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2025/02/07 22:20 |
(東方)
 
 闇黒片 ~Chaos lives in everything~
 
 
 
 Stage3 山間雪原
 
 
 ――その道の中途で……


 後編


 

拍手



 台所を漁ると綺麗な水に浸けた鯉があったのでばりばり平らげた。腹が膨れるとミケはふと思い出し、眠っている少女の部屋に様子を見に行った。が、少女はもはや眠り姫ではなかった。うっすらと細目を開け、横たわったままぼんやりと部屋を見渡していた。
 
 「おッ。やっと眼ぇ覚ましたかい、嬢ちゃん」
 少女の眼がこちらを見たが、ミケは手をひらひらと振って、
 「オレはただの留守番だから、なにか訊くんだったら主が帰ってからにしとけな。オレはなーんも答えられないからさ。でも、もうワンテンポ速かったらなあ。あいつが行っちまうまえに」
 
 少女は困惑したようだったが、まだ万全な体調ではないのだろう、また眼を閉じて眠ってしまった。が、寝息は穏やかで、生きている者の活力があった。
 そのとき、神社の外で何者かの気配を感じ取った。絣が帰ってきたのかと思い、ミケはそこまで行った。けれど賽銭箱のまえにいたのは見知らぬ赤毛の、メイド姿の女だった。
 
 「誰あんた」
 「いやおまえが誰だよ」
 「紅魔館でタダ働きしてるメイドのここぁでーっす。絣はいないの? せっかくよーやっと休みになったから会いにきたのに」
 「ああ、あそこのひとか。オレはただの野良猫だぜ、巫女は留守だ。でもすぐ帰ってくるんじゃないかなあ、なかで待っとくかい?」
 「神社って禁煙?」
 「聞いたことないなあ、大丈夫じゃないか?」
 「じゃあおことばに甘えるよ、ありがとね。紅魔館さあ、全面禁煙で喫煙室もないし、マジ辛くて……」
 
 ここぁは一服吸うと、紫煙を天に向けて吐き出した。
 いまにも落ちてきそうな黒い雲が広がっていた。
 
 
 
 絣は墜落した。敷き詰められた雪が衝撃を弱めたが、一瞬、頭が根元からぐらつくほどの勢いだった。
 グレイズしきれなかった弾丸が全身を傷だらけにしていた。ぼろぼろになり、白い雪面に紅い染みを落とした。半身を雪に埋もれさせてしまい、しばらく立ち上がれず、痙攣するようにぶるりと震えた。
 
 意識が朦朧としていたが、立ち上がろうともがき、手のひらを雪に叩きつけた。身が引き千切れそうなほど冷たく、寒かったが、むりやり上半身を起こした。
 (ちくしょう)
 ふたつの脚だけでは身を支えきれなかった。右手で心臓を握り締め、左手を雪に置いて、這いつくばるような体勢だった。まさに四足獣のように。それさえも保っていられず、倒れ伏すのはもう時間の問題だった。
 獣が絣のすぐまえに降り立った。まったくの無傷だった、グレイズの跡さえなかった。彼我の実力差を考えれば、それも当然のことだっただろう。が、獣はなにか、ひどく不思議そうな顔をしていた。自分が無傷であることがおかしいとでもいう風に。
 
 「……なんだ、いまの弾幕は?」
 獣は毒気もなく、なにか混じり気のない疑問であるかのように問うた。
 絣には答える体力もなかった。ただ凄絶な眼で獣を睨み上げ、歯を渾身の力で食い縛り、飛びそうになる意識を留めておくことに必死になっていた。
 「――そうか。そういう弾幕なんだな。それを、故意にやろうというわけだ」獣は高らかに笑った。「ハハハ――そういうことか! それで少しでも火力を水増しし、絶望的に足りなさすぎる霊力を補おうというわけか! まったく、ガキというやつはいつでも……小賢しいことを思いつくものだ……」
 
 絣にはほとんど獣の声が聞こえていなかった。ただ笑っているのだけがかすかに見えていた。ただひたすら悔しかった。半身をもぎとられるような敗北感があり、それを認めたくなく、必死で立ち上がろうと雪を握り締めていた。
 唸り声を上げて立ち上がろうとしても、自分のからだが自分のものでないようなのだ。全身に獣の弾幕が注がれていた。鈍い、燃えるような痛みが満ちていた。白く凍る吐息の向こう側で、獣の姿さえ滲んで見えた。
 
 「往生際の悪いやつだな。さっさと倒れてしまえ」獣はまだ笑みを浮かべていた。「霊力はもう尽きただろうに……。絞り出すような、無茶な戦い方をして。滅多に本気を出さなかった霊夢とは大違いだな。全力で戦って、負ければ後がない。だから本気でやらない。おまえは逆に、全力を出し尽くしても勝てない。本気だろうが本気でなかろうが、どのみち後なんかどこにもない」
 
 飛べなくてもいい。そう激しく思ってなおも霊力を押し出そうとした。もう一滴も出なかった。感覚は麻痺し、それが自分でわかっていなかった。
 
 「みっともない、泥臭い戦い方だ。空を飛ぶより地を這うほうが合っている。こうも霊夢と真逆の女が、次の巫女とはな。妙な運命だが、どうせ霊夢のような傑物は二度と現れん、か。
 どうした。倒れるかまだやるか、はっきりしろ。そんな獣のような半端な姿勢で、いつまでも踏み止まってるんじゃない。まるであたしのほうが人間みたいじゃないか」
 
 雪を踏み、獣は絣のまえまでゆく。傲然と見下ろし、その影が絣を覆うように伸びる。絣は息を荒くして彼女を見上げ、彼女の背後で、遠い空で、金色に近い茜色がフリルのように黒雲を刻んでいるのを見る。
 何度、ここが限界だと思い知らされたことだろう。橙との修行はほとんど苦行だった。身につかない術、向上しない技、手を伸ばせば伸ばすほど高く掻き消えていくハードル。そうした日々のなかでひとつだけわかった確かなことは、ここが限界ではないということだった。まだ行けるはずだった。ほんの一ミリでも、ほんの一ドットでも、昨日より今日、今日より明日、少しずつ……せめて……
 縋りつくように腕を伸ばし、獣の腹のあたりを掴んだ。爪を立てて、それが最後の一撃であるかのように。結局、絣は自分が負けた瞬間がわからなかった。前のめりにゆっくりと倒れ、顔が雪につくまえに、意識は闇の彼方へ押しやられていた。
 
 
 
 獣は笑う。
 「これでは橙も苦労するな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 白い湯気があたりを包んでいた。
 なんとも言えぬ匂いが鼻をつき、絣は身を捩って呻いた。意識が戻ってきたことに気づくまで、たっぷり十数秒は必要だった。全身を覆っているなにかの布をどかすと、そのあたりだけ雪が溶け、湿った土が露出されていた。
 一瞬、完全な記憶喪失になっていた。どうしてここにいるのかわからなくなっていた。
 
 「――温泉……?」
 「やっと気づいたか」
 
 視界一杯に、濁った湯が広がっていた。絣はそのへりにいた。山のなかとは思えぬ暖かさがじんわりと広がり、袖のないツーピースでも寒くなかった。
 自分を包んでいた布を見やると、獣の着ていた迷彩柄のカーゴパンツとジャケット、下着代わりの薄いシャツだった。獣の声が聞こえたほうを見ると、いままさに立ち上がるところだった。温泉は浅く、獣の膝ほどまでしかなかった。
 
 腕の毛深さは服を着ていても見えていたが、白銀の毛皮は胴にまで広がっていた。それ自体が際どい水着のようになっていた。ところどころ人型の肌は見えていたが、見えていない部分のほうが広く、腰周りから右胸にかけて翠混じりの白銀だった。
 左胸は剥き出しだったが、絣は息を呑んだ。
 女の裸など見ても別になにも思わない、ルーミアが橙に引っ付いたりしてるわけでなければ。それでもぞっとした。獣の、左胸のやや中心より――先端のピンク色のすぐ隣に、砂州のように色素の沈着した大きな痣があった。一目で、古い傷痕だとわかった。だがどうして心臓を貫くように刻まれているのか……
 
 獣は軽く鼻で笑った。「見てて楽しいか?」
 「――」
 絣が固まってしまうと、獣はおどけて両腕を広げてみせた。「ひとの裸をじろじろと……。ガキのくせに、欲情でもするのか?」
 「しませんっ! ばかー!」
 
 冗談だ。獣は腰に手を当て、表情を和らげた。
 そういう風に獣が穏やかに見えたのが初めてで、絣はしばし茫然とした。そこでようやく撃墜された記憶が蘇り、全身の痛みが再動した。が、それ以上なにをされたわけでもないようだった。どこもかじられてないし、動かない箇所もない。
 
 獣は絣に近づき、地面のへりに片膝をつき、もう一方の脚は湯に浸かったままにして、嘲りを浮かべて言った。「橙の初めての弟子だから、あいつに免じて喰わないでおいてやる。だがそれも気まぐれだ。橙と敵対せぬままおまえを喰らうこともできるからな。例えば、そう……橙の歴史からおまえの歴史だけ隠し、喰らい、まったくの他人に戻してからとかな。おまえにとっては喰われるよりそっちのほうが怖ろしいか? ん?」
 
 橙から自分の存在が消える――
 想像しただけで、ひどく寒々とした哀しみが胸に染み出してきた。自分の半身が、いや全身よりもたくさんの部分が消滅してしまうように感じた。絣はこの世界のなによりも橙が好きだった。実の親よりも尊敬し、絶対の神よりも崇拝していた。獣にそう言われただけで視界が滲んできた。
 が、それでも……そうであるからこそ、
 
 「……私の歴史が消えても、橙さまは橙さまです」
 初めて顔を合わせたときからもう、橙はいまのままの橙だった。妹の陰に隠れ、妹の付属品でしかなかった自分を見つけ、どこまでも気さくに接してくれた……
 尊敬や崇拝よりも、信頼のほうが大きかった。
 
 嘲笑される思った。が、予想に反して獣はふっと笑った。「そうか」
 
 
 
 「この温泉は傷に効くぞ。痛みがすっと和らいで、薬草を塗りこんだように治りが早くなる。少し熱いが、湯を引き込んで、雪を放り込めばちょうどいい温度になる。
 外界への道が安定するまで、あたしでは丸一日かかってしまうからな。毎回ここで時間を潰すようにしてるんだ。うるさい妖怪もこなくて静かだしな」
 「……」
 「どうした。心配しなくても、おまえの歴史をたらふく喰って腹一杯だから、もうなにもせんさ。もうすっかり陽が沈んでしまって、いまから神社に帰るのは危ないぞ。この風の匂いだと恐らく吹雪いてくるだろうし、それで興奮する物騒な妖怪もいる。朝陽が昇るまであたしと一緒にいるしかないんだよ、どのみちな」
 
 不信感を滲ませながら、温泉のへりを伝い、絣は獣から離れる。獣が浸かっているのがかろうじて見えるくらいの場所で、服を脱ぎ、寒さを感じるまえに温泉に身を浸す。じんと傷に染みる、が、その感覚もすぐにやむ。
 ようやく肺から息を吐き出す。
 
 獣の胸に刻まれた、あの大きな古傷はなんなのだろうと思う。人間であれば消えない傷のひとつやふたつあってもおかしくはないが、妖怪である。あれだけ目立つ痕はさすがに異常なんじゃないか。半身を跡形もなく吹っ飛ばされたこともあると言っていたのに、その傷はもう見当たらず、心臓の部分だけ。
 彼女のことはなにもわからない。ただその表層に浮き彫りになっていること以外には。謎めいたものをまえにしたもどかしさがある。途方もない気分にさせられる。
 
 ばしゃりと水面に顔を落とす。いまは獣の傷より、私の傷だ、と自分に言い聞かせる。そこで不意に声をかけられる。
 「おい」
 絣は顔を上げる。いつの間にか獣がすぐそばにいる。そっと後退りして間合いを開ける。
 「無意味なことを。どのみち半径百メートル以内はあたしの射程距離だ。まあそんなことはいいとして、さっきのスペルカード。あれはおまえのオリジナルか」
 「……だったらどうだっていうんですか」
 「博麗式の弾幕じゃなかったからな。かといって八雲式でもない。ところでおまえ、きちんとわかってるのか? あれは根本的な大前提からおかしいぞ」
 絣は口を噤む。
 「例えばおまえが八雲紫ほどの力を持ってあれを放ったとして――それでもはっきりいって、通用しないやつにはまったく通用しない弾幕だ。というか、あたしの知ってる人妖であれが通用するのはほとんどいやしない。ちゃんと理解できてるか?」
 
 絣は頷く。
 
 「ふむ。なるほどな」獣はにやりと笑う。
 「なにがですか?」
 
 獣はさらににじり寄り、湯のなかにある絣の手を取って持ち上げる。
 
 「なっ、にを、するんですか!?」
 直に接触する距離。獣はほとんど絣の後ろから覆い被さるようなかたちになる。
 「おまえの創りたい弾幕のかたちはだいたいわかった。だが、なにもかもが足りなさすぎる。見本もないから当たりまえだが、霊力の絶対量から使い方まで全部が全部お粗末すぎる。
 一晩でできることなど微々たるものだが、やらないよりマシだな。あたしの力の流れに合わせて、霊力を流せ。パワーの総量はどうしようもないが、多少は動かし方の見当がつくようになるだろう。いい按排だな、ちょうど空も弾幕を降らし始めてきたぞ」
 
 湯の水面に波紋が広がる。ハクタクの妖力が満ち始め、風圧にふたりの髪がはためく。水気を吸って重くなっていてさえ逆立つ。
 獣は絣の手の甲を握り締めたまま、雪の舞い始めた空に向かって腕を掲げる。絣は身じろぎして離れようともがく、が、獣のからだを振り解くには弱すぎる。全力を篭めても振り払えない。すぐに気がつく。獣がなにをしようとしているのか――
 
 「よっ、余計なお世話です! 私の師匠は橙さまだけですっ!」
 「そうだろうな。だからなんだ。あたしは暇潰しがしたいだけだ」
 「んなっ」
 「ぼさぼさするな。撃つぞ。構えろ」
 「や――」
 「選り好みしてる場合か?」獣は愉快そうににやつく。「ほんとうに才能のないやつに立ち止まってる暇なんかないだろうが。自分は無能だと嘆いてる間さえない、そんなのは死んでから思う存分やればいいんだからな。やるか、それがいやなら死んどけ」
 
 ますます強く密着され、どうしようもない。ふたつの豊かな膨らみを背中に押しつけられ、肩に顎を置かれて頬を重ねられ。腕は蛇のように巻きついてくる。手の甲に添えられた手がより強く握られ、指の股に指が侵入し、むりやり手のひらを抉じ開けられる。
 
 「解き放て!」
 「――ッっ!!」
 
 ほとんどやけくそになりながら、絣はスペルカードを放った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 霊力は底を突いているが、獣の示す流れに乗せるだけでよかった。それなら限りなく密度を弱めて、一滴ずつ注ぎ込むように、力尽きる寸前のところで慎重を期しているだけでいい。
 流れを見続け、それを己の血肉とするために、集中力だけを切らしてはならない。雪の舞うなかで星をつくる弾丸の尾を捉え続けることは容易ではない。暗すぎ、冷たい風が眼を塞ぐ。できるだけそれらに注意を向けないようにするのだ。後ろから覆い被さるように腕を絡める、獣の毛皮の柔らかさにも。
 
 「一点を見るな。全体を見ろ」と獣は言う。「橙はもともと夜目が利くから、人間が暗がりでどうものを見たらいいのかまでは教えられまい。眼を凝らすようにではなく、むしろ見たいものから視点をずらすようにしろ。昼間のように物を見るな。ゆっくりと、滑らすように視線を動かせ。ほんとうの闇のなかでは、周辺視野のほうが役に立つ。別の世界に立っていることを意識しろ」
 「しっ、知ってます! 橙さまはそういうこともちゃんと教えてくれます!」
 「ほーお? わからないことをひとに訊いてばかりだったあの娘が、なかなか有能な教師になったものだ。だったら、非力な人間がどうやって妖怪と渡り合えばいいのかも考えているかもな。集中力を絶やすなよ。才ある者が無意識にやることを、おまえはすべて意識的にやらなければならない。常に周りに眼と耳と鼻を向けろ。天才と達人たちが世界を巡らせる様を一分たりとも見逃すな」
 
 かっと頭に血が昇ったようになって、いらいらする。悪意を持って自分の歴史を覗き見たこの獣が、教師面していることが耐え難くむかつく。絣は歯を食い縛るようにしながら、雪と星の衝突するきわを睨み続ける。
 それでも筋道通った道理を言い聞かせられれば、聞いてしまうのが絣である。感情とは裏腹に獣のことばを耳から脳へ引き込んでいる。そこで不意に気がつく。いまのことばは、まるで――
 
 「……人間だったんですか?」
 絣が問うと、獣は破顔一笑する。「まあな」絣の手を握る指がわずかに綻ぶ。「ずうっと昔の話だ。取るに足らないただの人間だったのに、なんの因果か半人半獣の道に踏み込んでしまった。ワーハクタクってやつだ。もう途方もなく思えるくらいいろんなことがあったが、結局こうして完全な獣になった。不思議なものだな。人間、半人、獣と歩んできて、いまもまだ歩いている。これからあたしは何処へゆく? 最後の最後にこの身はどうなってる?」
 絣は頭がぐらつくような感覚を憶える。そんな彼女に獣は耳元で囁く。
 「少し楽しみだ」
 
 絣は身じろぎし、持っていかれかけた意識を引き戻そうとする。眼を細めて空を見つめ、極力この獣に注意を向けないようにする。
 
 「思うところもあってな。昔はそれどころじゃなかったが、ときどき自分じゃなく、ハクタクという種族に想いを馳せるようにもなった。完全なハクタクってのは、もしかしたら太古の昔から、こういう風に生まれ出てくるんじゃないかって、そう考えるときもある。これがハクタクにとっての登竜門なんじゃないかって。もしかしたらあたしが辿った道には、そういう意味があったんじゃないかって。
 もちろんそんな歴史はどこにもない。だが、そもそも聖獣ってのはどうやって生まれてくるんだろう? 無から突然変異みたいに湧き出てくるのか? かつてのハクタクは、大陸の皇帝のまえに姿を現し、あらゆる妖魔や天災、病魔や異変について教えを説いたらしい。そもそもそういう知識をどこから仕入れてきたんだろう?」
 
 まあ、妄想だがな。獣はばっさりと言い捨て、絣の手にぎゅっと力を篭める。絣はたじろいでしまわないことに全力を費やしている。
 
 「もしそうだとしても、あたしはあたしのやりたいようにするだけさ。あたしの歩んできた道に意味があるとか、ないとか、そういう眼でものを見たくない。いつだって必死にもがいて生きてきたし、これからもそうする。あたしは歴史喰いであって、運命なんぞ知らんからな」
 「……『その身に資格があるのなら運命がおまえを導くだろう。資格がなければ運命を切り拓いてゆくがいい』」
 「なんだそれは。漫画かなにかか?」
 「レミリアさんが……」
 「ふむ。まるで運命の女神みたいな物言いだな。根っからの悪魔が」
 
 その言には思わず絣のほうが噴きかけてしまう。
 ふと見上げると、自分の思い描いていた星の軌跡が完全な理想像のように現出している。ほんの一度スペルブレイクしただけで、ここまで完璧に模倣し、さらにその先を提示できるなんて。これではまるで、先代がことあるごとに語った魔法の森の魔法使いのようだ。これもまた歴史を喰らうハクタクの為せる業のひとつに過ぎないのか。
 
 絣は恐る恐る訊く。「……その胸の傷と、なにか関係あるんですか? ハクタクになったのって――」
 「ああ、これか」
 
 絣の手を握っていないほうの指が動き、毛皮の覆っていない、剥き出しの乳房をなぞる。心臓を貫くかたちで、傷は背中にまで突き抜けている。
 
 「博麗の勘とやらでも働いたか」
 「そんなんじゃ――」
 「関係あるとも言えるし、関係ないかもしれない。他の傷が跡形もなくなってもこれだけ残ってしまったのは、これが、あたしの歴史そのものに深く刻みつけられた代物だからだ。歴史ではなく、存在そのものと言ってもいい」
 
 答えてくれないかもしれないと思って訊いた問いであるのに、容易く曝け出されたこと自体に驚く。絣のそんな心模様に気づいたのか、なにがなんでも隠さなければならないものでもないからな、と獣はどこか穏やかに言う。
 
 「宿敵……姉妹……母親……娘……あるいは自分自身。起源。そんな感じのやつとやりあった。これは結果だ。最後の最後であたしは敗北した。あたしの爪はやつを掠め、やつの爪はあたしを穿った。心臓は砕かれ、いっとき、あたしの存在は彼方よりも遠くへ薄く引き伸ばされた。ほんとうの死を垣間見た。死神にさえも拾われない……完全な消滅の一歩手前まで行った」
 絣は絶句するしかない。
 「だが、あたしは生きている。あたしは不死身だ」獣の声には抑揚さえもない。「いまでもときどき、なんの前触れもなく心臓が止まるときがある。鼓動が弱まるまえに消え、血の巡りが静止したことをひどくリアルに感じる。体温が一気に冷たくなり、またあのときの闇黒が眼のまえに現れる。
 そんなときあたしは、無様なくらい必死に自分で心臓を叩いて、なんとかして鼓動を取り戻そうとする。もうこの心臓はろくに動きやしないポンコツだ。それでも呼びかければどうにか応えてくれる。それだけで充分だ」
 獣は火を吐くように言う。心臓が止まるまえに死ぬわけにはいかんからな。
 
 絣は弾幕を見ながら、彼女のことばを無意識に刻み込んでいる。行く先の見えない道に降り立ったような途方もない感覚が満ち、自分の手に余る現実をまえに、思考の迷宮をさまよっている。
 歴史を喰われかけたときに感じた、暗い炎のような憎悪。そうしていままさに背中から伝わってくる生存への激しい欲求。獣の存在そのものが重いしこりとなって、胸に圧し掛かってきたような心地がした。まるで自分のほうが、彼女の歴史を喰らってしまったかのように。絣は永劫の問いかけをぶつけられたかのように茫然としている。ただ、茫然としている。
 
 
 
 「ああ、そうそう忘れていた」獣は不意に言う。「公平なんてあってなきのようなものだが、ここはひとつフェアに言っておこう。実を言うとあたしはレズビアンでな」
 「――。……え、は?」
 「さらに言うとロリータ・コンプレックスで、もっと言えばペドフィリアだ」
 
 絣はたっぷり十秒は真っ白になっている。
 状況を把握するまで、さらに十秒かかる。この体勢。一糸纏わぬ姿で、視線を隠すのは湯気と水面のみ。密着よりもさらに深い密着。
 ちゃぽん、とどこかで湯が鳴った。
 
 「いやぁ――……!!」
 「おい、暴れるな。力の流れが狂う」
 「離して、離してくださいー! 変態ー! 淫魔ー! けだものー!」
 「安心しろ、あたしにだって好みというやつがある。幼女であれば誰でもいいってわけじゃない。残念ながらおまえと話していてもまったく、ちっとも、これっぽっちも、濡れやしない。染みすらもしない」
 「だったらなんで言ったんですか!?」
 
 獣はにんまりと笑う。
 
 「たぶんそういう反応をするだろうと思ったからな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 吹雪と言えるほどの暴風は一時間ほどで止んだ。
 残り香のような、弱い雪が舞うなか、あたりが明るくなった。温泉の横に、物好きな妖怪がつくったのか、風雪の凌げるあばら家があって、夜を越すのにさほど苦労はしなかった。得体の知れない獣が隣にいることさえ気にしなければ。
 もう少しかかるな、と獣は空間の断面を眺めながら呟いた。
 
 「つくづく、博麗式の結界はわからん。秩序もなく滅茶苦茶に編んであるかと思えば驚くほど緻密な計算の上に成り立っていたりする。霊夢からパスワードを聞いていなければ百年かかっても破れなかっただろうな。こんなものを自分のもののように扱うやつの気が知れん」
 
 一晩経ち、獣の折れた角はまた数センチ伸びたように見えた。爪も徐々に鋭利さを取り戻していた。昨晩、あの手で掴まれたのが信じられず、絣は爪の痕がないか自分の手の甲を見下ろした。どんな痕も残っていなかった。
 
 絣はおずおずと訊いた。「外界に出たらまた……その、危ないことをするんですか」
 「ああ。殺す」
 その声には昨晩の穏やかさはなかった。絣はなおも訊いた。「相棒さんがいるんですよね? そのひともあなたと同じように――」
 「やつの考えてることなんぞわからん。ただそいつの歴史も、まあだいたいあたしと似たようなものだ。いや、もっとひどいかもしれんな。戦争を経験して……」
 
 似たようなやつはどこにでもいるものだ。獣は抑揚のない声で言う。霊力の片鱗もない、気に食わんやつだが、それでも長く待たせておくわけにもいくまい。
 
 「さっさと帰れ。心配している者もいるだろう。あのガキも起きているかもしれん」
 絣はまだなにか言わなければならないことがあると思う。が、それがなにかわからない。「あの……あの子が起きたらあなたのことをなんて言えば」
 「喰おうとしたやつのことなどどうでもいいだろうが。これからのことだけ教えておけ。過ぎ去ったことなど思い出す必要はないんだよ、ここは幻想なんだから」
 「妹が」絣はなおも喘ぐように言う。「外界にいるんです、たぶん。どこにいるかはわかりませんけど、もし会うことがあったら、その、仲良くしてあげてくれませんか……」
 「あのな、外に人間が何億人いると思っているんだ。そのなかのひとりとどうやって出逢う? どうやっておまえの妹だと判別する? おまえの妹だと気づきもせずに喰っちまうかもな」
 「妹はそう簡単には喰われませんから。博麗の巫女って立場にさえ縛られなかった、おかしくてめちゃくちゃで突拍子もない子ですから」
 
 獣は背を向けたまま軽く手を掲げて答える。それ以上話すことなどなにもないとでもいうように。が、ふと思い出したように言う。
 
 「おまえの歴史を読んだ。おまえが妹に抱いている感情はな、おまえ自身はわからないだろうが……憎しみや怒りではないな。おまえはただ単に妹の隣に立ちたいだけだよ。嫉妬や劣等感でもなく、ただ……姉としてな」
 「――……」
 「姉特有の感情なんぞわからん。それを示す明確な日本語があるかどうかもわからん。まるでカオスだな」
 
 絣は後退りして、ゆっくりその場から離れていく。
 霊力を重ね合わせた体温がまだ残っているようだった。一方で歴史を喰われかけたときの、剥き出しの憎悪をまだ味わっているようだった。胸に手をあて、獣に対する双極の印象を味わう。このひとはなんなのだろう、と思うのだ。なにか……結局、私はこの獣のなにを見たのだろう?
 空を飛び、神社を目指す。
 見下ろすと翠銀色の影がゆっくりと遠ざかっているのが見える。まだなにか言わなければと思う。が、絣にはそれがなにかわからない。それを示す明確な日本語があるかどうかもわからない。ただ発散されなかった重い感情だけが胸に留まり、絣はそれを引き摺るようにして空を飛び続ける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (胸がもやもやする)
 腑に落ちない。釈然としない。いやもっとなにか、納得いかない、理解できない。見つけられない。ことばにすればそんな感覚。そういうことばさえはっきりと当てはまらない、抱えきれないものを抱えてしまった気分。
 あの獣は行ってしまうのだろう。霊夢の最後の命令とやらに従い、ミケによれば、以前戻ってきたのは五年前。霊夢はもういない。もしかしたら二度と帰ってこないのかもしれない。ここにいるのは巫女に相応しくない無力な女だけなのだから。
 
 (なにも話せなかったって気がする……)
 
 少なくとも、獣はなにも曝け出していなかった。自身の奥底に関わる部分は。こちらは歴史を喰われかけたのに。
 博麗神社が見えると、境内に届くまえに沈んでしまう。鳥居が辛うじて見える階段の一番下に降りてしまう。足取りの重いまま登っていく。獣の弾幕によって刻まれたた傷がところどころ痛むが、巫女である以上、生傷は友だ。そんな痛みよりもっと気にかかることが絣の心を沈ませる。
 永琳のことばが思い浮かぶ……『からだが準備を終えればいずれ必ず目覚めるわ。そのときにしっかり受け止めてあげること――あなたの仕事よ。今代の巫女』。
 
 受け入れられなかった。そんな風に思う。
 
 鳥居の下に至ると、愕然とする。
 「……ええ? なにこれ?」
 「かーすーりっ」
 
 賽銭箱に座っていたここぁが軽やかに飛び寄り、そのままの勢いで絣に抱きつく。絣はたたらを踏み、危うく階段を踏み外しかけ、また一から登りなおす羽目になりかける。短い悲鳴を上げてくるりと一回転、ここぁのタックルをどうにか受け止める。
 
 「ここぁさん!?」
 ここぁは絣の胸に頭を押しつけながら言う。「仕事がきつくて上司が怖い。毎日が辛くてもう泣きそう。慰めてー」
 「えっ、あっ、よ、よしよし?」
 「うーん。小さい」
 「なにしにきたんですかーっ!!」
 
 ここぁはぱっとからだを離し、くるくるステップを踏みながら煙草を咥える。シュッと軽快な音を立てて擦られたマッチがオレンジの軌跡を描き、役目を果たすと石畳にぽろり。紫煙がエクトプラズムのように彼女の周りを漂った。
 
 「遊びにきた」
 「っていうかこのザマなんですか!? 一晩でどうしてこんな滅茶苦茶になってるんですか!?」
 「絣が帰ってこないからいっそ召喚しようと思って。契約してないやつ呼び出すのって手間かかるんだよね。それにここ妙な結界張ってあるから、余計にたくさん描かなきゃならなくてさ」
 
 石畳の上にびっしりと、子供の落書きのように、夥しい数の魔方陣が描かれていた。丸々一晩暇だったのだろう、大中小合わせてざっと五十から百ほど。絣はくらりと頭が傾く。掃除するの誰だと思ってるんだ。
 
 「あーそうそう。ミケが言ってたけど、なんか預かり物の子? 眼ぇ覚ましたらしいよ。あんたが帰ってきたら言ってくれって」
 「――!」
 「ミケもいまその子ンとこに――あ、ちょっとそんな急ぐことないじゃん! 別に逃げるわけじゃないんだから――」
 
 ここぁを置き去りにし、絣は少女の部屋まで駆ける。どくんと心臓が重く波打つ。幻想郷のことはおいおい説明するとしても、あの獣のことをどう話したらいい? 迷いは余計に脚を動かす。
 襖を思いっきり開け放った。少女の隣に座っていたミケがびくりと跳ね上がった。
 
 「うわっ、なんだ嬢ちゃんか――」
 少女は横たわったまま、ぼんやりと虚ろな目線を絣に向ける。
 
 
 
 絣はなにを言うことも忘れ、ぎこちない足取りで少女に近づく。
 この短いあいだ、獣と交わしたあらゆる感情が渦巻く。獣の憎悪と、自分の怒り。『なあ、おい。あたしはこの眼に見えるすべての人間を憎んでいるんだぜ』。最初の邂逅からそれは既に剥き出しにされていた。自分のようなものにもはっきりと見えた。慧音と同じ顔だと思ったのは最初の瞬間だけで、後は獣そのものの空気がすべてに浸透していた。
 獣の存在そのものが答えのない問いかけのように絣に染み込んでいる。なにを言うこともできないのだ。少女に、あなたを連れてきたのはあの獣だよと言うことができない。『獣』に代入すべきことばが見つからない。あの獣をなんと説明したらいいのかわからない……
 
 固い表情のまま、少女の隣に座る。ふたつの目線が絡まる。
 絣はごくりと喉を鳴らす。
 少女の眼には、それでも、穏やかなものがあった。絶望から抜け出し、安堵を得た者のしめやかさがあった。絣にも、この少女が自分の境遇をなんとなく理解していることがわかった。
 だからこそ余計にわからなくなる。
 獣の言うとおり、これからのことだけ教えればそれでいいのかもしれない。過ぎ去ったことなど過ぎ去ったままでいるのがいちばんなのかもしれない。この少女の歴史に、そもそも獣などいなかったかのように……ただ未来にだけ眼を向け、橙が探しているであろう里親のことについて、人里の暮らしについて――
 
 「……っ、」
 
 それでいいのか?
 あの獣は、救い出した者の歴史にさえ刻まれない。
 ほんとうにそれがいちばんの道なのか?
 
 そのとき、少女が不意に言う。「……あなたですか?」
 「え?」
 
 
 
 「闇のなかで私の手をずうっと握って、私たちは絶対に壊れない、私たちは生き延びるんだって、呼びかけ続けてくれたのは、あなたですか……?」
 
 
 
 絣はようやく獣を見つける。
 獣が少女の横でなにをしていたのかやっとわかる。頭に真正面から銃弾を喰らったようなショックを受け、絣はよろよろと立ち上がる。
 
 「嬢ちゃん?」
 
 呼びかけるミケの声は聞こえず、がんがんと頭が揺さぶられるままに背を向け、部屋を出る。
 よろめきながらも走り出し、境内の、ここぁのもとまでゆく。
 
 「絣?」
 「ここぁさん! この魔方陣で私を転送することはできますか!?」
 「ええ? そこにあるものぶっ飛ばすだけなら招き喚ぶよりはずっと簡単だけど」
 「妖怪の山までお願いします! はやく!」
 ここぁは若干気圧されたように頷く。「あー、うん、了解。Y軸座標高めに設定しとくから、そっからは自分で飛んでね。えええーっと、ひょいひょい。描き描き。おっけ。我が許より飛び立て!」
 
 絣は眼を瞑る。
 百の紅い針が全身を巡ったように熱くなった。渦巻く濁流に落ち、抵抗できぬまま押し潰されたように感じた。意識が流星となり、長く尾を引いて天より高く撃ち出される。突然重力が反転し、気がつくと背筋が凍るような速度で墜ちている。内臓が一回転したような、超高高度からフリーフォールする感覚。なにも見えない。光より白く視界が染まる。が、そうしたものもみんな一瞬の出来事だ。
 絣は妖怪の山の上空にいる。その春最後の雪雲を突き抜けて頭を真下に向けている。体勢を立て直すまで数瞬の時が必要で、そのあいだに一気に高度を下げている。
 山間の雪原へ。あそこへ。念じれば、すぐそこ。
 
 「間に合え!」
 
 間に合ってどうするのか。あの獣にどうするというのか。わからない。ただからだのなかが果てしなく熱くなってなにかをしなければと思う。あの温泉で密着し、霊力を重ね合わせた時間だけが温かい。怒りを持って弾幕を撃ち合ったあの瞬間が冷たい。この矛盾を。たったひとりの命に詰め込まれたすべての矛盾が。
 
 
 
 獣はそこにいる。いままさに開いた空間の空隙に脚を踏み入れようとしている。絣はそこへ飛び込み、雪に跳ね上がって何度もバウンドする。四足獣の獣のように着地したときには、雪塗れになり、新しい打撲痕がそこかしこにできている。
 
 獣は驚いて立ち止まる。「絣――?」
 「あなたは!」
 
 人間を憎んでいると言いながらまるで教師のように自分の弾幕を導いてみせる。牙を剥き出して喰らう振りをしながら闇の底にいる少女を引き戻してみせる。
 「あなたは――!」
 元人間の獣。人間でありながら獣の道に踏み込んだ者。砕けた心臓を抱えてなおも生き続ける女。矛盾。永劫の問いかけのように絣のなかに刻まれる。答えは――
 
 「あなたはなんなんですか!?」
 
 一瞬、獣の顔がひどく蒼褪める。さあっと、なにか途方もないものが通り過ぎていった感覚がある。
 が、それもほんの束の間の出来事だ。獣はなにか穏やかに顔を緩め、ひどく人間めいた瞳で小さな少女を見つめる。
 
 「……巡り巡って……あたしのほうが、そう問いかけられる側に立つとはなぁ……」
 
 獣は絣にからだを向け、すべてを吹っ切ったように腕を広げる。
 
 「――あたしはあたしだ」
 目の前の道になんの障害もないかのように、高らかに――
 「他の誰でもない。誰かの劣化コピーでも、誰かの下位互換でも、誰かの入門用イージーモードでもない。誰の引き立て役でもない。利用される使い捨ての駒でもない。
 もうあたしは私には戻らない。培ってきたすべての歴史を失い、取り戻すことが敵わなくなっても、またゼロから石を積み上げ始める。あたしは――」
 縦横無尽のカオスが握り締めた拳で心臓を叩く。
 「あたしだ」
 
 獣は絣に背を向け、果てしない世界へと出て行く。
 
 「じゃあな。紅と黒の巫女。お互い生き残っていたらまた逢おう」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 誰もいなくなった雪原で、絣は立ち尽くしている。
 消えた獣の背中を見つめ続けたまま、涙ぐむことさえ許されず、ただひたすら自分を噛み締めている。
 
 「わかんない」
 
 答えを出そうとするたびに獣の矛盾がすべてを砕く。その道の中途でしかないのだと思った。どこかへ向かい、どこかを求める、獣にしろ自分にしろ。ここは結果ですらなく、序章ですらない。始まってさえいないのかもしれない。
 彼女は最終的にどうなるのか。人間から半人半獣になり、完全な獣になり、そうして明日は? 明後日は? 来週は? 来年は? 私は?
 疑問符だけが増え続けていく。
 
 「わかんないよ」
 
 いや、それでも、絣の一部はわかっていた。獣の魂に呼応する暗い一部が高らかに叫びを上げていた。彼女は――……生き続けるのだ、と。心臓に死を背負いながら。その矛盾を抱えながら。
 なにもかもが終わりではない。終わりなどどこにもない。歴史を創るように。
 
 やがて踵を返し、絣は歩き出す。
 秒刻みに温かみを増していく雪原のなか。雪雲は跡形もなく散り、春の陽射しが降り注いでいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Stage3 failed, but they will never die.
 
 
 
 
 
 
 今回のスペルカード
 
 
 
 黒符「カオス・リヴズ・イン・エヴリシング」
 ※主砲 未完成
 
 
 歴史「スターティング・オーヴァー」
 「胸の砕けた怒れる獣」
 ※それが上っ面でしかない歴史であればまったくの無条件に破砕し尽くす 必然的に彼女と対峙する者は己の全存在を賭して戦わなければならない だがそれでも破砕されずにいられるかどうかは――
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2012/04/12 20:09 | Comments(5) | 東方ss(長)

コメント

うおお続きキタ!てか最近更新早いですね!

まずは獣さんの再登場が非常に嬉しいですね。相変わらず牙を剥きながらぶつかり続ける生き方をしているようで、妙に安心しました。そしてそんな形で生き抜いていく彼女の傷付いたハートを『彼女の娘たち』が鼓動の止まぬようにと殴りつけて、血を巡らせ続けていることにも。

しかしルミャ×橙の話も徐々に見えてきましたね……今回はあまり動きはありませんでしたが、今後の展開が楽しみです。淫魔さんは強く生きてください。

そして絣にはミケやここぁ、外から来た少女といったそれぞれの『未完成の主砲』を引っさげた者たちが周りに集まってきましたね。なんだか新しい歴史がだんだんと紡がれていっているように感じます。はたして彼女は橙の眼差しやレミリア譲りの信念の槍と同じように、獣の―――物語の主人公である異国の兵士とおなじ、敬意の言葉に首を振りながら戦場へと赴く姿に、何がしかを摑んでいくことになるのでしょうか。そして、獣に命を拾われた少女も。

今回もほんとうにありがとうございました。
posted by TORCH at 2012/04/12 22:47 [ コメントを修正する ]
で・・・で遅れたーorz
とまぁそんなどうでもいいことはおいといてw

いつも通りいかしたお話でした。
獣さんは今回限りなのかな?
後、獣さんに助けられた少女はこれからの話にどんな風に絡んでくるのか非常に楽しみですねぇ

ではでは・w・ノ
posted by MORIGE at 2012/04/13 01:43 [ コメントを修正する ]
チェックしてない日に限って更新されてる症候群。

衣装が紅のみだったりスペルが闇属性っぽかったりして、「えっ、この子本当に巫女なの?」ってくらい巫女らしくなくなってきた気がするけど巫女らしさってなんだ。よくわかんないけど個人的には巫女っぽくない。
巫女じゃなくて幻想卿の博霊の巫女って見ると、「幻想卿だもんな」で納得してしまう。

ここぁさん。妙な結界張ってあるなら神社から出て陣描いてあげてください。仕事を増やさないであげてください。
わざとか。わざとなのか。

絣が、レミリアやさとりのような姉となっているのを見ることができるのか、楽しみです。
posted by Carrot at 2012/04/14 03:56 [ コメントを修正する ]
更新ばんざーい!
獣さん再登場ばんざーい!成長ばんざーい!
永琳が妙な雰囲気出してるのが気になります。まさかのえりけねか…?

ルーミアと橙の過去も、「やっぱりな」と思えるのが夜麻産さんクオリティですね。
絣も少しずつではありますが順調に成長しててなによりです。
そしていつの日かルーミアから橙を奪い取るのだ。


最後に淫魔さん、強く生きろ。半分ぐらいは自業自得だけど。
posted by NONAME at 2012/04/17 21:55 [ コメントを修正する ]
>>TORCH様
更新はやいのは気まぐれです(汗)、きもけーねが楽しすぎてry
なんかもう恐縮しっぱなしになってしまう感想……っ、こちらこそありがとうございました! 書き続ける活力になりますっ
淫魔に関してはいろいろ考えてることがあるのでお楽しみに――と言っていいのか(滝汗)

>>MORIGE様
一応スポット参戦というかたちの獣でした。再登場はわかりませんが、「私のなかにいるキャラ」なので……うーん?
少女はよほどのことがない限りこれきりのキャラになってしまいそうです(汗)

>>Carrot様
更新頻度激遅のブログですので無理せずどうぞ! 絣はこれから先さらに巫女から離れていくことになりそうなっ。
ここぁは天然ですが悪戯好きなので問題ありませんということが既に問題……っ

>>NONAME様
えりけねはもっと流行ってもいいと思うんですけど! いくらでも根っこ絡ませられそうなキャラじゃないっすかー! とここで叫んでみますっ
るみゃ橙は構想のみの妄想仕様……夜伽で書ける日がくるのか(汗)
しかし東方×オリは私の仕様上ありませんよー! 親子が限度ですよーっ! オリを絡ませるならオリをry
posted by 夜麻産 at 2012/04/30 22:38 [ コメントを修正する ]

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