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2025/02/08 09:55 |
そらとあまみ 41
オリジナル。主に登山でサブに微百合。次回で一段落します。


十代の可愛い女の子書いていちゃいちゃさせたいと思いはすれど私の作風的にやっぱり三十路くらいの女を書いて彷徨させるのがいちばん安定するっていう。
東方のキャラは見た目少女なのに実際には何百年も生きてるから書くの楽しかったなあ。お嬢様(五百歳)とか。ロリキャラ書いてうまくロリになったキャラって霊烏路の空くらいしかおらへん。阿求もキスメも十二歳前後を想定してたけど作中ではあんな感じにry

……思い返すと児ポ法で突っ込まれたらわりと言い訳できない件。フェードアウトしたらああこいつ逮捕されたんだなとry


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 ――腕を伸ばせば触れ合えるような至近距離で、コヨーテと向き合う機会を得たのは、もう十一年もまえのことになるだろうか。
 十九歳、アメリカのクライミング・トリップに出て一年目。
 ふと思い立って足を伸ばしたカリフォルニアの、デスヴァレー国立公園――砂漠地帯を歩いていたときのことだった。

 砂漠というよりもほとんど荒野のような光景で、ひび割れた岩礫の地面と、炎のような陽光の下で、陽炎が踊っていた。乾燥した空気に唇が切れて、流れた血もすぐに水気を失って黒く固まり、砂埃で視界は悪く、全身の皮膚がざらついていた。
 隆起した岩が風化して、砂塵を纏っていた。焦げ茶色の光景。軽いカルチャー・ショックを受けているさなかで、命の気配を感じ取る器官もどこか麻痺していたのだ。後ろから跳びかかられて、首筋を噛み切られても文句を言えない状態にあった。ちょうど髪をばっさりと断ち切った直後のことで、それまでは膝くらいまであった髪の先も、首筋をさらけ出すくらいに短くしていた。

 つい先日知り合ったドイツ系の移民の子孫、ジプシーとインディアンに弟子入りしたとかいう自称呪い師の老婆から、コヨーテに気をつけな、とありがたい忠告をもらったばかりで、注意していなかったわけじゃない。
 ただ、気づけなかった。そいつは砂塵に紛れ、砕けた岩の隙間を縫うように、あたしの横に並んで歩いていた。気づいたときには、そいつはあたしのすぐ横にいて、小さな高台から、あたしを見下ろすように眺めていた。

 どきりとしたときには、手を伸ばせば触れられるところにいた。
 かなり大型の個体だったように思う。尻尾を含めれば二メートルくらいはあったし、体高も、一メートル近かった。砂漠と荒野に溶け込む褐色の毛に、どこで傷つけたのか、小さな孔の開いた右耳が特徴的なやつだった。
 もちろん、見るのは初めてだった。犬や狐とは違うとはっきりわかった。それはそいつの纏っている空気からしてなにかが違っていた。なにが、と突っ込んで問われると困るけれど。
 群れの気配はなかった。孤狼……

 危機感よりも先に感慨を覚えた。
 砂混じりの乾いた風のなか、コヨーテの湿った吐息さえ感じられる距離。舌と牙が垣間見えても、まだ、噛みつかれるとは思わなかった。そいつの眼には、飢えや敵意といったものが欠け落ちていた。品定めされていたのかもしれない。透明な黒い瞳。
 熊の対処法はしっていたけれど、それがコヨーテにも通用するのかな、とか呑気に考えて、どうしようか迷った。じっくりと観察していた。あたし自身、身動きも取れずに、振り向いたら首の後ろをやられそうで、恐怖ではないけれどそれに準じた感情があって、たぶん、その数秒は間抜けな時間だった。

 お互い微動だにせず、どれくらいそうして向き合っていたのかわからない。
 風の音がうるさかった。耳に砂が入り込んでくるのが鬱陶しかった。
 なにを考えていたのかも、よく覚えていない。見逃してくれよ、と願っていたような気もするし、噛みつかれて病気でも移されたら厭だな、とも思っていたかもしれない。いまとなっては、そいつの眼の色だけをよく覚えている。なにに媚びることもなく、ただありのままの情景だけを映す、ありのままの漆黒だけを。

 どちらが先に背を向けたかすら、明白じゃなかった。
 デスヴァレーを照らす太陽はどこまでも眩しく、剥き出しだった。灼熱の道を歩きながら、ずっとそのコヨーテのことを考えていた。いまでもときどき思い出す。ある種の――憧憬めいた想いとともに。
 もし、弧狼のように生きることができたら、と。砂嵐の荒野を、黙々と歩き続けて……外界から向けられるどんな批判にも応じず……




 西丹沢は、東丹沢に比べて、深奥というのが相応しい様相をしている。表尾根を始めとした気持ちのいい尾根道の繋がる東丹沢に反し、こちらの大室山や畦ヶ丸なんかはブナやカエデの樹林帯のただなかで、展望が広がっているほうが珍しい。
 比例して、人気が薄い。アプローチに少し手間取るのも要因だろう。登山口まで駅からバスで二十分の塔ノ岳や、伊勢原や本厚木から本数の多い大山に比べて、新松田駅から西丹沢自然教室までは一時間以上かかるし本数も少ない。

 標高が低いのとあいまって、深山だ。今日も、このあたりは山霧に覆われている。
 檜洞丸を目指して、石棚山から石棚山稜をゆく。春が深まれば初夏までツツジの花の乱れ咲きが期待できる場所だけれど、いまはまだ冬の残り香が濃い。今年の冬は寒かった。年毎に当たり外れの多い花だから、今年はそれほど咲かないだろう。整備された登山道にはところどころ雪がつき、ブナの林も凍りついている。この時期でこれほどなのは、珍しい。
 故郷の茅野に比べれば暖かいけれどそれでも寒い。フリースのジッパーを首元まで上げる。

 人の気配が感じられないということは、天見の影も見当たらないということだ。
 何度も立ち止まって、彼女の姿を探す。日程的にはここらで会えるはずなんだけど、昨日の天候で、どうなっていることやら。諦めてもう下山しているかもしれない。そのほうが安心といえば安心なんだけど、なんとなく、天見だったら続行している気がする。

 檜洞丸の山頂……
 標高は1601メートル。西丹沢の盟主だろう。
 青ヶ岳山荘の傍でザックを下ろして、座る。白く息づくブナの林のなかで、雲霧がゆっくりと流れていく。枯れた枝の合間から見える上天は白銀色で、雲と陽光が複雑に絡み合い、暗いようで明るい。幽玄、とでもいうんだろう。幽玄って意味はよく知らないけど。
 煙草を吸って一息いれる。紫煙と雲霧はすぐに見分けがつかなくなる。

 天見と会って話さなきゃならないことを色々考えているんだけれどどれも大して意味のないことばでしかない感じがする。
 彼女のやっていることを咎めるのは簡単だろう。他人に迷惑をかける自由は自由じゃないとか、偉ぶってそれっぽいことを延々と並び連ねればいい。後ろめたいことのない善人の側に立てばそうでない者を糾弾するのは容易だ。でも、あたしがそれを言う?
 盗人猛々しい。釈迦に説法。
 あたしは教師じゃないし、聖人でもなければ、政治屋でもない。他人に教え諭す説教の持ち合わせはひとつもない。ザイルの繋ぎ方を多少知ってるだけのつまらん女だ。陽子が期待しているように、天見を真人間に引っ張り上げることなんかできるわけがない。

 だったらどうして……こんなところにいるのか。
 どうしてだろうな。

 檜洞丸から蛭ヶ岳へ伝う登山道は、丹沢主稜の核心部と言っていい。臼ヶ岳を経由して、ガレや鎖場なんかもちょこちょことある。コースタイムで三時間半。それに、雪も残っている。
 山梨県側の景色がブナの樹木の合間から覗く。反対に、神奈川県側――松田町や山北町のほうはもう見え辛い。
 あたしの神経をざわつかせるようなコースじゃない。静謐のなか、黙々と下って、登る。陽光が雲を透かして金色に輝いている。ゆっくりと呼吸を繰り返して、この山域の、冬の最後の吐息を存分に肺へ送る。

 天見も同じ空気を吸っているんだろう。彼女の考えていることなんかわかりっこないけれど、せめて楽しんでいてくれればいいと願う。ひとりきりの吹雪のなかでは、自分の心の動きだけが頼りだ。厭に感じた途端、風雪は棘混じりの壁となり、全世界が刃となって肉体をずたずたに傷つける。逆に高揚を保ってさえいれば、なにもかもが楽しみとなる。
 難しいところだ。自分次第っていうのは。
 中学に入って、天見はなにか変わったんだろうか。バスケ部に入ったとは聞いた。帰宅部とどちらがマシなのか、あたしにはわからない。山以外の楽しみを見つけるのが悪いことだとは思わない。あたしには想像もつかないことだけど。




 金山谷乗越から、蛭ヶ岳の山頂まで急な斜路を登る。
 左右の崖は崩壊しかけていて、日当たりがいいからか、雪のところどころから黒い岩壁が覗いている。鎖を握りかけて、ふと気配を感じて振り向く。

 鹿が登山道を横切るところだった。ねじれた角が立派な、大きな牡鹿だ。
 至近距離で眼が合い、見詰め合ってしまった。野の獣特有の、不可解さと不気味さの入り混じる透明さが、あたしの間抜け面を映して強張った。

 丹沢で鹿は珍しくない。深刻な食害が問題になるほど、頭数が増えて、人気の多い塔ノ岳付近の稜線でも、かなり人間の近くにまで寄ってくる。熊のように襲い掛かってくることもないのが救いだ。顔を戻して、鎖を登り切る。
 なだらかな斜面。後ろから鹿があたしを追い越して、軽やかなステップで先をゆく。蹄が踏み締めた雪が飛沫を上げ、薄い陽光の下できらきらと星のように輝く。
 その先を見上げる。そうして、はっと目を見開く。

 「――天見」

 銀色の曇天を背負って、その子が例の無愛想な表情であたしを見下ろしている。ヤッケをはためかせて、いつの間にか金色に染めている髪をなびかせて、その双眸は、いまの鹿と同じように不可解さと不気味さを混ぜ合わせてあたしの姿を映していた。
 あるいは、あの荒野のコヨーテのように。その眼はどこまでも独りの光を宿して、闇のように炯々と輝いていた。




 天見はそれが空だとすぐにわかった。老婆のような白髪を見間違えようもなかった。けれど、しばらく見ないうちに、頭頂部は鴉の羽根のように黒く染まり、また、先端が肩に届くほど伸びてもいた。けれど、やはり空は空だった。纏う空気の色が他の人間と根本から違っていた。

 まず思ったのは、空は私を連れ戻しにきたのだろうか、ということだった。母になにか言われたのだろうか。こんなところで鉢合わせになること自体、妙だった。
 実力不足を指摘されればなにを言い返すこともできない。けれど、天見は空にそんなことを言われたくなかった。空がそんなことを言うとは思いたくなかった。だから、問いかけた。念頭にあったのは葛葉や芦田のことばだった。

 「空さんは」声音はあくまで固かった。「正義の味方ですか。それとも正義の奴隷ですか」

 空は眼を眇めるようにして天見を見つめた。「正義?」首を傾げて――「なにを言ってほしいのか、よくわからないけれど。正義ってそりゃ、より多数の者の利益ってことだ。幸福って言ってもいい。で、その“多数の者”のリストのなかに、あたしの名前が刻まれてた試しなんて、生まれてこのかた一度だってなかったね」

 鹿が天見の横をすり抜け、どこかへと立ち去った。空はその背中が見えなくなるまで見つめて、ふっと微笑むように、表情を和らげた。

 「だって、そうだろ? あたしが登り続けたところで、誰も幸せになんかならないんだから。あたしが登り続けることなんかこの世の誰ひとりとして望んじゃいないんだから。迷惑だって、面と向かって罵られたこともあるよ」
 空の声に濡れたものが混じった。
 「いっぺん、そのつもりはなかったのに、未踏ルートの初登を掠め盗るようなかたちになっちまったことがあって。あたしは単独行で、彼らは山岳会のバックアップを盛大に受けて、一大イベントみたいに盛り上げて登ろうとしてた。テレビ局のカメラマンまで同行してた。だから余計に顰蹙買っちまって。よくもたった一度の機会を台無しにしてくれたな、って。
 あたしは知らなかったんだ。でもそんなのも彼らには関係のないことだった。あたしは計画を横取りした卑怯者になってしまった。単独行だからあたしをフォローしてくれる仲間もいなかった。あたしはいつもひとりきりだった」
 天見は空を見つめ続けた。
 「誰かと争うのが心底ばかばかしくなった。山ってフィールドを共有すること自体が辛くなった。それで何度もやめようと思った。で、実際に一度やめて、結局、また戻ってきちまってる」

 空は声音を戻して言った。
 「あんたに言わなきゃならないことがあったはずなんだけど、登ってるうちに全部どっかへ落っことしちまった。あたしってやつはほんと、もうなんの擁護もできないくらい頭の悪いバカ女なんだろうね。けど、少しいいかい? ちょっとばかり腰を下ろして、お話できる余裕はある?」

 天見は頷いた。「はい」
 空は微笑を深めた。「ありがとう」

 一陣の冷たい風が吹き抜け、ふたりのあいだの空気を揺らした。消え入る炎のようなささやかさで、互いの視線が緩く絡んだ。
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2013/09/01 10:29 | Comments(2) | SS

コメント

正義の奴隷って良い言葉ですね。いただきです。
こんな質問をされたら自分が正義だーとか言いそうですね。
自分が良ければ良いんです。
空さんは正義が嫌いそうだなあ。

空さんが姫ちゃんの味方なのは明々白々ですがどんな話をするのか楽しみです。
posted by 無題 at 2013/09/01 21:44 [ コメントを修正する ]
>>無題様
せいれ☆んあたりから対正義がテーマになってます。いやそれほど深く掘り下げてるわけじゃありませんがっ
いろいろと葛藤して迷走しております。やっと「そらとあまみ」って構図に還れたことにほっと一息。
posted by 夜麻産 at 2013/09/07 17:51 [ コメントを修正する ]

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