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2024/05/17 17:05 |
(東方)
 
 闇黒片 ~Chaos lives in everything~

 
 
 Stage2 紅魔湖畔
 
 ――メイドのおしごと 撃滅編


前編  中篇・後編は下の記事に

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 温かい布団のなかで眼が覚めた。橙は丸めていた身をぐぐっと逸らして顔を出し、両手を突いて大きく伸びをした。あたりは明るく、障子越しの光はすっかり真っ白になっていたが、まだ起きなくてもいい時間だということもわかっていた。落ち着いて、あと半刻ほどはうとうとしていられるだろう。長い欠伸をひとつ打って、また寝転んだ。
 すぐ鼻先にルーミアの顔があった。
 
 「……はあ?」
 
 もう一度上半身を起こして見下ろすと、剥き出しの肩に白い肌。呑気な寝息をくーすか立ててまどろんでいる。毛布をめくると、真横からの朝陽に晒される小さな裸体。
 んーぅと低く唸って伸ばされた手が橙から布団を剥ぎ取った。からだに巻きつけぐるんと横転、毛布ごと温かみを奪われた橙はぶるりとからだを震わせて細くくしゃみをした。そのあと目許を手で覆って溜息をひとつ、毛布を掴んで力任せに腕を振り、畳の上に中身を追い出す。ルーミアのからだがびたんとうつ伏せに潰れた。
 
 「なんでスッパで私んとこに潜り込んでるの?」
 
 寝惚けまなこが虚ろに橙を映す。ごしごしと眼を擦って上半身を起こしたルーミアは、両拳をぐぐぐと天に向けて伸びをする。反り返った背筋に平らな胸、凹凸に乏しい腰から脚の先まで隠すものはなにもない。おはよ、橙。唇をぐなりと揺らすような挨拶に、橙はただじと目を向けるのみ。
 ごそごそと再び布団に戻ってくるルーミアの頬を両手で包み、きっかり二秒置いてから思いっきりつまんで引っ張る。もう一度同じ質問、なんであんたスッパで私の布団潜り込んできてんの。ルーミアはむにゃむにゃ言って首を振り、橙の指から離脱した。
 
 「すぐにわかるよ」
 「なにが?」
 「橙さまー! 朝ごはんの準備できにぎゃあああああああああああ!?」
 
 ばしんと元気よく開かれた障子の向こう側に絣。いきなり飛び込んできた、寝間着姿の橙と対峙する全裸のルーミアという光景に驚愕、神社全体に響くような声で絶叫する。橙は思わず耳に手を当てて顔をしかめる、ルーミアはその一瞬に寝起きとは思えない俊敏さで後ろから抱きついた。
 
 ますます混乱する絣が叫ぶ。「なにしてんですか朝っぱらからっ!?」
 ルーミアは橙のうなじに口を埋めながら言う。「見てのとーり。んーっ、ちゅ」
 「わーっ! うわああーっ!!」
 見る見る間に顔を真っ赤にする絣に向かって、橙は、「いやなにもしてないんだけど」
 
 絣にしてみればルーミアが神社に潜り込んでいるというだけで卒倒ものだというのに、そのうえ橙に裸で抱きついていて、なんだかそんな感じの雰囲気を醸し出しているというのだからたまらない。絣は今年で若干十二歳、初恋もまだの少女にそうした光景は刺激的すぎた。
 そんな反応に気を良くし、調子に乗ったルーミアの手が橙の胸元をもぞもぞと這う。橙はげんなりして彼女の手をぱちんとひと打ち。そんな仕草にまで親密以上の親密さが染み出しているように見え、うろたえた絣は唇をわななかせて後退り、敷居にかかとを引っ掛けて盛大にスッ転ぶ。後頭部がどーんと痛々しい音を立てた。
 
 「不潔ですーっ!! わあああーーーーーっっっ!!!」
 橙がなにかを言うまえに、絣はそのまま四つん這いで逃げ出していってしまう。
 
 橙はがっくりきてしまい、どうして朝からこんな疲れる目に遭わないといけないのかと途方に暮れる。まだ背中に引っ付いてうずうずしているルーミアの額にでこぴんをかまして立ち上がり、腰に手を当ててじと眼を向ける。
 
 「どういうつもり? 子供をからかって楽しい?」
 ルーミアはぷいとそっぽを向いてみせ、「橙は誰にでもいい顔するからきちんと見せつけとかないと心配」
 「はあ?」
 「優しくして勘違いさせるんだよ。良い子ちゃんはさ」
 
 言うや否や、ぎゅりゅりりゅりんと変てこな効果音とともに闇が広がり、一瞬で部屋を満たし、また一瞬で縮んで消える。ルーミアの姿も消えてなくなっている。
 橙はずきずき痛む頭を抱えて溜息ひとつ。私は私にできることをやっているのに、どうしてそんなことを言われなくてはならないのか。好きな相手以外には冷たくしろとでもいうのか。むーっと唸っても誰も応えてくれず、やがて苛立った手が空間を引っ掻く。スキマがぬぬぬねぬんと開かれ、安定するまえに橙の腕が突っ込まれる。
 
 「絣。出かける準備はできてるの?」
 
 橙が腕を引くと、後ろ襟を掴まれて涙目の絣がスキマから出てくる。橙を見上げ、部屋を見渡し、ルーミアがいないことを確かめてこくりと頷く。その顔に思い出したように緊張が走る。
 
 「は、はいっ。この通りっ、昨日一日使って遺書を書いておきましたっ!」
 胸元に手を突っ込んだ絣の手に分厚い封筒。
 「……」
 
 橙は封筒をひったくると中身に目を通す。頭を捻って考えたのだろう、随分と長いし、文体もきちんとしている。幼いなりに、真剣さが染み出しているようだ。橙は一応最後まで読み通し、それが遺書として体裁を保っていることを確かめる。そうして絣ににこりと微笑みかけ、
 
 「うん、ご苦労様。とってもがんばったね、読んでる側にまで気持ちが伝わってくるようだよ。でもすごくいらない」
 手のなかでびりびり破く。
 「あぁーっ!?」
 「殴りこみにいくんじゃないの。招待されて、お話を伺いにいくの。気持ちはわかるけど、見当違いもいいとこ」
 
 唖然とする絣の額にでこぴん一発。仰け反った勢いでスキマのなかにとんぼ返りし、元の空間でまた後頭部を打ちつけたのだろう、ごつんと重い音がスキマと廊下から二重に聞こえてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――同時刻 紅魔館
 
 
 
 閉め切られたカーテン越しの薄日が部屋を薄暗く照らしていた。桔梗は鉛のように重い腕を持ち上げ、ぼやけた視界のなか、サイドテーブルを闇雲に探した。小指に軽い感触が当たったと思うと、甲高い音を立てて床が鳴り、小さな眼鏡の琥珀色のフレームがベッドの下に転がった。
 
 「だるい……」
 
 呟きは、非難の色を交えていた。眼鏡は諦め、上半身を起こして額に両手を当てた。抜け落ちないアルコールの残滓で頭ががんがん鳴り響いていた、こうした朝にはいつも後悔ばかりする。
 春先であっても、夜明けはまだ寒い。ブランケットを手繰り寄せ、裸のからだに巻きつけた。桔梗の羽根は二重螺旋の蔦と花が薄く延び、飛ぶのも不得手なら防寒にも役立たず。毛布を落とさないように胸元を握り締め、冷たい床に爪先を置く。
 そうした動きに気づいたのか、こちらに背中を向けてブラウスに腕を通した、同室の妖精が振り返る。
 
 「桔梗は遅番ですか?」
 「中番。でなけりゃあんたとは付き合わない。体力バカ。死ね。水飲んでもう一眠りする」
 「起こしてしまいました? ごめんなさい、水差しならそこに」
 「どこ? 暗くて見えない」
 「あ、ちょっと動かないでください、眼鏡が足元に」
 
 寝起きとは思えない機敏な動きで黒髪ショートが屈み込む。自分の眼のまえで。桔梗は精一杯眼を細めて彼女の腕が自分の足を回り込むのを見届ける。図書館の主ほどにも眼が悪い桔梗は、そんな彼女の姿がもうおぼろげにしか見て取れない。年々、視力が後退している気がする。老眼かなと、厭になる。
 
 「はい、どうぞ」
 
 差し出された眼鏡を引ったくり、目許をごしごし擦ってからかける。視界がクリアになり、けれどもやはり薄暗い。彼女の黒髪も、同じく黒い不透明な羽根も、部屋の薄暗がりに溶けて見える。
 ワインの香りが残るグラスに、水差しからとぽとぽ。ぐいと一息に飲み干すと、頭がぐらりと傾く。連日の疲労に止めの昨晩、体調はわりと深刻にひどい。全部こいつのせいだ。今晩一緒にどうですか? いや。そう言わずにどうか。いやだって。そこをなんとか。あーもううるさい。ぐいぐい。ぐいぐい。
 
 「強引にさ……」
 「はい、なんですか?」
 「なんでもないよ。死ね」
 「桔梗は朝と夜のギャップがひどいですねー」
 「うるさいよ」
 
 さっぱりしたところでもう一度ベッドにダイヴ。少し考えて、カーテンを開け放って朝陽をたっぷり取り込む。吸血鬼のメイドだといっても陽光が苦手なわけではない。別に名前どおりに桔梗の妖精でもないので、光合成する必要もないのだが。
 彼女に眼をやるともうメイド服に着替えている。もう五百年以上――当主が乳飲み子だった頃からメイドをやっているので、新鮮さもなにもないのだが、それでも桔梗は、時折この視点で見る彼女の姿にある種の感嘆めいたものを感じるときがある。それがどういうところからくる思いであるのか、自分自身にもよくわからないけれど。
 
 「サクラ? 今日だっけ、巫女がくるのって」
 「ええ、そうですよ。例の件で……。だからきちんと準備しておいてくださいね、ご一緒するのは、たぶん私たちだと思いますから」
 「まあ大っぴらにメイド長寄越すわけにもいかないね……体調キッツイんだけど。誰かのせいで」
 「あ、そ、そうですか」
 「そうだよ――痛ッ、これ仰向けになれないじゃん、首の後ろに噛みつく癖いい加減になんとかしてくれない!? 傷口がいつまでも治らないんだけど」
 「ええ? てっきりそうされるのが好きなのかと――」
 「そんな風に思ってたわけ!?」
 
 どうりで妙にしつこいし、変な風にこだわると思った。桔梗は頭を抱えてサクラに背を向ける。なにをどう勘違いしてそうなったんだ。五百年来の同期なのにこうして噛み合うことのほうが少ない。
 
 「はあ、すみません、桔梗。だってとても良い声を上げるものですから――あ、そろそろ行かないと」
 「死ね。もう。さっさと行きなさいよ」
 「……」
 「なに? にじり寄ってくんな。まだなにかあるの?」
 「行ってらっしゃいのちゅー……」
 
 代わりにその顔を足の裏で押し退けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 数日前に、紅魔館から使者が寄越されていた。その招待状の筆跡がレミリア本人のものか、誰か別の者に書かせたものなのかはわからなかったが、少なくともそれは、先代と――博麗霊夢との最初の邂逅のときのように、戦意を介しているものではないようだった。
 
 「霊夢が引退してから、博麗とはだいぶ疎遠になったけれど」紅魔館へ向かう道すがら、橙が言った。「悪魔、だからね。霊夢個人とはともかくとして、巫女と大っぴらに親交を交わしはしない……ってスタンス。まあもちろん、表立って敵対するわけでもない」
 「わ、私、レミリアさんとお会いするのは初めてです……」
 「図書館にはよく忍び込んでたんでしょ? パチュリーさんや小悪魔さんとは?」
 「パチュリーさんはあんまり……小悪魔さんにはよく見逃してもらいました」
 紅魔湖の湖畔から館まで、隆起した陸の架け橋がある。ふたりはそこを歩いて渡った。
 
 正午を過ぎた、春先の強い光は、まだ冬の匂いを混ぜ込んで冷たい。氷精の勢力が強い紅魔湖ではそれがひとしおで、そうした清浄な空気のなか、紅い館は静かに浮き立っているようだった。
 威圧感のある門を見上げ、絣はごくりと喉を鳴らした。正規の経路で訪れるのは初めてである。橙はそんな絣の背中をそっと押し、自分は後方に位置した。保護者ではあるが、主役ではない。絣がゆくのに任せた。
 
 すぐに意を決したようで、絣は声を張り上げた。「イージーモードお願いしますっ!」
 橙は額に手を当てた。「だから殴り込みじゃないんだって」
 
 ひゅん、と風が一筋走って、絣と橙とのあいだに、美鈴が着地した。真面目に仕事をしていたのか、頭にナイフは刺さっていなかった。その眼が絣より先に橙を捉えた。
 
 「わっ、橙ちゃん? 久し振り! またおっきくなったんじゃない!?」
 橙は両袖を合わせて深く頭を下げた。「お久し振りです、美鈴さん。近頃はなかなか伺う機会もなくて、申し訳ありません。忙しくて……」
 「うん、うん。元気だったらいいよ。八雲一家だもんね、いろいろ大変でしょ? とするとこっちは――」
 
 がちがちに緊張する絣に振り向くと、絣のほうが先に、頭突きのように頭を下げた。
 
 「こんにちは、お久し振りですっ、中国さん!」
 「うん、よくきてくれたね、零無ちゃん! 橙ちゃんと同じでおっきく――えー――おっきく……?」
 「この一年で0,5センチ身長伸びました!」
 「……お嬢様と同じ? 成長期の女の子が……!?」
 
 橙と美鈴、ふたりと並んで立つと、絣の幼さがより引き立つようだった。少女というよりも、雰囲気はむしろ妖精に近いほどだ。絣ははやくもハートブレイクを引き起こしかけながらも、きっと美鈴を見つめ、
 
 「あ、あの、中国さん、これ――」
 小さな指が懐から招待状を取り出した。
 「ああ、うん、話は聞いてるよ。お嬢様は図書館。零無ちゃんにはそのほうが話しやすいでしょ」
 「ありがとうございますっ」
 「じゃ、通って――」
 
 美鈴は門を押し開き、仰々しくお辞儀してみせる。その眼がふと絣に止まり、ようやく見つけたように緩んだ。
 
 「なんだか妙な格好してるね?」
 「お、おかしいでしょうか」
 「ううん、そんなことないよ。でも、巫女としてはねー。初めて霊夢さんを見たときも、同じように思ったけれど……。いまの零無ちゃんは……」
 
 霊夢製作の、改造巫女服ですらなかった。それを基準に、フリルも袖も取っ払い、スカーフも外し、リボンもしておらず、余計な飾り立てのない、シンプルな赤いツーピースに成り果てていた。装飾過多が基本の幻想郷においては、地味すぎるほど地味に見え、もはや巫女どころか、博麗の体裁さえ保っていないように思えた。
 けれどそれは、絣にとってなにより『自分らしい』と思える格好を選んだためで、巫女や博麗といった立場はもう関係なかった。もちろん正式な儀礼などでは巫女服を着用するが、このようなときでは、この衣装に統一することを、自分で決めたのだった。
 そうした選択について、橙は良いとも悪いとも言わない。絣は絣だからだ。
 
 「でも、お嬢様は気に入ると思うよ。紅ならなんでもいいから、あのひとは基本的に」
 「う……だと嬉しいです。あの、中国さんはどう思いますか?」
 「いいんじゃない? ひとの格好に文句つけようとは思わないよ、私は。私だって故郷の記憶を引っ張ってきただけだしね。吸血鬼の館の門番としては、欧風の装束にするべきなんだろうけど」
 「中国さんは格好いいですよ!」
 「あはは。ありがと、零無ちゃん。さ、どうぞ」
 
 失礼します! と頭を下げて敷居を跨ぐ絣に、橙も続いた。
 橙は、おまえらお互い名前で呼んでやれよ、と心のなかで言ったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 才能ある妹が出奔し、絣が巫女を継ぐことになったときから、ほとんどの人妖のあいだでマイナス要素ばかりが囁かれ続けた。
 歴代の博麗を知る者たちは、なおさらだった。霊夢ほど才気煥発だった者もちらほらいたし、そうでなくとも、それぞれがそれぞれ、かなりの強者であったことは疑いようもなかったからだ。妖怪退治などが苦手でも、神がかり的な力を有し、儀式の手順を重ねることで強大な大妖を沈めた者もいた。巫女としてなにかしらの分野において、一目置かれる者ばかりだった。
 絣はそうでなかった。少なくともいまの段階では、誰の眼から見てもあらゆる才能が『零』であり、ほとんど『無』に近かった。
 
 幻想入りして、ようやく身の置き場所を見つけることができた、一筋縄ではいかぬ厄介な妖怪ほど、零無の継承に疑問を唱えた。
 博麗霊夢はそれほどまでに妖怪たちのあいだで大きな存在だった。自分たちを受け入れてもまるでびくともしない、強い受け皿として。
 幻想郷がスペルカードルール以前の幻想郷に戻り、また自分たちのような者が、イレギュラーなものになってしまうことを怖れたのだろう。彼女らは霊夢個人と親交を深めても、博麗とは関わりを持たない。霊夢がどこへか去ってしまってから、いくつかの例外を除いて、神社は妖怪と疎遠になってしまった。
 彼女らはまだ、絣を認めていない。取るに足らぬ月並み以下の小娘としか見ていない。巫女に不信感を表明し、大っぴらに敵対を公言して憚らぬ者も多々いるのだ。それこそ、霊夢が双子の姉妹を神社に住まわせるようになってから、ずっと……
 
 一方レミリアは妹が新しい妹を連れてきたぞくらいにしか思っていなかった。
 
 
 
 絣はもう見るも無惨なほど緊張しきってしまっていた。レミリアは絣のそんな反応を目の当たりにして、とても良い顔をして和みきっていた。
 「そう緊張するな。今代の巫女よ」と、レミリアはひどく尊大な調子で言う。「博麗霊夢は我が妹のような女だ。その血縁となれば、もはや妹も同然。姉の館と思って寛ぐが良い」
 「おおおおおおおお恐れ入りまっ、すっ」
 
 実際霊夢がレミリアの妹のようだったことなどただの一度もないのだが、この場合はレミリアを野放しにしてどっか行った霊夢が悪い。橙はそう思って突っ込みを完全放棄してしまった。
 図書館内の、パチュリーの私室。絣はここまで立ち入ったことなどもちろんないが、図書館の地続きであり、また主の意向から、部屋といっても図書館とほとんど雰囲気が変わらない。客をもてなすだけの机と椅子があり、照明がより一層薄暗くなっている以外には。レミリアはパチュリーと並んで座り、その後ろにそれぞれの従者が控えている。机を挟まず、彼女らと向き合うかたちで、絣は椅子の上に正座してしまっている。絣の様子を見て、橙は少し離れたところで溜息をついていた。
 
 「初めて出会ったときの霊夢よりも若いな。といっても当時すでに霊夢は歴戦だったが。異変を経験したことはまだないのか?」
 「は、はい」
 「ふむ道理で力らしい力を感じないわけだ。噂どおり、零無というわけか。ああ、なに、そんなに恐縮するな、初めてなど誰にでもあるものだ。この私にさえな。その身に資格があるのなら運命がおまえを導くだろう。資格がなければ運命を切り拓いてゆくがいい。が、うむ……これではあまりに……そうだな」
 
 レミリアは思案の色を浮かべた後、指をくいと動かして、
 
 「寄れ」
 絣はびくりと跳ねるように立ち上がり、よろよろと近づいていった。
 脚を組んで座るレミリアのまえまで行くと、ますます固まったようになった。レミリアは微笑を浮かべながら立ち上がり――驚くべきことにレミリアのほうが全然背が高かった――値踏みするように絣の頭のてっぺんから足の先まで見回した。
 
 「もう半歩後退りしろ。……そう、そこでちょっとだけ右を向け。ストップ。そうだな、その角度が好みだ」
 「へ? あ、あの、私はなにを――」
 「ちぇすとおッッッッッ!!!!!」
 レミリアのボディーブローが炸裂した。
 「ほぶはぁっッ!?」
 
 拳が見事に水月に食い込み、絣はくの字にからだを折り曲げ、膝をついて崩れ落ちた。橙は顔をしかめたが、大した音はしなかったので、ほんのちょっとばかり触れただけなのだろう。それでも絣はうつ伏せに倒れ、尻を高く上げてぴくぴくと痙攣していた。
 
 「略式だが、悪魔の契約というやつだ」とレミリア。「私の力の一部を貸し与えてやろう。抜本的な解決にはまったくならないし、己が手足のように使いこなすには百五十年ほどの修練が必要だが、なに、『ひのきのぼうからたけのヤリへ』くらいの助けにはなってくれるだろう」
 「――ぁ、ありがとうございますぅ……」
 
 レミリアは再び座り、頬杖を突いて絣が復帰するのを待った。絣は根性で立ち上がり、腹を抱えて自分の席に戻った。
 やがて自分の身に起きた異変に気づいたのか、両腕を持ち上げ、何度か拳を開閉して見下ろす。そうして振り返って橙を見、レミリアを見、もう一度橙を見る。
 
 「使い方はわかるな?」
 「はい、なんとなく……で、でも、あのこうしたってことは、レミリアさんがこれを使えなくなるんじゃ――」
 「当然だ。優秀な従者が主をふたり持たぬように、仮初とはいえ、それは一時的におまえだけのものになる」
 「そんな、申し訳ないです! すぐにお返しします!」
 「『私が』貸し与えたのだ。時期がきたら返してもらうさ。それにそんなものは所詮、このレミリア・スカーレット百の得物のひとつに過ぎん。よいか、絣よ。これはほんのちょっぴりの助け程度にしかならないし、忘れるな、過信してはならない。真の武力というものはこんな契約ごときに宿るものではないからだ。それは常に」
 
 レミリアは親指を自分の心臓の上に突き立ててみせる。
 
 「ここに宿るものだ」
 「……――!!」
 絣は雷に打たれたように背筋を伸ばした。
 
 
 
 ずっと手元の本に眼を落としていたパチュリーは、そこでようやく気づいたように顔を上げ、自分の胸を指し示すレミリアを見つめた。
 
 「レミィ」その指の先をじっと見つめ、淡々と――「ないわ」
 
 
 
 「おっぱいの話じゃねーわよっ!」
 レミリアは素に戻った。
 
 「ないわ」
 「やかましいわッ! パチェあなたちょっと私がせっかく良い話をしてるのにどうして腰を折るような茶々入れるの! 霊夢との第一印象があんまりだったから今回はうまく敬わせるように仕向けてたのにッ、これじゃ結局前回と一緒に」
 「私は事実を述べているだけよ。レミィ、そこにはなにもないわ」
 「自分がメロンみたいなおっぱいしてるからってー! なにもないってあんまりにもひどすぎない!? ちょっとはあるわよちょっとは! それに最近はっ、だんだん、なんか、たぶん、少しずつ、膨らんできてるんだからね!? 成長期なんだからね!? すぐにパチェよりおっきくなるもん!」
 「そうなの?」
 「いいえ、パチュリー様。ありませんわ。この咲夜がいちばんよく存じ上げております」
 「だからおっぱいの話じゃ……――咲夜ァーーーーーッッッッッ!!!!!」
 
 紅い闘気が爆裂したかと思うと、瞬きひとつしないうちに、主人と従者は爆風を伴って図書館から飛び出していったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 橙から見るとまったく悪ふざけのようにしか見えないのだが、それでも絣には衝撃的な邂逅だったらしい。首の根まで薄紅く染めて、ぼうっとしている絣の肩に、両手を置いて現実に引き戻させた。
 
 「絣?」
 「――。あっ……はい。す、すみませんっ、橙さま」
 
 言ったものの、まだぼんやりしている。茶化されたが、それでも紅魔館当主のカリスマにあてられ、夢見心地だった。ましてその契約が腹の底で息づいている状態では。
 
 「さて」とパチュリー。「当主が退席してしまったので、私のほうから説明します」
 なにを白々しく、と橙は思わざるを得ない。「レミリアさん抜きでいいんですか?」
 「あのふたりはあれでいいのです。こうでもしないと、ふたりきりにもなれないようですから」
 うまくダシに使われたのかな、と思う。
 
 分厚い本がぱたんと閉じられ、同時に絣の肩もぴくんと跳ねる。眼鏡の奥から、パチュリーの眼の鈍い光が巫女を見つめる。値踏みし、推し量るように。
 
 「何度かは会っていますね。妹と一緒に、よく忍び込んでいましたね。少しまえの魔理沙ほど無作法ではなかったにしろ、正規の手順を踏んできたわけでもなかった」
 絣は射竦められたように肩を縮ませる。
 「まあ、そのことは置いておきましょう。巫女となってからは自重していたようですし。ただ、あなたのほうがそうなるとは意外でしたが。妹の行方はまだ知れないのですか?」
 「はい……」
 「……責任の一端を感じないわけでもないのです。この図書館は魔道書だけでなく、外界について描かれたものも実に多い。多すぎるほどには。書物は時折、心を夢より遠くへ連れ去っていく」
 絣は重く首を振って応える。「本がなくても、妹はいずれここでないどこかへ旅立っていたと思います。たぶん先代さまも、そのことに気づいていたのではないでしょうか」
 
 パチュリーの後ろに立つ小悪魔が、絣に向けて片眼を瞑ってみせる。ちょっとした礼の証のように。軽く微笑みを浮かべた頬を、黒に近い紅の髪が掠め、彼女の周りだけにわかに明るくなったような空気になる。
 絣は不意を衝かれたように視線を泳がせ、そんな絣の様子に気づいたパチュリーが振り返ったときには、小悪魔はなんでもない無表情に戻って眼を伏せている。
 絣はちょっとどぎまぎしてしまい、心臓の上に軽く手のひらを置いて息を深める。
 
 「ありがとう。そのように言ってくれると気が楽になります」パチュリーは表情を緩める。「それとなく見逃していたのが気になっていましたから。子供が本に興味を持ってくれる嬉しさにかまけて、禁じられたものを与えていたのではないかと……」
 が、そんな柔らかい調子もすぐに収まる。魔女の謎めいた雰囲気が回帰し、絣は反射的に背筋を伸ばす。
 「話が逸れました。今日ここにきてもらったのは……巫女に頼むことなど昔からそう変わり映えもしませんね。さて――」
 
 
 
 絣は首を傾げる。「赤毛の悪魔?」
 「ことの起こりは一月まえになります。紅魔館へ食糧を納品にくる人里の業者が、紅魔湖畔で襲撃を受けました。被害は軽微で、まあ、荷馬車が破壊されたのと、抱えて持ち歩ける程度の野菜を奪われたくらいなのですが。そのようなことは幻想郷では日常茶飯事ですし。問題は」机の上に置かれたパチュリーの指先が、軽く本の表紙を叩く。「御者のひとりが誘惑されかけたこと」
 
 絣がそのことばの意味を飲み込むまで三秒かかる。「……え、は、はい?」
 
 「その御者は妻子持ちでしたから、もしそうなっていたとしたら身の破滅を免れなかったでしょう。もうひとりの御者の呼びかけで間一髪正気を取り戻し、背を向けて一目散に逃げ出したということです。似たような事件が、その日から今日に至るまで四度。すべて紅魔湖畔での出来事です」
 「あの、えと、誘惑って……?」
 「目撃情報を統合すると、背丈は大きくもなく小さくもなく、まあ成人女性の平均といったところ。男女問わず目線を奪われてしまうほどの見目に、なにより、鮮やかな真紅の髪が印象的だったとのことです。荷馬車を破壊したのが弾幕や魔術などではなく、異形の、無数の触手を有した怪物だったそうなので、恐らく召喚か使役か、そうした類の能力を備えているのでしょう」
 
 パチュリーはそこで眼鏡を置き、目許を抑えて息をつく。話すにつれて機嫌が悪くなってきたかのように、吐息に陰鬱なものが入り混じる。居心地が悪くなったように感じ、絣は思わず肩を縮めている。
 
 「十中八九、淫魔でしょう」
 「淫っ!?」
 「そんなことはどうでもいいですが、問題は」首を捻じって小悪魔を見上げ――「そういう噂に尾ヒレが付き、その赤毛の悪魔が、うちの小悪魔と混同されているところです。赤毛というだけでそうなるのはまったく噴飯ものですが、そうなるように仕向けられている節さえある。恐らくわれわれに対する挑発でしょうね」
 絣は固まっている。「淫……ッ!?」
 「小悪魔はもちろんそんなくだらないことはしません。私がこの名に賭けて保障します。なによりここ数ヶ月、彼女は自分の研究のためにこの図書館に引き篭もっていますし。ですので放っておくのがいちばんかとも考えましたが、正直こう、身内の中傷を知らぬところで引き起こされていると思うと」
 
 パチュリーは次のことばを剥き出しにして言う。
 「むかつく」
 
 室内の温度が実際に五度下がったように、絣は表情を引き攣らせる。ここにいないものへの威圧は、哀れにも眼のまえに座っている絣にもろに降りかかってしまう。パチュリーのことばは脅しに満ちており、本物の呪文のように室内を一気に駆け巡り、絣の心臓を打ちのめす。
 
 そうしたことばだけで絣をハートブレイクしたパチュリーは、一瞬置いて、取り繕うようににっこり笑いかけてみせる。「そういうわけで、こうしたことは昔から巫女に依頼するのが慣習かと思いまして。われわれ自ら出向くのはあちらの思う壺、でしょうし」
 「……、あ、は、はいっ」
 「もちろん、依頼するだけ依頼しておいて援助なしなどとも言いません。まあ当主の契約だけでも充分かとも思いますが。とはいえこちらは悪魔の館ですので、立場上おおっぴらに巫女にメイド長と組ませるわけにもいきません。妖精メイドをふたりほどつけましょう。所詮は妖精ですので、一騎当千などとは口が裂けても言えませんが、信頼はできるでしょう。紅魔館のメイド、ですから」
 
 絣はようやく事態を飲み込む。これはつまり、妖怪退治というわけだと。もちろん、生まれて初めての。
 振り向き、そ知らぬ顔をしている橙を見つめる。やっぱり遺書は残しておくべきだったんじゃないですかー! と。
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2012/03/23 22:55 | Comments(0) | 東方ss(長)

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