新章はいりまーす。なお真新しい展開は(ry
着地点決めてないんだよなあ。まったく関係ないですがいい加減モンハンフロンティアに手を出そうかどうか迷って(ry
そういうことに嫌悪感を覚えるほど天見は清潔な人間ではなかった。いちいちショックを受けたりするほどヤワな少女でもなかった。それがどういうことを意味するのかわかる程度には知識があった。登校拒否を敢行しているとはいえ、天見は根本的に頭のいい娘だった。とはいえさすがに、両親がセックスしているのを見て泰然としていられるほど図太い人間ではなかった。
丹沢全山単独縦走から帰ってきたとき、もう夜も深まっていた。黙って家の扉を開け、足音を忍ばせて自分の部屋でザックを下ろしたところで、気づいてしまったのだった。壁は薄かった。両親の寝室はすぐ隣にあった。抑えた嬌声とベッドのしなる音を耳にしてなにも感じずにいるには天見は感受性が強すぎた。
『あんな薄っぺらいクソゴム膜なんか頼りにするんじゃなかった』
芦田のことばが脳裏に思い返され、反射的に表情を歪めていた。
両親がそれほど仲睦まじいわけではないことを知っていた。むしろ、互いに互いを所有していながらほとんど無関心を貫いているような間柄だった。だからそれは明白な目的のある行為なのだろう。つまるところ、姫川夫妻は新しい子供を欲しているということだった。一人娘が十三歳になろうとしているタイミングで――
(ああ、そうかよ)
不意に思い至るところがあった。
自分の孤立癖と反逆性ゆえに、両親を両親として満足させられないことはわかっている。だから、なのだろう。彼らは“代わり”が欲しいのだ。長女の教育に完膚なきまでに大失敗したとみてもう一度機会を得るつもりなのだ。
わかっていた――
あらゆる思いが渦巻き、迸りそうになる肉体の衝動を抑えながら、ゆっくりと部屋を出た。家にいられなかった。帰ってきたばかりだというのに扉を開け、夜の暗闇のなかへ戻る。
冬の気配はもう消えている。夜ですら暖かい。
静まり返った街をあてどなく歩く。
風俗店が乱立するような駅前ではなかった。商店街は軒並み閉店し、終電も過ぎて人影も少ない。車の匂い。山に比べて星空が遠く、天見は世界に突き放されたような感覚を憶える。遠ざかってしまったような。詩的な感覚ではなかった。自分がそこまでロマンチストだとは思わない。
ただ無性に腹の立つような屑染みた感情だった。明白ではない。しかし、下界に降りてきてあっという間に汚れてしまったように思う。もっと山にいたかった。
時間を潰せるような場所など知らない。ふらふらと駅を通り過ぎ、沈黙する踏切を渡る。どこへ……行けばいいのか。最初に思いついたのは空の部屋だったが、電車が使えなければどうしようもない。眼についた公園に入る。
ベンチに座ってぼんやりする。
煙草が吸いたくなる。ときどき空がそうするように。けれど物心ついたときから自販機は既にタスポとかいうカードが必要になっており、未成年と見ればコンビニでも売ってくれない。携帯の電池はとっくに切れている。時間を埋めるには夜が長すぎる。
月を見上げて途方に暮れる。私はここでなにをしている?
桐生椿希は不躾というほど不躾な女ではなかったが、それでも我慢ならなかった。忍耐力の限界にきていた。車の戸を蹴り開け、飛び出し様に叩きつけるように閉めて、運転席の男に向かって中指を突き立てた。
「出直してらっしゃい」
直接的な侮辱に男の唇が歪んだ。椿希はなおも言った。
「話しててなにも感じない人間のために時間を割く趣味はないわ。つまんないのよ、あなた」
男は椿希を睨んだ。椿希は軽く首をかたむけ、挑むように眼を眇めて見返した。
アクセルが踏まれるより先に椿希は踵を返した。エンジン音がうるさく夜を割り、ふと終電の時間さえとうに過ぎていることに気づいて少し後悔する。しかし、これ以上話題を引き伸ばすのはもうごめんだった。
夜を越す施設の見当たらないような駅前で、仕方なくコンビニで煙草と酒を購入する。椿希には土地鑑がない。静岡から出てきてまだ二ヶ月しか経っておらず、この地のことはなにもわからなかった。だが、居場所がないことに慣れきってしまう程度には自分というものを味わいすぎていた。
ひどく小さなものながら公園を見つけ、これ幸いと立ち入る。遊具のひとつもなかったが、ベンチがひとつだけぽつんと置かれていた。それだけあれば文句はない。
が、「あら……」
ベンチには先客がいた。どこか寄る辺のない表情をして夜空を見上げていた。
それが大人であればなにも思わなかっただろう。しかしその者は明らかに小柄で、顔も体格も小学生並だった。表情だけがひどく大人びていた。興味を覚え、椿希は近づいた。少女だった。
少女は獣めいた素早さで椿希に振り向いた。目線が一気に油断のならないものになり、全身に警戒の色が浮かんだ。どこか野犬を思わせる仕草があった。
「こんばんは。家出でもしてきたの?」
「……」
「私のほうは終電を逃しちゃってね。隣空いてるかしら」
少女が警戒を緩めることはなかったが、腰の位置をずらして椿希に場所を譲った。椿希は微笑んで礼を言い、そこに座った。
暗がりのなか、天見は女を横目で観察した。
見たところ二十歳かそこらで、長々と流した黒髪に、赤紫色のメッシュが一筋、額にかかっている。整然として涼やかな顔立ち。酔っているのか、わずかに頬が赤らんでおり、膝に置いたコンビニのビニール袋から、細い指先が缶ビールを取り出す。手のひらにタコができているのが見えた。空や杏奈のようなクライマー特有の凸凹ではなく、細いものを握り締めてできたようなものだった。
立ち去るべきかどうか思案する。しかし、危険な感じはない。何処かへ行く当てもないのだ。軽く上体を傾けていつでも抜け出せる態勢を整え、態度は保留する。
薄く口紅を塗った、女の唇が煙草を咥える。
しかし、そこで舌打ちが聞こえた。
「ライター買うの忘れちゃったわ」
天見は反射的にポケットを探っていた。
昼間、丹沢湖に到着する直前に、ガス缶を使って棒ラーメンを食べており、ライターをポケットに突っ込んだままだった。燃料の残りは充分にある。
少し考えて、女に差し出した。
「どうぞ」
「あら」女は少し眼を瞠って、「ありがとう。でもどうして持ってるの?」
「必要だったんで」事情を説明するつもりなどなかった。そして続けざまに言う。「代わりに一本ください」
「ふぅん……?」
しげしげと観察する眼が返ってきて、天見は甘んじてそれを受けた。なにも弁明することなどないかのように。硬い無表情は崩さない。誰に対しても愛想を振り撒くつもりなど毛頭ない。
「未成年の喫煙は言うまでもなく禁止されてると思うのだけれど、私の勘違いだったかしら?」
「だったら私はこれから犯罪者になるんでしょう。けど、どうでもいい。吸うんですか? 吸わないんですか?」
「ちょっと躊躇っちゃうわね。他に誰かいる?」
「いいえ」
「……ま、いっか。内緒にしておいてね……それと、二本以上あげるつもりはないから」
天見はそうして一線を越える。
加減がよくわからない。慎重に紫煙を吸い、吐き出した。味というほどの味はわからない。手元でちりちりと燃える火が少し可愛くて、じっと見つめてしまう。噎せるようなことはなかった。初めてのはずなのに、どうすればいいのか感覚的にわかってしまうような、懐かしいような、馴染み深いものであるかのような心地がした。
前世かなにかで吸っていたのかもしれない。落ち着きを取り戻し、いらいらしていた感情がすっと遠退くように思えた。両親のセックス――だからなに? ばかばかしい。
「この辺の子?」
天見は頷く。「ええ」
「私は――」言いかけ、自分で戸惑ったようだった。「近くに住んではいるのだけれど、それも二ヶ月前からでね。実家は静岡のほう。この辺のことは全然知らないのよ。どこか夜を越せそうなところはあるかしら?」
「知ってたらこんなとこいやしません」
「そうよね……そう。困っちゃったな。始発まで四時間か」
「物騒でもないんで大丈夫だとは思います」
「ありがとう。まあ、なんとかなるかな」
そう、大丈夫だ、と自分にも言う。
ビヴァークの練習にもなる。ツェルトもシュラフもなく、窮屈な場所に身を落ち着けて座り込み、じっと朝陽を待つだけの時間。山でそうなるかもしれないなら、下界でそうなったところで予行にしかならない。そう考えれば気は楽になった。
煙草が短くなる。地面に押しつけて火を消す。
「あなた……えーと?」
「姫川」
「姫川さん。火、ありがとうね。はい、灰皿」
「どうも」
暇に飽かせたのだろう、「私は椿希」
「花の?」
「ええ、ツバキ。あのぽとっと落ちるやつ。希望の希がくっつくんだけど、黙字ってやつね。冬にもよく見るでしょう?」
「あまり……意識して見たことは」
「花椿は春の季語だけど、寒椿や冬椿ってことばもあってね。私の実家のあたりにはたくさん咲いていたわ。通学路なんかには、それこそ歩く場所さえなくなってしまうほど、そこらじゅうに花が敷き詰められたみたいに。愕だけ残して丸ごと落ちるから、風でなかなか飛ばないのね。綺麗は綺麗だけど、不気味でもあったわ」
「不気味?」
椿希は手のひらを上に向けてみせた。
「いまじゃあんまりイメージ湧かないけど、昔のひとは斬首を連想したって言うわね」
手のひらを返し、下に向けて、
「いまでも病人に持っていってはいけない花みたいね。そういうタブーは多すぎてうんざりするけど。菊や、青白紫の花だけもダメ。鉢植えの花も、“根付く”が“寝つく”にかかるからダメ。季節の花まで考慮するとうんざりしてくるわ。結局、年中いつでも使える薔薇がいちばんってことね。
まあそういう花。私とはそんなに関係ないけど」
天見は怪訝な眼で椿希を見つめた。なにが言いたい?
椿希は軽く肩を上げてみせた。
しばらくして、さすがに両親の行為も終わっているだろうと天見は思った。それがどれだけ時間の要することなのかあまり想像がつかないが。知識はあっても当然経験はない。とはいえ、あの淡白な父親が長々とやるとは思えなかった。夫婦の仲は悪くはなかったが子供の眼から見て良くもなかった。情愛を示すことがまずないのだ。天見には彼らがただ義務感で夫婦をやっているようにしか感じられなかった。
天見には愛という感情がわからない。空が山に対して示す態度を愛というなら、まだ理解できる。あるいは、自分が山に持ち始めている感情に関しても。だが両親がそれを持っているとはどうしても思えない。
そういえば杏奈が告白されたとか言っていたような気がするが、あれはなんだったっけ? 考えかけて、あまり思い出せないのでやめた。あとは紡か。いまの時点でもう将来結婚しようと考えている――
自分がそうできるようになるとは想像もつかない。自分の家族生活を顧みて、あんな風な家庭をつくるために誰かと連れ添いたくはない。それが幸福だと誰もが語ったとしても私がそうだとは思えない。破滅への道のようにしか感じられなかった。
深く考えれば考えるほど宙を睨む。
公園の電灯が円く光っている。惹きつけられた羽虫がちりちりと飛んでいる。
ややあって、天見は立ち上がった。「もう行きます」
「あら。もう少しお話できない?」
「……」
「暇なのよ」
天見は椿希を見るというよりは見据えた。
椿希は軽く手を上げてにこりと笑った。「怖い眼をするものね。あなた、幾つ?」
「十三……」
「私は二十。不思議ね。あなたもう人生の贈る悪意を味わい尽くしたって顔してるわ。十三ってことは、ついこのあいだまで小学生だったってことね。失恋でもしたかしら?」
登校拒否の生徒に送られる目線はもう厭というほど浴びてきたが、それが人生の悪意すべてだと思ったことはない。簡単に言う。「恋したことはありません。せいぜい反逆の代償くらい」
「反逆の代償」椿希はくすりとした。「面白いこと言うわね」
「面白い? くだらないだけです」
「にわかだけど、私もいままさにそれを味わってるところ。なんてね。どんな気分?」
土足で踏み込まれる感じがした。「なにもかもがクソだって気分。自分が全世界にとって不要なクソに成り下がったような」
“代わり”が生まれたらますますそうなるのだろう。弟だか妹だか知らないが。
ある種の実感がある。私はこの先、二度と、なにがあろうと、事態がどう転ぼうと、両親と和解しわかりあうことはないだろう、と。それは願望やひねくれではなく、感覚を越えたところにある感覚のもたらす、完全な予感だった。親という自分の影。それすらと愛を築けない人間がこの世のなにに必要とされる?
「それでも退けない」天見はどこまでも硬質な声で言う。「ここで退けば私は私じゃなくなる。私の抱いた全感情に賭けて手のひら返しはできない。これは意地じゃない。偽りのない心ってやつだ」
すべてを引き剥がしたときほんとうの自分が見える。それに対して責任を取るのは他の誰でもなく、自分自身だ。たとえほんとうの自分が途方もなくどす黒いなにかだったとしても。上っ面で白く演じるのはなによりも自分を産んだ慈悲深いなにかに対する冒涜でしかない。
媚びは売れない。それだけの話だ。
椿希は興味深そうに言う。「ご立派ね」
天見は鼻を鳴らす。「満足ですか?」
椿希は軽く手を振る。「火、ありがとう。助かったわ。借りたままでいい?」
「どうぞ」
「いつか返すわ。また会いましょう」
天見は沈黙を返答にして踵を返す。
帰り道、天見は道端に散らばった椿の花を見つける。夜の底で紅い花が斬り落とされた首のように転がっている。意識してようやく気づく光景だった。こんなところに……
しかし、天見が連想したのは首ではなく、グランドフォールしたクライマーだった。雪崩に呑まれて遭難・行方不明というニュースを、今年の冬に何度も目にしていた。それに対する批難ももう何度も耳にしていた。山を舐めた。どうしてわざわざこんな時期に。しかし当事者の側にいる天見は別の言い分も持っていた。登ったのではない。登らざるを得なかったのだ。
どうしてこの衝動を無視できる? 偽りのない想いを偽っていられる? 正直者は果たしてどちらだったのか。善なるものすべてを引き剥がしたとき、最後の最後まで誠実であった者は、罪を犯したほうか罪を断罪するほうだったのか。
少なくとも天見の答えは明白だった。明白以上に明確だった。
着地点決めてないんだよなあ。まったく関係ないですがいい加減モンハンフロンティアに手を出そうかどうか迷って(ry
そういうことに嫌悪感を覚えるほど天見は清潔な人間ではなかった。いちいちショックを受けたりするほどヤワな少女でもなかった。それがどういうことを意味するのかわかる程度には知識があった。登校拒否を敢行しているとはいえ、天見は根本的に頭のいい娘だった。とはいえさすがに、両親がセックスしているのを見て泰然としていられるほど図太い人間ではなかった。
丹沢全山単独縦走から帰ってきたとき、もう夜も深まっていた。黙って家の扉を開け、足音を忍ばせて自分の部屋でザックを下ろしたところで、気づいてしまったのだった。壁は薄かった。両親の寝室はすぐ隣にあった。抑えた嬌声とベッドのしなる音を耳にしてなにも感じずにいるには天見は感受性が強すぎた。
『あんな薄っぺらいクソゴム膜なんか頼りにするんじゃなかった』
芦田のことばが脳裏に思い返され、反射的に表情を歪めていた。
両親がそれほど仲睦まじいわけではないことを知っていた。むしろ、互いに互いを所有していながらほとんど無関心を貫いているような間柄だった。だからそれは明白な目的のある行為なのだろう。つまるところ、姫川夫妻は新しい子供を欲しているということだった。一人娘が十三歳になろうとしているタイミングで――
(ああ、そうかよ)
不意に思い至るところがあった。
自分の孤立癖と反逆性ゆえに、両親を両親として満足させられないことはわかっている。だから、なのだろう。彼らは“代わり”が欲しいのだ。長女の教育に完膚なきまでに大失敗したとみてもう一度機会を得るつもりなのだ。
わかっていた――
あらゆる思いが渦巻き、迸りそうになる肉体の衝動を抑えながら、ゆっくりと部屋を出た。家にいられなかった。帰ってきたばかりだというのに扉を開け、夜の暗闇のなかへ戻る。
冬の気配はもう消えている。夜ですら暖かい。
静まり返った街をあてどなく歩く。
風俗店が乱立するような駅前ではなかった。商店街は軒並み閉店し、終電も過ぎて人影も少ない。車の匂い。山に比べて星空が遠く、天見は世界に突き放されたような感覚を憶える。遠ざかってしまったような。詩的な感覚ではなかった。自分がそこまでロマンチストだとは思わない。
ただ無性に腹の立つような屑染みた感情だった。明白ではない。しかし、下界に降りてきてあっという間に汚れてしまったように思う。もっと山にいたかった。
時間を潰せるような場所など知らない。ふらふらと駅を通り過ぎ、沈黙する踏切を渡る。どこへ……行けばいいのか。最初に思いついたのは空の部屋だったが、電車が使えなければどうしようもない。眼についた公園に入る。
ベンチに座ってぼんやりする。
煙草が吸いたくなる。ときどき空がそうするように。けれど物心ついたときから自販機は既にタスポとかいうカードが必要になっており、未成年と見ればコンビニでも売ってくれない。携帯の電池はとっくに切れている。時間を埋めるには夜が長すぎる。
月を見上げて途方に暮れる。私はここでなにをしている?
桐生椿希は不躾というほど不躾な女ではなかったが、それでも我慢ならなかった。忍耐力の限界にきていた。車の戸を蹴り開け、飛び出し様に叩きつけるように閉めて、運転席の男に向かって中指を突き立てた。
「出直してらっしゃい」
直接的な侮辱に男の唇が歪んだ。椿希はなおも言った。
「話しててなにも感じない人間のために時間を割く趣味はないわ。つまんないのよ、あなた」
男は椿希を睨んだ。椿希は軽く首をかたむけ、挑むように眼を眇めて見返した。
アクセルが踏まれるより先に椿希は踵を返した。エンジン音がうるさく夜を割り、ふと終電の時間さえとうに過ぎていることに気づいて少し後悔する。しかし、これ以上話題を引き伸ばすのはもうごめんだった。
夜を越す施設の見当たらないような駅前で、仕方なくコンビニで煙草と酒を購入する。椿希には土地鑑がない。静岡から出てきてまだ二ヶ月しか経っておらず、この地のことはなにもわからなかった。だが、居場所がないことに慣れきってしまう程度には自分というものを味わいすぎていた。
ひどく小さなものながら公園を見つけ、これ幸いと立ち入る。遊具のひとつもなかったが、ベンチがひとつだけぽつんと置かれていた。それだけあれば文句はない。
が、「あら……」
ベンチには先客がいた。どこか寄る辺のない表情をして夜空を見上げていた。
それが大人であればなにも思わなかっただろう。しかしその者は明らかに小柄で、顔も体格も小学生並だった。表情だけがひどく大人びていた。興味を覚え、椿希は近づいた。少女だった。
少女は獣めいた素早さで椿希に振り向いた。目線が一気に油断のならないものになり、全身に警戒の色が浮かんだ。どこか野犬を思わせる仕草があった。
「こんばんは。家出でもしてきたの?」
「……」
「私のほうは終電を逃しちゃってね。隣空いてるかしら」
少女が警戒を緩めることはなかったが、腰の位置をずらして椿希に場所を譲った。椿希は微笑んで礼を言い、そこに座った。
暗がりのなか、天見は女を横目で観察した。
見たところ二十歳かそこらで、長々と流した黒髪に、赤紫色のメッシュが一筋、額にかかっている。整然として涼やかな顔立ち。酔っているのか、わずかに頬が赤らんでおり、膝に置いたコンビニのビニール袋から、細い指先が缶ビールを取り出す。手のひらにタコができているのが見えた。空や杏奈のようなクライマー特有の凸凹ではなく、細いものを握り締めてできたようなものだった。
立ち去るべきかどうか思案する。しかし、危険な感じはない。何処かへ行く当てもないのだ。軽く上体を傾けていつでも抜け出せる態勢を整え、態度は保留する。
薄く口紅を塗った、女の唇が煙草を咥える。
しかし、そこで舌打ちが聞こえた。
「ライター買うの忘れちゃったわ」
天見は反射的にポケットを探っていた。
昼間、丹沢湖に到着する直前に、ガス缶を使って棒ラーメンを食べており、ライターをポケットに突っ込んだままだった。燃料の残りは充分にある。
少し考えて、女に差し出した。
「どうぞ」
「あら」女は少し眼を瞠って、「ありがとう。でもどうして持ってるの?」
「必要だったんで」事情を説明するつもりなどなかった。そして続けざまに言う。「代わりに一本ください」
「ふぅん……?」
しげしげと観察する眼が返ってきて、天見は甘んじてそれを受けた。なにも弁明することなどないかのように。硬い無表情は崩さない。誰に対しても愛想を振り撒くつもりなど毛頭ない。
「未成年の喫煙は言うまでもなく禁止されてると思うのだけれど、私の勘違いだったかしら?」
「だったら私はこれから犯罪者になるんでしょう。けど、どうでもいい。吸うんですか? 吸わないんですか?」
「ちょっと躊躇っちゃうわね。他に誰かいる?」
「いいえ」
「……ま、いっか。内緒にしておいてね……それと、二本以上あげるつもりはないから」
天見はそうして一線を越える。
加減がよくわからない。慎重に紫煙を吸い、吐き出した。味というほどの味はわからない。手元でちりちりと燃える火が少し可愛くて、じっと見つめてしまう。噎せるようなことはなかった。初めてのはずなのに、どうすればいいのか感覚的にわかってしまうような、懐かしいような、馴染み深いものであるかのような心地がした。
前世かなにかで吸っていたのかもしれない。落ち着きを取り戻し、いらいらしていた感情がすっと遠退くように思えた。両親のセックス――だからなに? ばかばかしい。
「この辺の子?」
天見は頷く。「ええ」
「私は――」言いかけ、自分で戸惑ったようだった。「近くに住んではいるのだけれど、それも二ヶ月前からでね。実家は静岡のほう。この辺のことは全然知らないのよ。どこか夜を越せそうなところはあるかしら?」
「知ってたらこんなとこいやしません」
「そうよね……そう。困っちゃったな。始発まで四時間か」
「物騒でもないんで大丈夫だとは思います」
「ありがとう。まあ、なんとかなるかな」
そう、大丈夫だ、と自分にも言う。
ビヴァークの練習にもなる。ツェルトもシュラフもなく、窮屈な場所に身を落ち着けて座り込み、じっと朝陽を待つだけの時間。山でそうなるかもしれないなら、下界でそうなったところで予行にしかならない。そう考えれば気は楽になった。
煙草が短くなる。地面に押しつけて火を消す。
「あなた……えーと?」
「姫川」
「姫川さん。火、ありがとうね。はい、灰皿」
「どうも」
暇に飽かせたのだろう、「私は椿希」
「花の?」
「ええ、ツバキ。あのぽとっと落ちるやつ。希望の希がくっつくんだけど、黙字ってやつね。冬にもよく見るでしょう?」
「あまり……意識して見たことは」
「花椿は春の季語だけど、寒椿や冬椿ってことばもあってね。私の実家のあたりにはたくさん咲いていたわ。通学路なんかには、それこそ歩く場所さえなくなってしまうほど、そこらじゅうに花が敷き詰められたみたいに。愕だけ残して丸ごと落ちるから、風でなかなか飛ばないのね。綺麗は綺麗だけど、不気味でもあったわ」
「不気味?」
椿希は手のひらを上に向けてみせた。
「いまじゃあんまりイメージ湧かないけど、昔のひとは斬首を連想したって言うわね」
手のひらを返し、下に向けて、
「いまでも病人に持っていってはいけない花みたいね。そういうタブーは多すぎてうんざりするけど。菊や、青白紫の花だけもダメ。鉢植えの花も、“根付く”が“寝つく”にかかるからダメ。季節の花まで考慮するとうんざりしてくるわ。結局、年中いつでも使える薔薇がいちばんってことね。
まあそういう花。私とはそんなに関係ないけど」
天見は怪訝な眼で椿希を見つめた。なにが言いたい?
椿希は軽く肩を上げてみせた。
しばらくして、さすがに両親の行為も終わっているだろうと天見は思った。それがどれだけ時間の要することなのかあまり想像がつかないが。知識はあっても当然経験はない。とはいえ、あの淡白な父親が長々とやるとは思えなかった。夫婦の仲は悪くはなかったが子供の眼から見て良くもなかった。情愛を示すことがまずないのだ。天見には彼らがただ義務感で夫婦をやっているようにしか感じられなかった。
天見には愛という感情がわからない。空が山に対して示す態度を愛というなら、まだ理解できる。あるいは、自分が山に持ち始めている感情に関しても。だが両親がそれを持っているとはどうしても思えない。
そういえば杏奈が告白されたとか言っていたような気がするが、あれはなんだったっけ? 考えかけて、あまり思い出せないのでやめた。あとは紡か。いまの時点でもう将来結婚しようと考えている――
自分がそうできるようになるとは想像もつかない。自分の家族生活を顧みて、あんな風な家庭をつくるために誰かと連れ添いたくはない。それが幸福だと誰もが語ったとしても私がそうだとは思えない。破滅への道のようにしか感じられなかった。
深く考えれば考えるほど宙を睨む。
公園の電灯が円く光っている。惹きつけられた羽虫がちりちりと飛んでいる。
ややあって、天見は立ち上がった。「もう行きます」
「あら。もう少しお話できない?」
「……」
「暇なのよ」
天見は椿希を見るというよりは見据えた。
椿希は軽く手を上げてにこりと笑った。「怖い眼をするものね。あなた、幾つ?」
「十三……」
「私は二十。不思議ね。あなたもう人生の贈る悪意を味わい尽くしたって顔してるわ。十三ってことは、ついこのあいだまで小学生だったってことね。失恋でもしたかしら?」
登校拒否の生徒に送られる目線はもう厭というほど浴びてきたが、それが人生の悪意すべてだと思ったことはない。簡単に言う。「恋したことはありません。せいぜい反逆の代償くらい」
「反逆の代償」椿希はくすりとした。「面白いこと言うわね」
「面白い? くだらないだけです」
「にわかだけど、私もいままさにそれを味わってるところ。なんてね。どんな気分?」
土足で踏み込まれる感じがした。「なにもかもがクソだって気分。自分が全世界にとって不要なクソに成り下がったような」
“代わり”が生まれたらますますそうなるのだろう。弟だか妹だか知らないが。
ある種の実感がある。私はこの先、二度と、なにがあろうと、事態がどう転ぼうと、両親と和解しわかりあうことはないだろう、と。それは願望やひねくれではなく、感覚を越えたところにある感覚のもたらす、完全な予感だった。親という自分の影。それすらと愛を築けない人間がこの世のなにに必要とされる?
「それでも退けない」天見はどこまでも硬質な声で言う。「ここで退けば私は私じゃなくなる。私の抱いた全感情に賭けて手のひら返しはできない。これは意地じゃない。偽りのない心ってやつだ」
すべてを引き剥がしたときほんとうの自分が見える。それに対して責任を取るのは他の誰でもなく、自分自身だ。たとえほんとうの自分が途方もなくどす黒いなにかだったとしても。上っ面で白く演じるのはなによりも自分を産んだ慈悲深いなにかに対する冒涜でしかない。
媚びは売れない。それだけの話だ。
椿希は興味深そうに言う。「ご立派ね」
天見は鼻を鳴らす。「満足ですか?」
椿希は軽く手を振る。「火、ありがとう。助かったわ。借りたままでいい?」
「どうぞ」
「いつか返すわ。また会いましょう」
天見は沈黙を返答にして踵を返す。
帰り道、天見は道端に散らばった椿の花を見つける。夜の底で紅い花が斬り落とされた首のように転がっている。意識してようやく気づく光景だった。こんなところに……
しかし、天見が連想したのは首ではなく、グランドフォールしたクライマーだった。雪崩に呑まれて遭難・行方不明というニュースを、今年の冬に何度も目にしていた。それに対する批難ももう何度も耳にしていた。山を舐めた。どうしてわざわざこんな時期に。しかし当事者の側にいる天見は別の言い分も持っていた。登ったのではない。登らざるを得なかったのだ。
どうしてこの衝動を無視できる? 偽りのない想いを偽っていられる? 正直者は果たしてどちらだったのか。善なるものすべてを引き剥がしたとき、最後の最後まで誠実であった者は、罪を犯したほうか罪を断罪するほうだったのか。
少なくとも天見の答えは明白だった。明白以上に明確だった。
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コメント
どういう風に関わっていくのか、ぱっと見じゃ想像できないキャラクターですね。これからの展開が楽しみ。
フロンティアは……ソロで進めるのは本当に厳しいゲームなので、氏のプレイスタイルに合うかどうか。
エスピナスとかベルキュロスとかF限定の良モンスは多いので、のめり込まないようにやるのはいいと思います。あと特殊リーチ逆輸入はよ。
フロンティアは……ソロで進めるのは本当に厳しいゲームなので、氏のプレイスタイルに合うかどうか。
エスピナスとかベルキュロスとかF限定の良モンスは多いので、のめり込まないようにやるのはいいと思います。あと特殊リーチ逆輸入はよ。
posted by NONAME at 2013/12/07 22:47 [ コメントを修正する ]
>>446様
主役の出番が圧迫されるのはよくあること(キリッ
批難はどうしても眼についてしまうんですよね。仕方のないことではありますが、それが世間の声だと思うとやりきれなくなります。はぁ。
とにかくこちらは細々とやっていきますよ!
>>2様
やっべこれからどうしようと汗がだらだら(ry
>>3様
やっべこれからどう関わらせようと(ry
フロンティア、いま入門者向けのイベントいろいろやってるみたいで、お試し気分でダウンロードしてやっていますが、こいつぁマゾいぜ……! テンプレのククボ装備つくるだけでこの労力! ただ一時ラスタとか、ソロにもある程度優しい仕様になっているようで、もうすぐHR100です。SRとかG級とか遠っ!? あとロビー装備逆輸入マジ希望。ガンナーザムザ装備可愛すぎで変な声出た。
主役の出番が圧迫されるのはよくあること(キリッ
批難はどうしても眼についてしまうんですよね。仕方のないことではありますが、それが世間の声だと思うとやりきれなくなります。はぁ。
とにかくこちらは細々とやっていきますよ!
>>2様
やっべこれからどうしようと汗がだらだら(ry
>>3様
やっべこれからどう関わらせようと(ry
フロンティア、いま入門者向けのイベントいろいろやってるみたいで、お試し気分でダウンロードしてやっていますが、こいつぁマゾいぜ……! テンプレのククボ装備つくるだけでこの労力! ただ一時ラスタとか、ソロにもある程度優しい仕様になっているようで、もうすぐHR100です。SRとかG級とか遠っ!? あとロビー装備逆輸入マジ希望。ガンナーザムザ装備可愛すぎで変な声出た。
posted by 夜麻産 at 2013/12/08 08:06 [ コメントを修正する ]
空さん、出番食われてるよ!
さておき。
富士山滑落事故、報道を聞いてる限り救助隊はベストを尽くしていたように思うし、被害者たちの入山理由も救助訓練という社会的にみても真っ当な理由。
それでも粗を見つけて難癖付けようとする報道とかネットの人々とか。
非難するための報道とか、当事者たちにとって迷惑でしかない。
いーからほっとけよ、外野。と流石に思わざるを得ない。
…愚痴になってしまった。お目汚しでした、失礼しました。
ともあれ、気にせず健勝にお過ごしください。