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2025/02/07 22:16 |
(東方)
闇黒片 ~Chaos lives in everything~
 
 
Stage2 紅魔湖畔
 
――メイドのおしごと 撃滅編

 
中篇

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 「イザナギサクラ、と申します」
 右肩に身の丈を越える鉄塊、左肩に巨大な肉切り包丁、腰の横に細身の太刀と脇差、腰の後ろに幅広の鉈、腹に銀のナイフ、(傍目にはわからないがロングスカートの下に何重にもベルトを巻き、そこに数十本の投げナイフを仕込んでいた、)そうしたハリネズミのような姿の、黒髪黒眼の妖精が言った。
 「伊邪那美桔梗と申します」
 手ぶらの金髪碧眼の妖精が言った。
 
 絣はまったく緊張が抜け切らない様子で、がちがちになって頭を下げた。
 「かす、かすっ、絣です! よろしくお願いします!」
 サクラは胸前で両手を合わせてにっこり微笑んだ。「かすかすかすり様。少しくどいようですけれど、とてもいい名前ですわ」
 桔梗はサクラの頭を後ろから小突いた。「こいつひとの名前覚えられないんで気にしないでください、巫女様」
 
 中庭で顔を合わせ、その足で門を出た。美鈴が行ってらっしゃーいと声を張り上げるのを背景に、橙は湖畔の一方を指差し、
 
 「ていうか、あれでいいんだよね?」とサクラに訊く。
 「八雲様にはここからわかるので?」
 「八雲じゃないよ。まあ、なんとなくね。確かにあれは随分とこっちのこと意識してるかな……最近幻想入りしてきたんだろうけど――」
 「でしたら、われわれでどうにかなるような悪魔かどうかも探れますでしょうか?」
 「ごめん、私そういう、危険察知みたいな見積もりダメなんだ。猫としては失格なんだろうけど、危機感が根こそぎ全部麻痺しちゃってるから」
 九尾狐と日常的に接していれば誰でもそうなるものである。
 
 『赤毛の悪魔』の位置がわかる橙を先頭に、四人は陸の架け橋を通る。ふたりがここにきたときより太陽は傾いているが、沈むまでにはまだ時間があり、晩御飯までには帰れるだろうと、桔梗は見当をつける。とはいえそれも、結局は相手次第なのだが。あんまり動きたくないなあ、と思うのだ。サクラと違い、彼女はどちらかといえば体力のないほうだ。
 隣を歩く、幼い巫女を横目で見やる。お嬢様や、妹様よりも小さく見えるなんて。こうして横にいて、魔力の片鱗を感じ取ってはみるものの、頼りないというのがまったく控えめな物言いに思われるほどのものだった。
 
 「絣」と、橙が振り返って後ろ歩きしながら言う。「わかってるだろうけど、私は基本的に手出ししないから。それがルール。でも今回は手助けしてくれるってひとたちがいる。それはオーケー」
 「はい、橙さま」
 「学んだことを全部出せば勝てる、なんて気休めも言わない。それが誰であっても、墜ちるときには墜ちる。勝負はときの運、ってね。紫様にしろ霊夢にしろ、飛び抜けた実力の持ち主だったけれど、まったくの無敗だったわけじゃない。あの館の当主にしてもね」
 「はい。……でも、負けるのはいやです」
 橙は微笑んだ。「模範解答」
 
 
 
 橙はサクラに言う。「ていうかあなた、随分と重装備だね。そんなにたくさん武器背負った妖精は初めて見るよ」
 サクラは頷いて答える。「料理人が食材によって包丁を変えるように、どのような敵が出ても対応できるようにと考えまして。相手がひとりなら、一本選んであとは捨てます。たくさん斬ると切れ味が落ちるので、それだけたくさんの剣を、という単純な意味でもあります。妖怪の鍛えた剣は手に入りにくいもので……お給金のやりくりも大変ですし……これらはみな質の悪いレプリカですわ」
 「そのお腹のナイフも?」
 「これはメイド長特注のものですわ。頼み込んで、一本譲っていただきました。メイド長にとっては投刃でも、私にとっては小太刀の大きさですので」
 
 橙とサクラが話し込んでいるので、自然に、桔梗は手持ち無沙汰になる。
 横目で絣を見ると、無心でまえをゆくふたりについていきながらも、俯いて何事かぶつぶつと呟いている。
 
 「フェーズ1から29、契約復唱……フェーズ30から35、霊力奉納……転送……トランス……フェーズ51から64、聖句・誓願……フェーズ76から91、POWERバイパス解放、召喚……POWERバイパス制御……フェーズ98……霊力解放、信仰値接続……トランス制御……フェーズ100――」
 「絣様?」
 「ひゃいっ!?」
 
 絣はびくりと跳ね上がる。真正面から不意打ちを喰らったかのように。何事かと橙とサクラが振り向くのを、首の根まで紅く染めてなんでもないですと何度も言う。
 桔梗はすっかり申し訳ない気持ちになってしまい、深く溜息をついた。
 
 「す、すみません桔梗さん。もしかしてずっと呼んでました?」
 「いえ、別に。すみません、邪魔をしてしまったようで」
 「あ、そんなことないです、私が物覚え悪くて、必死で思い出そうとしてたのが悪いんで……みんながいるのに、自分だけ内に閉じ篭もるみたいに」
 
 真面目なのだろう、と桔梗は絣について思う。そしてその分だけ、理想についていけない自分をストレスに感じているのだろうと。なんでもかんでも、自分に責任があるように思えてならなくなり、他人よりも自分の間違いを先に探してしまう。といったところか。『今代の博麗』についての根も葉もない噂と、いま眼のまえの彼女を統合してみると……
 
 「お嬢様と契約を?」
 「はい、でも……自信なくって。使わなきゃいけない、ってわかってはいるんですけど、と、とにかく重くって」
 「無理に契約を使わなくても、針や札などは?」
 「私、どっちも使いものにならないんです」絣はまた俯いてしまう。「お、おかしいですよねっ。巫女なのに、先代さまの武器はてんでダメで。陰陽玉なんか、霊力を通した瞬間に玉のほうに拒絶されてしまいました。博麗の血がものすごく薄くって、それで勘違いされたんだろうって、橙さまに言われました」
 
 それはなかなか悲惨なものだ。桔梗はむしろ感嘆してしまう。世の中そう巧くは廻らないものだけれど、先代の印象が強すぎて、逆にインパクトがある。初対面でメイド長の時間操作に喰らいついてみせ、お嬢様と激突しても一歩も引かなかったほどの胆力を兼ね備えた、あの紅白の巫女を考えてしまうと。
 絣はといえば、門前まで辿り着くことができるかさえ疑わしい。いや実際、できないだろう。少なくとも自分に危機感を抱かせることすらできないのに、紅魔湖の『最強の妖精』を突破できる道理もない。
 
 「あはは、全然巫女らしくないですよね、私。それでこんな、レミリアさんの契約を当てにするにしたって……」
 
 絣は寂しそうに頬を掻きながら言う。
 そんな彼女に、桔梗はサクラの背中を示しながら、
 
 「見てください、アレ」
 「え、は、はい」
 「メイド服が皺になってますよね。あんなみっともない、おっきな剣を何本も差して……。あれでメイドと言ってるんですよ、あんなメイドが他にいますか。あんまり言いたくないですけど私、彼女と同期で、お互いもう五百年以上お嬢様におつかえしてるんですよ? お嬢様がとても寛容な方ですから許されてますけど、他のとこだったら速攻クビです、クビ」親指で自分の首を掻っ切ってみせる。「美鈴様も見ようによってはそうですけど、サクラはもっとひどい。仮にも貴族の館で、あんな物騒な。彼女ほどらしくないメイドって、私見たこともありません」
 
 そんなことを言われても、メイドの実際など知らない絣は、なんと反応していいかわからない。パチュリーが信頼できるでしょうと言ったからには、信頼してしまうのが絣である。それにこうして見る限りサクラは物腰柔らかで、絣がなんとなく抱いていたメイド像に合致する、いかにもなメイドに思えるのだが。
 
 「と、昔はそんな風に言う者もたくさんおりました」にっこり笑って――「でもまあ、仕方ないんです。それがサクラなんですから」と、困惑する絣に言う。「なまじ変に長く生きてしまっているせいで、いまさら自分を変えることもできない。サクラはメイドでもあるし、妖精でもあるし、剣士でもある。ただそういう性質だから、そうなんです。でも、よくあることじゃないでしょうか。自分の性質と、就いてる職の適正が合わないなんてことは……」
 「え――」
 「でなけりゃ転職なんてことば、この世に生まれてないと思いません?」
 絣はますます困ってしまう。「あの、それは」
 「絣様も」桔梗はそこでにっこり微笑み、胸前で両手を合わせてみせる。「ご自身の性質と、巫女の適正が違うのは、まあ仕方ないですよ。自分に合った武器が、いずれは見つかります。そうしたとき、また巫女としてどうなんだとかなんだかんだ言われるかもしれませんが、仕方ないです。世界にはサクラみたいにちぐはぐな女が結構いますけど、それでも充分廻ってます」
 
 私に合った武器? 絣は少し驚くような想いで呟く。そんなことは考えられない、針も札も結局は放棄し、つい先日闇のなかで反射的に振り被ったのは小さな拳だった。スペルカードだって、いまは夢想封印の出来損ないみたいな符しかない。
 
 「武器――」
 そこでやっと気がつく。そんなことを自分に言う桔梗が、サクラと違ってなにも手にしていないことを。
 「あの、桔梗さんは? 悪魔とやりあうのに、なにも持っていないようですけれど」
 「私はそういうタイプじゃないんで」
 「え?」
 
 絣が答えを聞くまえに、桔梗はすたすたとサクラの後ろまで行き、そっと腰のあたりを小突いている。耳元で何事か囁く――(サクラあんた、スカートめくれかけてる)(え!? あっ、ナイフのベルトに引っ掛かって!)(間抜け。ドジ。超アホ。そのニーソ私が買ってあげたやつ? 変態! なんで弾幕の場にそんなの穿いてくるのよ破くつもりなのバッカじゃない!?)
 
 絣は首を傾げる。「どういうタイプ……?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 陸の架け橋を渡り終えると、いよいよだという思いから、絣は地を踏み締めて立つようにしなければならないほど、緊張し始めた。桔梗はそんな彼女の様子を横目で見、私たちがしっかりしなけりゃと、サクラにもう一度念を押しておこうとした。
 そうしたときにレミリアが降り立ってきたので、桔梗は少したまげてしまった。
 
 「レミリアさん――ここまで見送りに?」
 当主がわざわざ門番のような真似をして。橙の怪訝な声に、レミリアはシニカルに微笑んでみせる。絣の緊張は倍増しで高まった。
 「良き門出に、運命が良き場所へ吹くように。この私の祝福では不満か?」が、そこで表情を和らげ、「……なんてね。ただの業務連絡よ、そう身構えないで。桔梗?」
 「あ、はい。お嬢様」
 
 レミリアは桔梗を連れ立って一行から離れる。緩むような間に、絣は少し肩の力が抜けてしまうような思いだ。
 サクラを見ても、なんでもないような顔をして主人と同僚の背中を見つめている。いかにも重そうないくつもの剣が、負担でないのだろうかと思ったりする。立ち止まっているのに、下ろそうとしないということは、業務連絡とやらはすぐに終わるのだろうか。
 
 この機会に訊いておこうと思い、橙の裾をくいくい引っ張って、「あの、橙さま?」
 「なに?」
 「そ、その……淫」自分の口からそういうことばが出るのがひどく不躾なことのように思え、ごくり、と唾を飲み込んでしまう。「……淫魔というのは、どのようなものなのでしょうか」
 
 橙は沈黙を挟んで、眉をひそめて頬を掻く。
 
 「知ってるでしょ?」
 「え、えと、うー……想像できる範囲くらいでしか……」
 「いや、そうじゃなくてさ。会って、話してるでしょって意味」
 「ええ? いえ私、そんな知り合いはいません」
 「何度も会ってるって絣が言ったじゃない」
 「言ってませんよ」
 「だって図書館に何度も忍び込んでるって……」
 「図書館となんの関係があるんですか?」
 「ああー、もしかしてわかってなかったの? 小悪魔さんアレかなり古風なタイプの淫魔だよ?」
 
 絣は完全な思考停止だけがもたらす硬直に陥る。
 
 「……はい?」
 「まあ初見じゃわからなくても仕方ないか。誰も教えてくれなかったら種族の名前なんてわからないね。この機会にきちんと覚えておきなさいね」
 「えっ、だっ、えっ?」
 「実際その辺の妖怪と大して変わらないけど。ひとをたぶらかして、魂を堕落させて、食う。司書さんだからか、自重してるみたいだね」
 
 絣は愕然として叫ぶ。
 「嘘だーっ!?」
 
 「こんなんで嘘ついてどうするの。小悪魔さんは淫魔。で、あんたがこれから相手するやつもたぶん淫魔」
 「だっ、だってッ、あんな素敵なひとが!? 妹と一緒に初めてここに忍び込んで見つかったときだって、黙って隠して見逃してくれたのにっ! 妹とふたりであんな綺麗なひと初めてだねって! こっそりお菓子くれたりとかっ、わからないことば付きっきりで教えてくれたりとかっ!」
 「ああ完全にチャームされてるそれ。小悪魔さんのほうにその気がないから別にいいけど、本気だったら一撃で終わってるよ、気をつけなさい。危ないから」
 
 絣はぱくぱくと口を動かし、なにも反論できないでいる。そんなバカな。いつかあんな風な大人な女性になれたらいいなとかひそかに憧れていたのに。現実だと信じていたなにかが足元からガラガラ崩れていく感覚がある。妹よ、あなたはそのことを知っていたのか。あんな上品で、とびきり魅力的な、物腰柔らかで私たちのような闖入者にさえ司書として優しく接してくれ、ときどきふとしたときに浮かべる儚げな微笑がぞっとするほど美しく、それでいて書物に眼を落としている瞬間の横顔は剥き出しの刃のように真剣な、掛け値なしの素敵な女性が、淫魔? ハァ!?
 
 「――橙さまはルーミアとあっはんうっふん、小悪魔さんは淫魔……幻想郷って、幻想郷って――」
 「絣? 大丈夫?」
 「頭冷やしてきます……こんなんで戦えない、私……」
 「あんまり遠く行っちゃだめだよー」
 
 
 
 その江戸彼岸桜は数年前、八雲家の主から友好の証として贈られてきたもので、レミリアよりも十歳年上の代物ということだった。根が張るまで時間がかかったものだが、幹は風雪に削られた巨岩のように太く歪で、表皮の捻じれ具合は堅固で不機嫌な老人の顔を思わせた。枝は四方八方好き放題に伸び散らかされ、ひとの手を介さず年輪を経たことが一目でわかる様相だった。スキマからずどんと埋め込まれたとき、あと五百年もすれば神代桜として相応しい花になるでしょう、と主は胡散臭い顔で言ったものだ。
 いま、花は八分咲きだった。湖から吹きつける春風に、粉雪のように花びらがぽつぽつ落ちている。レミリアがその樹の幹に背を預けると、桔梗は傍らで直立不動の姿勢を取った。
 レミリアはなんだかんだでその樹を気に入っているらしかった。当初は、私より年上をこれみよがしに贈ってくるなんて、と不満たらたらだったものだが。
 
 「お嬢様?」
 
 にしてもやはり、わざわざ業務連絡などに自ら出向くとは。それも一メイドでしかない自分に。そうした疑問に気づいているのか、レミリアは嗜める感じの微笑を浮かべているのだ。
 
 「そう緊張しなくていいわ。良い知らせのほうだから」
 「ですが、どうしてお嬢様が――」
 「咲夜と話してね。さっき決めたの。そのついで」
 
 もともとみんなとそれとなく話してはいたんだけどね。とレミリアは続けて、
 
 「地下の、フランの部屋だけど。取り壊そうと思うわ」
 「――では」
 「ええ。最近はフランも、全然使ってないし。地底だの命蓮寺だのに遊びに行ったり、帰ってきても適当な空き部屋で寝ちゃうし」レミリアはそこで微笑を深める。「封印はもう……いらないわよね」
 
 それはフランドール自身の選択を意味するものだ。恐らく紅霧異変の後、魔理沙とやり合ったあたりからもう確信していたのだろう。自分はもう、能力を完全に使いこなせているのだと。能力に振り回されて相手を壊してしまうようなことはもうないのだと。
 自分を封印せずに済む場所に、フランドールは到達したのだろう。そして地下室を破壊するのは、逃げ道を塞ぐということだ。姉と同じ、剥き出しの世界で立つ決意表明だった。
 
 胸に熱いものがこみ上げてきて、桔梗はたまらずに頭を下げた。「――本当に嬉しゅうございます、お嬢様。桔梗は……」
 「おまえがいちばん初めに知る権利があるだろうと思ったからね。なんといっても、おまえは――」
 
 十数秒、風が吹くに任せた。桜の、枝葉の擦れる音と、湖の、波紋が重なる音が、ふたりのあいだの空気を揺らしていた。
 
 「それで、これからだけど」とレミリアは言う。「……なんだったら、おまえ、白玉楼あたりで働いてみる? 幽々子からね、その気があるメイドを何人か寄越してくれないかって、打診がきてるの。あっちも異変異変で、家族っぽいのが増えてるからね。もちろんそれは転職になるから、お互いそんなに期待してるわけじゃないけど、口約束だし」
 「私は」
 「おまえには随分と長いあいだ望まない仕事を押しつけてきた」レミリアは返事を聞くまえになおも紡ぐ。「パチェがくるまでおまえしかいなかったからね。私は駄目な主ね。おまえにとってはトラウマになってるかもしれない。だから――これが良い機会だと思うのなら」
 
 けどね。レミリアは迷い迷い声の調子を変える。
 
 「できればおまえにはこれからも、ここで働き続けて欲しい。おまえはサクラと同じで、最古参のメイドのひとりよ。率直に言って――」
 「お嬢様」桔梗はレミリアのことばを遮って言う。「失礼を承知で述べさせていただきます」強く前置きして――「私はフランコニア様――奥方様がご存命であられた頃よりお嬢様におつかえしております。お嬢様が乳飲み子でおられた頃には既にメイドとして働いておりました。それからずっと、ずっとずっと、一メイドとしてお嬢様のお傍におります。お嬢様は私にとって、妹のようなお方ですわ」
 
 レミリアは腹の底からの笑みを抑え込むようにそっぽを向く。そうして手をひらひらさせてみせる。
 
 「聞かなかったことにしておくわ」
 
 
 
 桔梗が戻ると、サクラは心配そうな顔をして近づいてくる。
 
 「お嬢様はなんと?」
 桔梗は抱き締めたくなる衝動を抑え込んで言う。「こんな気分はお嬢様の結婚式以来だわ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 いまはそれどころじゃないと頭ではわかっていても、心は心を止められない。湖畔を歩きながら、形容し難い感覚が胸に湧き出てくるのを、絣は茫然と受け止め続けた。
 だってなんとなくイヤなのだ。橙が素っ裸のルーミアに抱きつかれているのを見たとき、頭が真っ白になって、揺さぶられるようだった。そういう感情がお門違いのものだとわかってもいて、そう感じること自体が、なにかしら間違ってでもいるかのような気分にさせられる。それに、淫魔って。こんな真っ昼間から。
 考えれば考えるほど深みにはまっていくように思えて、絣はその場でしゃがみこんでしまった。深呼吸すると、湖の、柔らかく清澄な匂いが胸を満たした。……こういうのに、ああいうのは絶対似つかわしくない。ますます思いはささくれ、ぶすっと唇を尖らせたまま、落ち着くのを待った。
 
 そのとき、後ろから声をかけられた。
 「ねえ、あんたも観光?」
 振り向くと、白いフード付きの外套に身を包んだ、背の高い女が立ち尽くしていた。
 「陽射しが強くてやんなる。日焼けしたくないのに」
 
 フードの下、影のなかで瞳がきょろきょろと動いている。緩慢に持ち上げられた指先に、火の点いてない煙草が挟まれていた。すたすたと近寄ってくると、気さくな感じで絣の隣に腰を下ろす。
 絣は社交的な性格ではない。反射的に身構えたのを、女は明るく笑いながら、
 
 「やだ。なんにもしないって。ねえ、親御さんはどこ? ライター切らしちゃったから火を借りたいんだけど」
 「……親は人里です」
 「あっそう。マッチかなんか持ってたら煙草一本と取っ替えない?……あるわけないか。あーあ、コンビニもないとかまったく予想外だったわ。これで最後の一箱になっちゃったし」
 
 足を投げ出して、すっかり居座る姿勢である。絣はなんとなく窮屈に感じる。煙草を口にくわえて吸う真似をして、途方に暮れたように空を見上げた。
 
 「人里の子か。どうしてこんなとこいるの? 迷子?」
 「そんなんじゃありません」投げつけるようなことばにカチンときて――「それに、人里はもう出ました。いまはひとり暮らしです。紅魔館に用事があって、こっちにきただけです」
 「へえ。ここじゃそういうの多いわけ? 子供がひとり暮らしとか、外の世界じゃ考えられないわ」
 「……幻想入りしてきたんですか?」
 「まね。そうなるのかな」
 
 女のほうに、敵意めいたものは感じられなかった。ただ気まぐれに話しかけてきただけなんだろうと思う。絣はそれで警戒レヴェルを一段階下げる。
 
 「ここ気持ちいいね」と女は言う。「懐かしい感じがする。自然の匂い、っての? あたしが住んでたとこじゃさ、物凄い勢いで開発が進んで、機械臭くなっちゃってさ。テレビかなんかで紹介されたのかな、いきなりどばーってパンピーどもが押し寄せてきて。住宅地みたいなのができて、そっからはもう無茶苦茶よ。まあよくある話ね」
 「……はあ」
 「ああ、でも悪いことばかりじゃなかったよ? 絶滅危惧種がね。誰も気づかず滅んでくだけだったような連中を、保護しようって人間も増えてね。それにさすがに何度も繰り返して気づいたんだろうね、この自然を残そう! みたいな運動がさ。でもまああたしはもう住みづらくなっちゃって。ああごめん、どうでもいい話してるねあたし。ホラ、人間は久し振りに見るからさ? ここらへん妖精ばっかりだし、あの館も――人間いるの? 見たことないけど」
 「ひとり……あとはみんな妖怪さんです」
 「ええー? なにそれ変なの! 飼われてるわけ?」
 「そんなんじゃないです! すっごく優秀なメイドさんなんですよ! それにすっごくすっごく綺麗なひとなんです、こう、本物の銀みたいな色の髪が、腰のあたりまですらっと伸びて」
 
 とってもとっても素敵なひとなんです! と絣は力説する。なんといっても、先代の友だちなのだ。ふたり揃って話しているのを、まだ霊夢も妹も神社にいたとき、一度だけ目にしていた。なんというか、もう、どちらも人外というか入神というか、まったく直視していられないほどだった。
 さっき、レミリアのまえでがちがちになってしまったのだって、半分は彼女のせいだ。
 
 「まあいいや。それよりやっぱダメだわ。煙草吸わないと落ち着かない」
 
 力説を続けようとしたところにばっさりと言われ、絣はむっとする。これだから喫煙者というやつは。苦手だった父親が愛煙家だったということもあって、絣は煙草を見るだけでなにかイヤな気分になる。自分の話よりしばしば煙草、煙草ときたものだ。
 (煙草もえっちぃのも嫌い。……私って好き嫌いしすぎなのかなあ)
 
 ふとそんな自分が情けなく思えて、
 「貸してください」
 「ええ?」
 
 投げ出した女の足にまたがって、額を突き合わせるような体勢を取る。女が眼を白黒させているのに構わず、両手を挟み込むように、煙草の先端を包み込む。
 
 「……私、火属性じゃないんです、けどっ――」
 
 指向性を限定し、霊力を開放させる。それは妹が、霊夢に教わったやり方だ。ちょっとしたコツさえ掴めれば簡単に発動できる、初級者向けの呪。
 妹は一秒で会得した。お姉ちゃんにも教えてあげる! と手を引かれたはいいものの、絣にはなにがなんだかさっぱりだった。妹は教えるという過程が楽しかっただけらしく、一向に上達しない絣に苛立つようなことはなかったが、絣のほうが惨めになってしまったものだ。
 
 「爆炎召喚、炎光招来……!」
 「おおっ」
 
 煙草の先端を挟む両手のひらが、発熱した。午後の強い陽射しのなかでさえはっきりわかるほど、ふたりのからだが明るく光る。妖しい空気が立ちこめ、金臭い、けぶるような匂いが鼻をついた。
 ぱちぱちと軽い音がする。が、それだけだ。
 
 「――だめ、やっぱり無理!」
 
 発動までいかなかった。放たれただけで方向性を見失った霊力が、残り香だけを輝かせて風に散らされる。
 私ってやっぱりダメなやつだ。全然進歩してない。やっぱりやらなければよかったと、昔感じた惨めさを再び味わい、手を引きかける。そのとき、女に手の甲を、覆われるように握り締められた。
 
 「待ち。待った。惜しかったよいまの、もっかいやろ? やり方教えてよ、今度はふたりで」
 「え……」
 「あたしの魔力も貸すからさ」
 
 手の内に温かい感触。他人の魔力。
 こんなの簡単だよ、と満面の笑みを浮かべて言った妹の顔が瞼の裏に。自分には一生追いつけないと悟った瞬間の。いまはそんなことは関係ない、と思ってみても、その感覚はいつも自分の根っこにある。不意に燃え上がるものがあり、絣は頷いていた。
 
 「……協力してくれますか?」
 「は? いやあたしの煙草なんだけど。あたしが言わなきゃでしょ? 火、ちょーだい」
 「――っ、はい!」
 
 
 
 あーでもない。
 
 「――っ!」
 「あっつ! あ、でも無理かこれ。全然足りてない、掻き消えちゃった」
 
 こーでもない。
 
 「……いち、にの、さん!」
 「光だけだこりゃ。蛍の冷光みたいだね。でも火が点かない」
 
 模索、実行、失敗。
 
 「私に残されたすべての霊力を、いまここに――!」
 「あたしの顔燃やす気!?」
 
 煙草に火を点けるなどマッチ一本でできることだ。が、もはやそういう問題ではなかった。絣は零無としての自分を否定したかった。修行してきたことが無駄ではなかったと、証明が欲しかった。
 
 「違うのは呪文? 構築過程? 出力?」
 「全部じゃない? 最初からやり直すほうが絶対はやいって、いままでのは忘れて」
 
 現象の発露へ向けて、ひたむきに探す。手探りでひとつずつ可能性を虱潰しに。
 
 「あ、また……」
 「あんた本当に不器用だね。で、どうすればいいんだっけ?」
 
 ――その過程そのものが楽しい。
 
 「点け――!」
 「いける! いけるってこれ絶対! あとほんの少しだ、がんばれ!」
 
 ほんのささやかにしろ、成長していく感覚がする。触れて触れるほどはっきりした実感がある。
 
 「爆炎召喚、」
 「炎光招来――!」
 
 
 
 何度失敗したかわからなくなった頃になってようやく、
 
 「出たーっ!」
 「よっしゃ!」
 
 女は立ち上がり、思いっきり吸った。肺がいっぱいに紫煙を満たした。そうして腰に手を当て、青空に向けて盛大に吐き出した。
 
 「やっぱ美味い! 最強に美味い! マルボロ最高!」
 
 絣はぐったりきてしまい、膝立ちのまま俯いて浅く肩を上下させている。女はそんな絣の腕を取って立ち上がらせ、右手を空に向けてひらひらさせてみせる。
 「ほら!」
 絣がおずおずと掲げた手のひらに、自分の手のひらを叩きつけて、
 
 「イェー!」
 「い、いえー!」
 言うや否や絣に腕を回して抱きつきにいく女である。
 絣はすっかり驚いてしまい、首の根まで真っ赤にして、口をぱくぱくさせていた。
 
 「あー、やっぱ吸わないと落ち着かないわ。いらいらしちゃってさ……。自分でもやめたほうがいいってわかってるけどね。助かったよ、ありがと」
 にっこりと微笑む女に、絣はひどく動揺して、胸をどきどきさせてしまう。なんの屈託もなく、真正面から感謝されることなど、そうはない。巫女に就いて日も浅いのだ。
 無視して、禁煙させておくほうがこの女のためにはなるのだろうが、そんなことは知ったことではない。絣は自分のなかのもやもやを燃やしたかっただけだ。手のひらに発火した霊力の温度が、まだ残っている。
 
 「なんかお礼したいけど、ごめんね。いま手持ちないや。あんたも吸う?」
 絣は首を振る。「私のほうこそ」今度は頭を下げて、「これがうまくいったの初めてです。こちらこそ、ありがとうございました」
 「そう? どういたしまして。じゃついでにちょっと持っててくれる?」
 「え?」
 「この際だからもう一本点けとこ。火移してさ……はい、くわえて」
 
 言われるがままにくわえて、
 「じゃ吸ってー」
 先端がちりちりしたところに、女がくわえた煙草が寄せられる。吐息が感じられそうなほど近づいて、ふたりの顔が互いの顔の影に隠れ、仄かに照らされる。
 
 「――げほっ!」
 「っと」
 
 絣がむせこんだところで煙草が取り上げられる。副流煙が顔の周りを漂い、絣は恨めしく女を見やる。女はけらけらと笑い、ちびた煙草を靴底に押しつけて火を消した。
 
 「煙草は初めて?」
 「二度と吸いません」
 「それがいいね。ATFとは関わりにならないほうが健康のためだよ」
 「はい?」
 「アルコール・タバコ・火器(ファイアアームズ)取り締まり局。ああ、日本にはそういうのないのね。あたしの故郷のさ……」
 「お酒と弾幕はします」
 「マジで! あんたみたいな女の子が? それが普通なの? なんだここ、怖いなー!」
 
 とはいえ、女の顔には明朗な笑顔しかない。紫煙を吸って、いっそう雰囲気が和らいできたように見える。
 外の世界の住人は、絣も初めてだ。妹が出て行ったせいもあり、どこかよそよそしく感じていた外界への印象が、幾分か変わったように思う。少なくともこういう女と会えるなら、妹も元気でやっていくことができるだろうか……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 絣の霊力は小さすぎて、少し離れるともう妖精と見分けがつかない。橙はサクラや桔梗と手分けして彼女を探し、見つけると、額に手を当てて天を仰いだ。
 身振り手振りを交えて話す見知らぬ女に、控えめな相槌を打つ絣は、いかにも楽しそうで、打ち解けた様子だ。警戒心はもう瀕死も瀕死で、相手の名すらわかっていないだろうに、古くからの友といるかのように和んでいる。女のほうに至っては、いまにも抱きついて、接吻のひとつでもしそうなほどだった。
 
 「絣?」
 やや離れたところから呼びかけると、絣はぱっとこちらを向いて、
 「橙さま!」
 
 ぱっと立ち上がってこちらに寄ってくると、先程の淫魔がどうこうなどということをすっかり忘れ去ってしまったように、女を示してみせる。
 
 「あの、こちら、最近幻想郷入りしてきた方です! 外の世界の煙草もらったんですけど、私吸わないんで橙さまどうぞ! それでですね、いま住むとこがなくて困ってるというんで、橙さまさえお許ししてくれればしばらく神社に泊めてあげようと――」
 「あー、うん」橙は煙草をとりあえずスキマに放り込み、絣のことばを遮った。「最近、ね。一ヶ月くらいまえ?」
 「はい!」
 「……霊夢と違って肝心なとこで鈍くなるな……。ねえ、とりあえずあなた!」女に向かって言う。「フード外して、顔見せてくれる?」
 女は気軽に頷く。「なんだあんた、親御さんきてるんじゃない。猫の妖怪? いやー初めて見るわ、ここってほんと珍しいのだらけねー」
 
 女はフードを外す。
 振り返った絣は固まる。
 
 「……。……――……『赤毛の悪魔』?」
 橙は深く溜息をつく。やっと気づいたか。
 
 
 
 小悪魔の深みのある紅の色調よりも、明るめの色合いの髪だった。肩のあたりでばっさりと切り揃えられ、前髪は長く、フードを外すとその奥の瞳を隠すように落ちた。首が痛々しく思えるほど細く、鼻梁は高く、紅魔館の住人らと同じく西欧系に見られるような顔立ち。眼は豊かな感情を持ってよく動き、固まってしまった絣を見て、怪訝そうな色を含んだ。
 
 橙は絣の背中を叩いて言った。
 「初めて会ったひとには自己紹介」
 絣はびくんと跳ね上がり、よろめくように数歩まえに出て、震えながらぺこりと頭を下げた。「……は、初めまして。絣です。博麗の巫女やってます、一応」
 「へーえ? うん、こちらこそよろしく。あたしは――うん? 巫女?」
 
 ひゅるるるると乾いた風が一陣吹き抜け、一拍置いてから、女の眼が驚愕に見開かれる。火の点いたままの煙草がするりと指をすり抜け、湿った草のあいだに落ちて消えた。煙草を挟む代わりに、震える指先が絣を指差す。
 
 「巫女?」
 「は、はい……」
 「や、だって」困惑するよりむしろ噴き出してしまった。「わっかんねえよ!? 巫女服着てないじゃん!?」
 「似合わないんですもんー!」
 
 絣もなにか理不尽なものに対するように、両拳を握り締めて地に向けて突き出し、眼をぎゅっと閉じて叫ぶ。巫女服に見えない格好なのは先代も同じだったが、絣はそれ以上だ、なにせ紅白どころか紅一色のツーピースに、袖も外してしまったのだから。
 橙はなんだか面倒になってしまい、眼を閉じてもう一度溜息。そうして困惑の深い淵に落ちてしまったふたりの代わりにさっさと話を進めようと思う。
 
 「ねえ、あなた」女に向かって言う。「紅魔館に向かう人間を襲撃したってのはほんとのことだよね?」
 「え?」はたと女は硬直し、橙のことばを聞くと、きょろきょろと眼を泳がせる。が、すぐに自分を取り戻したように橙を見つめて、「あ、あーそうそう! それあたしね、あたし。うん。確かにそう。それはなぜなら――えー……悪魔が人間を襲うのは聖書にもきちんと記されている正しき行い! だから!」
 「それは性的な意味でも?」
 「は?……あ、ああー……」
 なにかに思い巡らすようにそっぽを向いてから頭をがりがり。橙はそんな彼女の様子を見、だいたい合点がいく。が、女が態勢を立て直すまでは待ってやる。女はすぐに、吹っ切ったように向き直って高らかに言う。
 「そ、そのとおり!」
 
 それだけ聞ければ充分だった。橙は絣の背中をもう一度叩く。絣は自ら犯行宣言をした女に愕然とした眼を向けていたが、叩かれてさらに数歩まえに出、しかし、橙のほうに振り向いてしまう。
 橙はばっさりと言う。「絣。妖怪退治。仕事をしなさい」
 
 橙のことばには冷たささえある。私情と公務を完全に断ち切る物言いに、絣はびくりとして唇を噛む。信じられない気持ちばかりあるのだ、パチュリーの話に聞いた、ひとを襲う悪魔と、眼のまえの、煙草を吸って晴れ晴れとした笑顔を浮かべた女が、同一人物だとはまったく思えなかったから。
 霊力と魔力を重ね合わせた。それは百のことばよりも深い繋がりをもたらす行いだ。ささやかな発火は、その行為の「遅い」結果に過ぎない。それで互いのことがなんとなくわかる、どういった性質の者だかそれとなく理解できる、そちらのほうが「早い」結果なのだ。
 
 「橙さま、わ、私――」
 
 反抗の色を宿す絣の眼に、橙は腕を組んでまたもや溜息。どうしてこう話がややこしくばかりなっていくのか。おもむろに女を指差して聞く。「友だち?」
 「そういうわけじゃ……でも……」
 「でも?」
 「そう……なれそうだなって。だって全然悪いひとじゃないのに」
 「悪いかどうか会ったばかりじゃわからないでしょ」
 「わっ、わかります! えと、あの、勘で!」
 
 博麗の勘は自分の解釈を都合よく捻じ曲げるための能力じゃないぞ、と説教のひとつでもしたくなるが、いまはそれどころではない。敵が目前である。女を見ると、こちらがぐずぐずしているあいだに先手を打つなり逃げるなりすればいいものを、眼を泳がせてどうすればいいか迷っている様子。
 
 「あのね、絣。あなたはなに?」
 「うー……巫女、です……」
 「うん、で、ここになにしにきたの?」
 「妖怪退治です……」
 「そう。それじゃなにをどうして退治するの?」
 「スペルカードルールで」
 「はい。そうだね、弾幕ごっこ。わかる? ごっこ遊び。シューティングゲーム」
 「……え?」
 「勘違いしないこと。博麗の巫女の降魔は殺し合いじゃない。きちんとしたルールに則った決闘で、お遊び。レミリアさんも、他のみんなも、霊夢と最初に出会ったときは霊弾飛び交う銃撃戦だった。わかる?」噛んで含んで言い聞かせるように――「とりあえずぶちのめしなさい。ゲームなんだから、真剣にやるように。仲直りはその後でしなさい」
 「は、はい!」
 
 やっと納得した絣の背中をもう一度叩く。よろめいてつんのめった絣は、けれども、三歩目からはどうにか自分の足で敵のまえまでゆく。困惑は抜け切れていないが、そんなものは現実をまえにすれば腐った木のようなものだ。
 ぺこりと頭突きのような勢いで頭を下げて一言。「よろしくお願いしますっ!」
 
 「あー、うん、巫女かー。まあそうなるよねー。いや残念だわ、あたしさ、あんたみたいな子嫌いじゃないんだけど。ごめんねえ、名札でもつけとくべきだったね、『悪魔につき巫女神父ハンターその他諸々堅気の方々は近づかないように』って」
 「う、私も巫女らしい巫女服着てなくてごめんなさい……」
 「いやわかってるのよ、似合う似合わないはそれぞれだもんね。制服着たくない女子高生だっているもんね。あたしもさー、悪魔のセンパイ方々みたいな格好いやでいやでさ、人間のできるだけ地味ーな服着てさ、週末にショッピングモールでうろうろしてるのが好きなのね。必死こいて喫煙所探しちゃって一服してはまたウインドウショッピングして、三十分持たないからまた煙草くわえに戻って――」
 「吸いすぎですよ!? 肺壊しちゃいますよ!」
 「いやあんただってその歳で酒とか絶対肝臓おかしくするって! そりゃ付き合いみたいなのもあるんだろうけどさあ、十二か十三かそこらでしょ? 赤ちゃん産むのだって大変に」
 
 橙はイライラしながら言う。「さっさと始めなさい」
 
 「あっはいすみません! そのだから、そういうわけで! よろしくお願いします!」
 「あーはいはいわかりましたよっと。でも、いいのね? やるんだったらあたしだっていろいろするけど。『魔法、主に召喚と転送術を扱う程度の能力』。我が呼びかけに応えよ!」
 
 女が宙に浮かび、なにやら印を結ぶと、空間が捻じれた。幾重にも折り重なった魔力が陣を成す。女を中心に地面が赤く染まり上げられ、風が真上に向かって吹き上がる。腕がなにもない空間を叩くと、そこだけ透明な壁であったかのようにひび割れ、なかからミルク色の光が溢れ出す。
 現れたのはパチュリーの話にあったように、触手だった。十数本の蛸の脚のように絡まり合いながら、光のなかから外側に向けて押し出され、地に粘液を滴らせながら着地する。
 絣が見上げてしまうほど大きかった。触手以外にはどんな器官も存在しない、まあ、ただそれだけのために造られたような異形だった。
 
 絣は驚愕に顔を歪めて絶叫した。
 「……って、ええ!? うわぁーっ!?」
 橙はわりとつまらなそうにそれを見ていた。
 「……普通だなあ」
 
 「なんで橙さまそんな落ち着いてるんですかー!」
 「いやだって、あまりにもテンプレそのまんまじゃない。あんなの誰がやっても同じだし、いつでもどこでも見れるしできる。ありきたり。独創性がない。美意識が感じられない。二点。あ、もちろん百点満点でね」
 「てかあれ弾幕的にアリなんですか!?」
 「グレイズできればなんでもいいよ。それに相手がどんなルール違反したって、とりあえずあんたがルールを遵守して、それで勝てば問題なし。そもそも審判とかいないし」
 「基本的に巫女に優しくないルールなんですね!? 縛られるのはこっちのほうなんですね!? 実際直面してやっとわかりましたよ、これって――うわぁきたきたきたきたー!」
 女はがっくりと肩を落として言った。「……あたしだってヤなんだけどさあ、これ。ちっとも可愛くないし……でも使えって……」
 
 地を這う波のように触手が押し寄せ、絣は地を蹴って飛んだ。一応は空を飛ぶ程度の能力だが、未熟なせいで、打ち出されたパチンコ玉のような軌道になってしまっている。触手が彼女を追って跳ね上がると、絣は悲鳴を上げながらもからだを捻じってその弾道から逸れる。
 触手は迫力こそあるが、自機を追尾するタイプの弾幕としては遅すぎ、大雑把すぎ、単純すぎる。一方で絣は自機としては頼りなさすぎるが、それでも一応、橙と毎日撃ち合い、それが一年ほど続いている程度には熟練している。グレイズはお手の物だ、顔は必死すぎて歪み切っているが。
 
 「このおっ――」
 
 空を縦横無尽に逃げ惑いながらも、絣は反撃を試みる。振り返り様、手のひらに生んだ霊弾を放つ。
 札なら主である女を正確に追っただろうし、針なら触手を貫いただろう。が、霊弾は、単なる弾丸だ。触手の一本に当たって怯ませた、次の瞬間には他の触手が押し寄せている。霊力が足りないせいで、絣の弾幕の密度はあまりにも薄い。単純に力負けしている。
 
 「あっ、ちょおっ、ひぃえっ!?」
 「――追いきれない、かあ」
 
 錐揉み回転しながら三百六十度逃げ回る絣に、触手は追いすがれない。女は注意深く絣の射線上から触手の陰に身を隠し、触手の肉を、絣の弾幕は突き破れない。
 早くも膠着状態に陥ってしまったようである。どちらかがタイム・アウトするまでは均衡は破れないだろうが、無論、不利なのは絣のほうだ。女のほうはただ辛抱し、絣が神経をすり減らすのを待てばいい。けれども絣はどれだけ待っても、状況が好転することはない。
 埒が開かない。絣は切り札をさっさと切ってしまおうとする。が、次から次へと迫りくる攻撃をかわすことに精一杯で、集中が妨げられる。付け焼き刃はまだ叩かれていない、始動にどれだけ時間を食うのか見当もつかない。
 
 これまでか――
 そう思った瞬間、絣のからだが触手に呑まれる。
 
 「――。あれ?」
 「お?」
 
 一瞬遅れて、絣のからだを素通りした肉の壁にうっすらと切れ込みが刻まれる。
 さらに一秒置いて、青紫の血飛沫が噴き出し、二十ほどの部位に泣き別れし、ぼたぼたと地表に墜ちていく。
 
 「申し訳ありません。湖の反対側を探していたようですわ」
 触手の根元。両足を肩幅より広く開いて地を踏み締め、鞘に収まったままの脇差の柄に手をかけたサクラが言う。
 「遅れました。あれが赤毛の悪魔でよろしいですね」
 橙の隣に降り立った桔梗が言う。
 
 「サクラさん!?」
 
 絣が叫んだとき、標的を変えた触手の群れがサクラにその先端を向ける。押し寄せる実体の弾幕をまえに、サクラの膝が沈み、左手が脇差の鍔をわずかに押す。
 鈴の鳴るような音。誰にも抜き身が走った様子を見て取ることができない。サクラの放った刀は放たれた刹那にはもうその鞘に刃を戻している。ただ斬ったという事実だけがその場に残る。切り刻まれ、寸断された触手が彼女の周りに土埃を立てて墜落する。
 サクラは脇差を鞘ごと放り投げてしまう。
 「刃毀れしてしまいました。未熟な技ではどうしようもありませんわね」
 
 女は怪訝な眼を向ける。「また変なのがきたね。……剣を使う妖精なんて初めて見たよ。あの館のひと?」
 サクラはにっこりと笑って言う。「いまは巫女様のオプションですわ」
 「サクラさん――」
 「巫女様。ひとまず私が相手をいたしますので、どうぞごゆっくり術式の準備を。非力な妖精とはいえ、足止め程度ならしばらくは大丈夫ですから」
 「あ、あ――はいっ!」
 
 絣が一旦後退したのを認め、サクラは右肩に背負った巨大な鉄塊を抜き放つ。鈍重な音とともに切っ先が地面に食い込み、妖精の細い腕が力強く軋む。
 「……生まれは会津藩田村、育ちはピッツ・バディレ・ディ・ラヴァレド。三春の滝桜の精『凪』。いざ」戦闘に即し、深みを増した黒い眼が不穏に輝く。「侍として――推して参る!」
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2012/03/23 22:53 | Comments(0) | 東方ss(長)

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