意に愛梨は首を振り、染み出したものを振り払うように額に手を当てた。
早口に、ぼそりと言う。「私が私でなくなるような感じがする」
天見に眼を向ける。光の消えた瞳が現実を捉え、染み出たものが霧散する。そうしてさらに言う。「昔、山で死んだやつがいた。外国の山で雪崩に喰われて、もう十年以上経ってるのに遺体も出てこない。誰にも看取られずにたったひとりでなんの意味もないみたいに野垂れ死にした。野良犬かなにかみたいに……やり続けていれば、いずれあんたもそうなる。やればやるほど。そういうこと、きちんとわかってる? 認識してる?」
天見は鼻で笑って言う。「極論ですね。でも、下界にしがみついていても死ぬときは死ぬ。『意味』なんかは最初からなにひとつない」
天見の眼に揺らぎはなかった。野良犬の不可解さと不気味さを孕み、なんの動揺もなくただ炯々と静かに輝いていた。
愛梨は侮蔑を滾らせて言う。「おまえらはみんなクソだ」
「私に限って言えば、そういうことはもう何度も思い知ってる」
愛梨は立ち上がり、細い足取りで立ち去っていく。天見には、彼女が自分と話していたようには感じられなかった。ずっと自身の内面とばかり話していたような印象があった。あるいは、天見の影にいる誰かと。心身ともにあまりにも不安定だった。その不安定さが余計に外面の壊れそうな美貌を強調する結果となっていた。
ぽつぽつと、ささやかな雨が糸のように降り始める。
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