オリジナル。日常登山微百合ぐだぐだ系小説。サッカー見ながら。
新章はいりまーす。なお別段変わった展開はない模様。
リアルでどこの山行こうか考えてー、小説でどの山行かせようか考えてー、山以外ってダクソのことくらいしか考えてない件。あれ?
不死街でたまに対人やってます。勝率十パーセントの初心者丸出しや。ラグで真正面からスタブ喰らったり、わざわざ赤サイン拾って駆逐する出待ちに蹂躙されたり、道場かと思って一礼した瞬間真後ろから不意打ちされたりするたびに大爆笑しとります。アカン楽しいわ。純粋な格ゲーもやってはみたいんですがw
油断がなかったといえば嘘になる。羽目を外しすぎたところもあったのかもしれない。しかし、天見にしても好きでそんなインパクトを撒き散らすつもりもなかった。そう言ったところでどうせ誰も信じちゃくれないが。
槍ヶ岳の下山時、篠原杏奈に携帯の番号を教え、その結果、次の日に早速連絡がきた。春休みが残っているうちに一緒にクライミングに行こう!と。断る理由もなかったし実際にそうしたい自分もいた。雪の槍ヶ岳は楽しかったが、ロック・クライミングの要素はというと、充分でなかったのだ。それでふたりで都合をつけ、湯河原幕岩まで登りに行った。伊豆だから、この時期にもう雪はなく、春の香りが濃厚で快適な登攀を楽しめた。暗くなっても帰るのが億劫でヘッドライトで登った。その帰り、奢るというものだからうっかり晩飯をご馳走になり、その日の反省を侃々諤々と語り合った。自分より遥かに経験も実力もある杏奈の話は大変ためになった。モチベーションのグラフは順調に右上がり、これからのことも考えると話題は尽きずにまったくキリがなかった。なにはともあれ杏奈と知り合えて心底良かったと思う。そのようにして、天見は貴重なザイルパートナーを得たのだった。
それでもって思いっ切り終電を逃した。
「……」
天見は教室の扉を開け放った。中学の入学式は終わっていた。まさに中学生活最初のホームルーム真っ最中で、これからの三年間に期待と不安を抱く多種多様な顔、顔、顔が、開始早々遅刻をかました天見が敷居を跨ぐのをじっと見つめていた。ざわめきが一気に静まり返っていっそ不気味だった。まだ若い、きちっと手本のようなスーツを着込んだ女教師さえ、天見のなりを認めてかくんと顎を落としていた。
それもそのはず。家に帰らず直接登校したためにクライミングの格好のままだったのだ。三十リットルのアタックザックにはハーネスにギア、クライミングシューズしか入っていない。
「姫ちゃんここー! 姫ちゃんの席ここー!」
空気などまったく読むつもりのない鵠沼紡が、いちばん後ろの窓際でぶんぶん手を振って自分の存在をアピールしていた。彼女と同じクラスだと初めて悟り、天見は思わず舌打ちをしていた。教室全体に響き渡る、剣呑な舌打ちだった。結局、それで天見の第一印象は確定してしまったのだった。
ホームルームも終わるところだった。ぎこちなく生徒たちが立ち上がるなか、天見は背もたれに深く身を沈め、もう一度舌打ちしたくなるところを辛うじて抑えていた。まったく、面倒なことになったと思った。これも全部春休み最後の日にクライミングに誘ってきた杏奈のせいだと決めつけてしまい、ほんとうは感謝しているのにもかかわらず、杏奈の呑気なクライミング・シーンを思い返しては苦々しく心を濁した。
天見と違って白のセーラー服をしっかり着ている紡がにこにこと言う。「姫ちゃん髪染めたんだ?」
天見は頷いた。「うん」
「似合ってるよ! 懐かしいなあ、あたしの田舎さあ、外人さん多いせいかもわからんけど、金とか銀とか紅とか青とかいろんな髪のひとがいて――でも、なんで? どんな心境の変化?」
「別に。そのほうがわかりやすいと思っただけ」
「なにが?」
「不真面目扱いされたほうが楽」
「姫ちゃんくらい真面目な子もそうはいないよぉー」
首の後ろまでの髪を、思い切って明るめの金に染めていた。そう大した考えがあってのことではない。紡に話したとおり、そのほうがわかりやすいと思ったからそうしただけだ。自分という女について。
「ずっとお慕い申し上げておりました、先輩。好きです。私と付き合ってください」
杏奈は愕然として硬直した。「……。……。――、……。……えっ」
高校の屋上。雲ひとつない快晴、突き抜けるような青空が眩しい。始業式を終えて早々呼び出され、イヤな予感をひしひしと感じながらも逃げられもせず、恐々とやってきてみたら眼のまえには可愛らしい女の子。たぶん二年生、艶のある黒のおさげ髪にハーフフレームの眼鏡、自分よりも頭ひとつぶん背の低い、見るからに真面目そうな、やっぱりどう穿って見ても女の子。というか女子高に男がいたら大問題だ。
名前も知らなければ話したこともない。聞き違えでなければいまあたしは出会い頭に告白された。どういうこっちゃねんと内心頭を抱え、杏奈は必死こいて脳味噌をフル回転させ状況を把握しようとひたすら努力。
ささっと周囲に視線を走らせ、「……ば、罰ゲームかなにか?」
「私は真剣です」
「マジ?」
「本気の本気です」
恐る恐る視線を戻すと痛いくらいマジな眼が返ってきて痛い。ひぃと顔ごと逸らして後退り、そんなことをしても現状がどうにかなるわけはない。つまりはそういうことだと。とうとうこの日がやってきてしまったわけだと。
「……。え、いや、なんであたし? あたしの記憶違いでなけりゃ、あなたとはいっぺんも話したことないよね?」
「一目惚れでした」と少女は胸に手を当てて、「あれは半年前の乾いた秋の日、ふと立ち寄った駅前の商店街、例年恒例のアームレスリング大会で女性の身でありながら無双をするこの高校の制服姿。並み居る力自慢の腕太き男性たちをばっさばっさと切り捨てて、一等賞を掠め取っていったあなたは賞品の加湿器を抱えて悠々と去っていきました。思えばあの日からあなたの後姿が瞼の裏からどうしても離れてくれず、ようやく此処で先輩とお会いできたときから胸のときめきが収まり得ません。きっとご迷惑だとひとり悶々と耐え忍ぶ毎日でしたがこの春休みの空白、先輩の姿を掠め見ることすらできなかった日々にとうとう収まりがつかなくなり、こうなれば玉砕覚悟と一世一代の決心を致してこうして僭越ながらお呼び出しを」
「ああー。ああー」
身に覚えがあるのが辛い。母親の美奈子が乾燥肌で悩んでるというのにあのバカ親父がそれに気づきもしないから、仕方ないので自分がなんとかしてやろうと商店街をうろうろ、バイト代を叩いて購入しようと思っていた矢先にあんな企画。高校生の身分で現金数万は重い以上に重すぎる。
金と女子力を天秤にかけてあっさり折れた。それなりに有名な女子高の制服、ブレザーでボクサー体型の二の腕は隠れ、女と侮って勝手に油断してくれる者が多数。最初の一瞬で勝負を決してしまえば後はクライマーの腕力と重心のバランス次第でどうにでもなる。そういうわけで結局、大した労力も使わないうちにあれよあれよという間に優勝してしまったのだった。
「いやホラあれは……実力じゃないし、みんな油断してただけだから……」
「確かにそういうところもあったかもしれません。でもフロックだけで突破できるほど、容易くない競技であることくらい、こんな私でもわかります。なにより決着のついたのち、拍手や賞賛を一顧だにもせず、まるでなんでもないことであるかのように気取ることなく自然な面持ちで去っていったあなたの姿にこそ眼を奪われたのです。わかっていただけますでしょうか。それまでああした場は男性だけのものだと思い込んでいた私の長年の常識を、あなたはあの短い時間で、あっという間に覆してしまったのです。その衝撃たるや、母親の子宮から顔を出して以来の――」
「はい。あの、はい」
熱烈な視線に晒されて杏奈は恐縮するしかない。そういう風にして真正面から褒め称えられるのは初めてである。いや正確にはクライミングをやり始めた頃、父親に、おまえには才能がある、素質がある、なにより素晴らしいバランス感覚があるなどと言われた記憶はあるのだが、身内であるせいかこれっぽっちも信じることができず嬉しくもなんともなかった。そう悪い気分ではない。しかし、この状況である。
「あの私」少女はかっと首筋まで染めて、「告白なるものはいかんせん生まれて初めてなもので。ことば足らずでしたらどうかお許しください、こんなに緊張してしまうこともこれまでなかったのです。これ以上どう伝えたらよろしいのか、まったく見当がつきません。からだじゅうどうにかなったように熱くなって、いっぱいいっぱいなのです。ですが、これ以上ないくらい真剣なことだけはご理解ください……」
「あっ、はい、どうもすみませんですはい」
「――して、その。お返事は」
「……。えっ、いま?」
「できれば――」
ひゅるるると春の柔い風が吹き渡り、杏奈はごくりと喉を鳴らす。なにこれ。マジかよ。頭のなかを断片的なことばがぐるぐると二重螺旋模様、じわりと追い詰められて脇汗が滲む。あたりを見渡しても助けてくれる残置支点はどこにもない、ピトンもハーケンもスリングもなしでランナウトせねばならぬ。ルートファインディングは当てにならない、まるでヘッテンなしで真夜中の単独登攀に挑むようだ。
以前の自分ならとにかく真っ先に逃げ出していた。ラヴレターをもらったことも一度ある、そのときは斜め読みするだけで背筋がぞわぞわ、思考を停止してクライミング・ジムへ現実逃避した。ここでもそうすればいいと自分の一部が主張している。撤退するのだ。なにもなかったかのように立ち去って、なにより落ち着くジムのベンチに座ってただ壁を見上げればいい。課題で頭をいっぱいにして、限界グレードに挑戦するのだ。天見のムーヴを眺めて、アドヴァイスを送ったっていい。
『ボルダーで初段ひょいひょい登る女のほうがよっぽど少数派だと思う』
「ぐっふ」
その天見に槍ヶ岳小屋で言われたことが胸をよぎり、杏奈は思わずたたらを踏んだ。自分がどれだけこうしたことに偏見を抱いているのか思い知る瞬間がある。ぐっと息を詰めて現実に立ち返り、額に滲んでいた汗を拭って深呼吸。
偏見を捨てて等身大の視線で世界を見るのだ。グーグル大先生によれば現在の日本国において二十人にひとりは同性愛者だという。クラスにひとりないしふたりはそうなる計算だ! だったら、あたしたちクライマーは? クラスにひとりはあたしのように、クライミング・ジムでボルダーにいそしんでいたり、春の槍ヶ岳に登ってちょっとした充実感を得たりしている? まさか。そんな連中のほうがよほど少数派だ。
「うぎぎ……」
認めなければなるまい。マイノリティはむしろあたしのほうだ。だったら、どうする?
眼のまえの女の子。改めて見るまでもなく間違いなく可愛い。どうへりくだってみても、相当高いレベルに達していると考えていいだろう。見るからに清楚で礼儀も正しく、自分なんかと違ってこのうえなく女の子らしい女の子だ。もちろん、見かけだけですべて決めつけてしまうわけにはいかないが、第一印象はひとまずとても大事なことだ。こうしていきなり告白されて、断る男子がいるだろうか? 彼女持ちだって思わず受けてしまうかもしれない。なんでよりにもよってあたしなんだもったいねェ。もっとこう、これほど可愛ければもっと相応しい相手だっているだろうに――!
断るか!? いや、どれだけの勇気を搾り出して告白してくれたかを考えるとそれも申し訳なく。だからといって申し訳ないというだけで付き合うものか普通? 告白などされたことがないからこうしたときの対応がまったくわからない。そう、初めてなのだ。
「先輩……」
「ちょ、ちょい待ち」
不安げな眼で問いかけられ、頭のてっぺんから足の先までますますテンパッていく。いやだから。どうすりゃいいの。中途半端にひとがいい杏奈はばっさり切り捨てることもできずにひたすらじりじり。急速に負担のかけられた胃腸が悲鳴を上げ、腹どころか全身が痛い。視界が滲みさえする。誰か、誰かお願い誰か助けて。
「ご迷惑だったことは重々承知しています」と少女はぺこり。「でも、委員会の裾野先輩から篠原先輩のことを耳にするたびに、想いが募ってどうしようもなかったのです。山を登っているとお聞きしました。私にはそれがどういうことか理解しきることはできません、けれど――」
震え、萎んでいく声。もう半ば諦めかけている。
(そんな声を出さないで……っ)
祈るように思うのだけれど現実は遠退かない、陽光がちりちりと首の後ろを鈍く焼く。
ダメだ、と思う。とてもじゃないけど断りきれない。撤退できないのなら進むしかない、けれどいまの自分にはどうしてもその先へ行けるとも思えない。進退窮まって心がバキバキ、吐きそうなほど喉が軋み、杏奈はとうとう、
「……。お、お友だちから……お願い、しますぅ……」
優柔不断に屈して墜ちた。
「なに? 電波が悪くて、よく聞こえない。……後輩に告られた? ふぅん、おめでとう。おめでたくない? ああそう」
空はフードを後ろに逸らし、携帯を耳に押し当てた。それでも杏奈の声はくぐもって聞こえづらかった。なにか悲鳴のようにも思えるのだが、どうしてそんな声音なのか。
「まあ、落ち着きなよ。え、なに? 女? 女がどうしたの?……女に、え? ごめんもう一度言って。……なんでそんな口から古列車のタイヤみたいな音出すのさ?」
颶風に晒され、空は眼を細めた。メットを外して、手袋越しに頭を掻く。雪を散らしたような灰色の白髪は、徐々に本来の色を取り戻し、頭頂部が黒く染まり始めていた。男のように短く刈っていた長さも、肩のあたりまで伸びつつあった。けれどそのせいで余計に歪な色模様になりつつもあった。
「あーわかったわかった! 女に告られたってこと! で、あんたはどうしたの……なんだって? 全然聞こえないよ、もう少しはっきり喋っておくれ。やんわり傷つけないように断るにはどうしたらいいか? そんなことあたしに聞くなよ」
斜陽が雪面を照らし、燃え盛るような黄金色に染め上げていた。稜線からの地平線はうっすらと霞み、地上と天上は見分けがつかない。紫色に染まる雲に、独特の澄んだ高所のにおい。あたりに人影はなかった。空はただひとりで、天地の境目に座り込んでいた。
「泣くなよ……えーと、その子はなに? 普通の子? だったら適当な山に連れてけば一発で破局じゃないの。ええ? 風が強くて聞こえない! 電波も、さすがにダメかこれ。通じたのが奇跡みたいなもんだ。
どこにいるのかって? カムエクだよ。え? カムイエウクチカウシ。カムイ、エウクチ、カウシ山! 北海道だよ! なんでそんなところにいるのか? あ、いや、なんか行きたくなったから」
カムイエウクチカウシ山は日高山脈の盟主であり、標高は1975メートル、主脈の中央部に鎮座して整備された一般ルートもない。夏であれば沢を何度も渡渉し、七ノ沢から八ノ沢に至り、カールを登って稜線に出る。積雪期であれば、その降雪量はお察しである。無限に続くラッセルと複雑な地形に辟易しながらも、空はどうにか、山頂に至ることができたのだった。
見渡せば、十勝幌尻岳や岩内岳、ピラトミ山、札内岳やエサオマントッタベツ岳など、日高山脈の面々が北海道の雪を被って白くうつくしい。標高からすれば日本アルプスよりも千メートルは低い山々だが、一概に『高きは尊し』とは限らない。その積雪や天候、山模様などは、決して三千メートル級に引けを取るものではなかった。
「いや、こっちは凄いよ。なんていうか、長野とは違う空気があるね。あたりまえだけど。同じ国で、ここまで違うとは思わなかった。なにが違うって言われれば困るけど――そんなことはいいって? はいはい、おっしゃるとおりですね。だから、山に連れてけば簡単に振られるだろって言ってるの。
そうだね、八ヶ岳なんかおすすめだよ。金持ちの観光地みたいな風評があるけど、横岳のあたりはやっぱり抜群だ。六月あたりまで、残雪期だしね。そう、手頃だとかなんとか言って、天狗岳あたりに連れてってみたらどう? 茅野からバスでアプローチも便利だし、黒百合平なら小屋泊まりもできて、初心者向けだ。もちろん、夏に限ればだけど」
空はくすりとする。
「黒百合平の黒百合ヒュッテは、あのくらいの高さにある山荘にしては珍しく通年営業で、おまけにちょっとびっくりするくらい綺麗な小屋だ。トイレもまるで下界みたいに整ってる。でもだからこそ、週末は混雑して、他の小屋と同じようにちょっとばかり混沌とするときもある。一般人なら疲れきっちまうだろうね。それでついてけないって思われれば、それで終わりだ……え? ねえ、聞こえてる!?」
まじまじと携帯を見つめて、バッテリーまで瀕死になっていることを認めると、空は溜息をつく。
「そう、だから……黒百合平から天狗岳! そうだよ、黒百合! ふざけてるのかって? ふざけ……なにが? あたしは真面目だけど。ねえ、あたしの言ったことちゃんと聞こえた? 天狗岳! 黒百合! だから黒百合だって――聞こえてねえなコレ」
空は顔をしかめる。そこで電話が途切れ、杏奈の甲高い喚き声を残して、静寂が立ち戻る。
携帯を内ポケットにしまい、それにしても、と首を傾げる。
「黒百合っつったらなんかキレられた。百合のなにが気に食わないんだい? 花言葉なんかは、あたしは知らないし。最近の子はよくわからないね……」
ふうと溜息をひとつ。
そうして立ち上がり、ザックを担ぐ。
自然の雄大さをよく語られる北海道だが、それは山にしても例外ではない。生まれてこのかた様々な山を眼にしてきた空でさえ、はっとするような強烈なうつくしさが、この地にはあった。深遠で、かつ峻烈だった。カムイエウクチカウシ――神の転げ落ちるところとはよく言ったものだと思う。
背筋を真っ直ぐにし、大きく伸びをして、
「――。このために生きてるって感じがするな……」
先日、天見と杏奈と三人で槍ヶ岳に登ったときと違い、今回はただひとりだった。しかし、孤独だとは思わなかった。パーティで登るのと、単独行のあいだには、人数の違いというだけでは説明できないほど大きな隔たりがある。好き嫌いや、優劣ではない。山行そのものの芯から、なにか違うのだ。
ふっと唇を綻ばせ、ほとんど少女のように微笑む。
空はそのどちらも愛していた。というよりは、山に関する限りはすべて。そうしていままさに、望んだ山頂にいる……
「さて、下りるか」
次はどの山に登ろうかと胸を躍らせている。
新章はいりまーす。なお別段変わった展開はない模様。
リアルでどこの山行こうか考えてー、小説でどの山行かせようか考えてー、山以外ってダクソのことくらいしか考えてない件。あれ?
不死街でたまに対人やってます。勝率十パーセントの初心者丸出しや。ラグで真正面からスタブ喰らったり、わざわざ赤サイン拾って駆逐する出待ちに蹂躙されたり、道場かと思って一礼した瞬間真後ろから不意打ちされたりするたびに大爆笑しとります。アカン楽しいわ。純粋な格ゲーもやってはみたいんですがw
油断がなかったといえば嘘になる。羽目を外しすぎたところもあったのかもしれない。しかし、天見にしても好きでそんなインパクトを撒き散らすつもりもなかった。そう言ったところでどうせ誰も信じちゃくれないが。
槍ヶ岳の下山時、篠原杏奈に携帯の番号を教え、その結果、次の日に早速連絡がきた。春休みが残っているうちに一緒にクライミングに行こう!と。断る理由もなかったし実際にそうしたい自分もいた。雪の槍ヶ岳は楽しかったが、ロック・クライミングの要素はというと、充分でなかったのだ。それでふたりで都合をつけ、湯河原幕岩まで登りに行った。伊豆だから、この時期にもう雪はなく、春の香りが濃厚で快適な登攀を楽しめた。暗くなっても帰るのが億劫でヘッドライトで登った。その帰り、奢るというものだからうっかり晩飯をご馳走になり、その日の反省を侃々諤々と語り合った。自分より遥かに経験も実力もある杏奈の話は大変ためになった。モチベーションのグラフは順調に右上がり、これからのことも考えると話題は尽きずにまったくキリがなかった。なにはともあれ杏奈と知り合えて心底良かったと思う。そのようにして、天見は貴重なザイルパートナーを得たのだった。
それでもって思いっ切り終電を逃した。
「……」
天見は教室の扉を開け放った。中学の入学式は終わっていた。まさに中学生活最初のホームルーム真っ最中で、これからの三年間に期待と不安を抱く多種多様な顔、顔、顔が、開始早々遅刻をかました天見が敷居を跨ぐのをじっと見つめていた。ざわめきが一気に静まり返っていっそ不気味だった。まだ若い、きちっと手本のようなスーツを着込んだ女教師さえ、天見のなりを認めてかくんと顎を落としていた。
それもそのはず。家に帰らず直接登校したためにクライミングの格好のままだったのだ。三十リットルのアタックザックにはハーネスにギア、クライミングシューズしか入っていない。
「姫ちゃんここー! 姫ちゃんの席ここー!」
空気などまったく読むつもりのない鵠沼紡が、いちばん後ろの窓際でぶんぶん手を振って自分の存在をアピールしていた。彼女と同じクラスだと初めて悟り、天見は思わず舌打ちをしていた。教室全体に響き渡る、剣呑な舌打ちだった。結局、それで天見の第一印象は確定してしまったのだった。
ホームルームも終わるところだった。ぎこちなく生徒たちが立ち上がるなか、天見は背もたれに深く身を沈め、もう一度舌打ちしたくなるところを辛うじて抑えていた。まったく、面倒なことになったと思った。これも全部春休み最後の日にクライミングに誘ってきた杏奈のせいだと決めつけてしまい、ほんとうは感謝しているのにもかかわらず、杏奈の呑気なクライミング・シーンを思い返しては苦々しく心を濁した。
天見と違って白のセーラー服をしっかり着ている紡がにこにこと言う。「姫ちゃん髪染めたんだ?」
天見は頷いた。「うん」
「似合ってるよ! 懐かしいなあ、あたしの田舎さあ、外人さん多いせいかもわからんけど、金とか銀とか紅とか青とかいろんな髪のひとがいて――でも、なんで? どんな心境の変化?」
「別に。そのほうがわかりやすいと思っただけ」
「なにが?」
「不真面目扱いされたほうが楽」
「姫ちゃんくらい真面目な子もそうはいないよぉー」
首の後ろまでの髪を、思い切って明るめの金に染めていた。そう大した考えがあってのことではない。紡に話したとおり、そのほうがわかりやすいと思ったからそうしただけだ。自分という女について。
「ずっとお慕い申し上げておりました、先輩。好きです。私と付き合ってください」
杏奈は愕然として硬直した。「……。……。――、……。……えっ」
高校の屋上。雲ひとつない快晴、突き抜けるような青空が眩しい。始業式を終えて早々呼び出され、イヤな予感をひしひしと感じながらも逃げられもせず、恐々とやってきてみたら眼のまえには可愛らしい女の子。たぶん二年生、艶のある黒のおさげ髪にハーフフレームの眼鏡、自分よりも頭ひとつぶん背の低い、見るからに真面目そうな、やっぱりどう穿って見ても女の子。というか女子高に男がいたら大問題だ。
名前も知らなければ話したこともない。聞き違えでなければいまあたしは出会い頭に告白された。どういうこっちゃねんと内心頭を抱え、杏奈は必死こいて脳味噌をフル回転させ状況を把握しようとひたすら努力。
ささっと周囲に視線を走らせ、「……ば、罰ゲームかなにか?」
「私は真剣です」
「マジ?」
「本気の本気です」
恐る恐る視線を戻すと痛いくらいマジな眼が返ってきて痛い。ひぃと顔ごと逸らして後退り、そんなことをしても現状がどうにかなるわけはない。つまりはそういうことだと。とうとうこの日がやってきてしまったわけだと。
「……。え、いや、なんであたし? あたしの記憶違いでなけりゃ、あなたとはいっぺんも話したことないよね?」
「一目惚れでした」と少女は胸に手を当てて、「あれは半年前の乾いた秋の日、ふと立ち寄った駅前の商店街、例年恒例のアームレスリング大会で女性の身でありながら無双をするこの高校の制服姿。並み居る力自慢の腕太き男性たちをばっさばっさと切り捨てて、一等賞を掠め取っていったあなたは賞品の加湿器を抱えて悠々と去っていきました。思えばあの日からあなたの後姿が瞼の裏からどうしても離れてくれず、ようやく此処で先輩とお会いできたときから胸のときめきが収まり得ません。きっとご迷惑だとひとり悶々と耐え忍ぶ毎日でしたがこの春休みの空白、先輩の姿を掠め見ることすらできなかった日々にとうとう収まりがつかなくなり、こうなれば玉砕覚悟と一世一代の決心を致してこうして僭越ながらお呼び出しを」
「ああー。ああー」
身に覚えがあるのが辛い。母親の美奈子が乾燥肌で悩んでるというのにあのバカ親父がそれに気づきもしないから、仕方ないので自分がなんとかしてやろうと商店街をうろうろ、バイト代を叩いて購入しようと思っていた矢先にあんな企画。高校生の身分で現金数万は重い以上に重すぎる。
金と女子力を天秤にかけてあっさり折れた。それなりに有名な女子高の制服、ブレザーでボクサー体型の二の腕は隠れ、女と侮って勝手に油断してくれる者が多数。最初の一瞬で勝負を決してしまえば後はクライマーの腕力と重心のバランス次第でどうにでもなる。そういうわけで結局、大した労力も使わないうちにあれよあれよという間に優勝してしまったのだった。
「いやホラあれは……実力じゃないし、みんな油断してただけだから……」
「確かにそういうところもあったかもしれません。でもフロックだけで突破できるほど、容易くない競技であることくらい、こんな私でもわかります。なにより決着のついたのち、拍手や賞賛を一顧だにもせず、まるでなんでもないことであるかのように気取ることなく自然な面持ちで去っていったあなたの姿にこそ眼を奪われたのです。わかっていただけますでしょうか。それまでああした場は男性だけのものだと思い込んでいた私の長年の常識を、あなたはあの短い時間で、あっという間に覆してしまったのです。その衝撃たるや、母親の子宮から顔を出して以来の――」
「はい。あの、はい」
熱烈な視線に晒されて杏奈は恐縮するしかない。そういう風にして真正面から褒め称えられるのは初めてである。いや正確にはクライミングをやり始めた頃、父親に、おまえには才能がある、素質がある、なにより素晴らしいバランス感覚があるなどと言われた記憶はあるのだが、身内であるせいかこれっぽっちも信じることができず嬉しくもなんともなかった。そう悪い気分ではない。しかし、この状況である。
「あの私」少女はかっと首筋まで染めて、「告白なるものはいかんせん生まれて初めてなもので。ことば足らずでしたらどうかお許しください、こんなに緊張してしまうこともこれまでなかったのです。これ以上どう伝えたらよろしいのか、まったく見当がつきません。からだじゅうどうにかなったように熱くなって、いっぱいいっぱいなのです。ですが、これ以上ないくらい真剣なことだけはご理解ください……」
「あっ、はい、どうもすみませんですはい」
「――して、その。お返事は」
「……。えっ、いま?」
「できれば――」
ひゅるるると春の柔い風が吹き渡り、杏奈はごくりと喉を鳴らす。なにこれ。マジかよ。頭のなかを断片的なことばがぐるぐると二重螺旋模様、じわりと追い詰められて脇汗が滲む。あたりを見渡しても助けてくれる残置支点はどこにもない、ピトンもハーケンもスリングもなしでランナウトせねばならぬ。ルートファインディングは当てにならない、まるでヘッテンなしで真夜中の単独登攀に挑むようだ。
以前の自分ならとにかく真っ先に逃げ出していた。ラヴレターをもらったことも一度ある、そのときは斜め読みするだけで背筋がぞわぞわ、思考を停止してクライミング・ジムへ現実逃避した。ここでもそうすればいいと自分の一部が主張している。撤退するのだ。なにもなかったかのように立ち去って、なにより落ち着くジムのベンチに座ってただ壁を見上げればいい。課題で頭をいっぱいにして、限界グレードに挑戦するのだ。天見のムーヴを眺めて、アドヴァイスを送ったっていい。
『ボルダーで初段ひょいひょい登る女のほうがよっぽど少数派だと思う』
「ぐっふ」
その天見に槍ヶ岳小屋で言われたことが胸をよぎり、杏奈は思わずたたらを踏んだ。自分がどれだけこうしたことに偏見を抱いているのか思い知る瞬間がある。ぐっと息を詰めて現実に立ち返り、額に滲んでいた汗を拭って深呼吸。
偏見を捨てて等身大の視線で世界を見るのだ。グーグル大先生によれば現在の日本国において二十人にひとりは同性愛者だという。クラスにひとりないしふたりはそうなる計算だ! だったら、あたしたちクライマーは? クラスにひとりはあたしのように、クライミング・ジムでボルダーにいそしんでいたり、春の槍ヶ岳に登ってちょっとした充実感を得たりしている? まさか。そんな連中のほうがよほど少数派だ。
「うぎぎ……」
認めなければなるまい。マイノリティはむしろあたしのほうだ。だったら、どうする?
眼のまえの女の子。改めて見るまでもなく間違いなく可愛い。どうへりくだってみても、相当高いレベルに達していると考えていいだろう。見るからに清楚で礼儀も正しく、自分なんかと違ってこのうえなく女の子らしい女の子だ。もちろん、見かけだけですべて決めつけてしまうわけにはいかないが、第一印象はひとまずとても大事なことだ。こうしていきなり告白されて、断る男子がいるだろうか? 彼女持ちだって思わず受けてしまうかもしれない。なんでよりにもよってあたしなんだもったいねェ。もっとこう、これほど可愛ければもっと相応しい相手だっているだろうに――!
断るか!? いや、どれだけの勇気を搾り出して告白してくれたかを考えるとそれも申し訳なく。だからといって申し訳ないというだけで付き合うものか普通? 告白などされたことがないからこうしたときの対応がまったくわからない。そう、初めてなのだ。
「先輩……」
「ちょ、ちょい待ち」
不安げな眼で問いかけられ、頭のてっぺんから足の先までますますテンパッていく。いやだから。どうすりゃいいの。中途半端にひとがいい杏奈はばっさり切り捨てることもできずにひたすらじりじり。急速に負担のかけられた胃腸が悲鳴を上げ、腹どころか全身が痛い。視界が滲みさえする。誰か、誰かお願い誰か助けて。
「ご迷惑だったことは重々承知しています」と少女はぺこり。「でも、委員会の裾野先輩から篠原先輩のことを耳にするたびに、想いが募ってどうしようもなかったのです。山を登っているとお聞きしました。私にはそれがどういうことか理解しきることはできません、けれど――」
震え、萎んでいく声。もう半ば諦めかけている。
(そんな声を出さないで……っ)
祈るように思うのだけれど現実は遠退かない、陽光がちりちりと首の後ろを鈍く焼く。
ダメだ、と思う。とてもじゃないけど断りきれない。撤退できないのなら進むしかない、けれどいまの自分にはどうしてもその先へ行けるとも思えない。進退窮まって心がバキバキ、吐きそうなほど喉が軋み、杏奈はとうとう、
「……。お、お友だちから……お願い、しますぅ……」
優柔不断に屈して墜ちた。
「なに? 電波が悪くて、よく聞こえない。……後輩に告られた? ふぅん、おめでとう。おめでたくない? ああそう」
空はフードを後ろに逸らし、携帯を耳に押し当てた。それでも杏奈の声はくぐもって聞こえづらかった。なにか悲鳴のようにも思えるのだが、どうしてそんな声音なのか。
「まあ、落ち着きなよ。え、なに? 女? 女がどうしたの?……女に、え? ごめんもう一度言って。……なんでそんな口から古列車のタイヤみたいな音出すのさ?」
颶風に晒され、空は眼を細めた。メットを外して、手袋越しに頭を掻く。雪を散らしたような灰色の白髪は、徐々に本来の色を取り戻し、頭頂部が黒く染まり始めていた。男のように短く刈っていた長さも、肩のあたりまで伸びつつあった。けれどそのせいで余計に歪な色模様になりつつもあった。
「あーわかったわかった! 女に告られたってこと! で、あんたはどうしたの……なんだって? 全然聞こえないよ、もう少しはっきり喋っておくれ。やんわり傷つけないように断るにはどうしたらいいか? そんなことあたしに聞くなよ」
斜陽が雪面を照らし、燃え盛るような黄金色に染め上げていた。稜線からの地平線はうっすらと霞み、地上と天上は見分けがつかない。紫色に染まる雲に、独特の澄んだ高所のにおい。あたりに人影はなかった。空はただひとりで、天地の境目に座り込んでいた。
「泣くなよ……えーと、その子はなに? 普通の子? だったら適当な山に連れてけば一発で破局じゃないの。ええ? 風が強くて聞こえない! 電波も、さすがにダメかこれ。通じたのが奇跡みたいなもんだ。
どこにいるのかって? カムエクだよ。え? カムイエウクチカウシ。カムイ、エウクチ、カウシ山! 北海道だよ! なんでそんなところにいるのか? あ、いや、なんか行きたくなったから」
カムイエウクチカウシ山は日高山脈の盟主であり、標高は1975メートル、主脈の中央部に鎮座して整備された一般ルートもない。夏であれば沢を何度も渡渉し、七ノ沢から八ノ沢に至り、カールを登って稜線に出る。積雪期であれば、その降雪量はお察しである。無限に続くラッセルと複雑な地形に辟易しながらも、空はどうにか、山頂に至ることができたのだった。
見渡せば、十勝幌尻岳や岩内岳、ピラトミ山、札内岳やエサオマントッタベツ岳など、日高山脈の面々が北海道の雪を被って白くうつくしい。標高からすれば日本アルプスよりも千メートルは低い山々だが、一概に『高きは尊し』とは限らない。その積雪や天候、山模様などは、決して三千メートル級に引けを取るものではなかった。
「いや、こっちは凄いよ。なんていうか、長野とは違う空気があるね。あたりまえだけど。同じ国で、ここまで違うとは思わなかった。なにが違うって言われれば困るけど――そんなことはいいって? はいはい、おっしゃるとおりですね。だから、山に連れてけば簡単に振られるだろって言ってるの。
そうだね、八ヶ岳なんかおすすめだよ。金持ちの観光地みたいな風評があるけど、横岳のあたりはやっぱり抜群だ。六月あたりまで、残雪期だしね。そう、手頃だとかなんとか言って、天狗岳あたりに連れてってみたらどう? 茅野からバスでアプローチも便利だし、黒百合平なら小屋泊まりもできて、初心者向けだ。もちろん、夏に限ればだけど」
空はくすりとする。
「黒百合平の黒百合ヒュッテは、あのくらいの高さにある山荘にしては珍しく通年営業で、おまけにちょっとびっくりするくらい綺麗な小屋だ。トイレもまるで下界みたいに整ってる。でもだからこそ、週末は混雑して、他の小屋と同じようにちょっとばかり混沌とするときもある。一般人なら疲れきっちまうだろうね。それでついてけないって思われれば、それで終わりだ……え? ねえ、聞こえてる!?」
まじまじと携帯を見つめて、バッテリーまで瀕死になっていることを認めると、空は溜息をつく。
「そう、だから……黒百合平から天狗岳! そうだよ、黒百合! ふざけてるのかって? ふざけ……なにが? あたしは真面目だけど。ねえ、あたしの言ったことちゃんと聞こえた? 天狗岳! 黒百合! だから黒百合だって――聞こえてねえなコレ」
空は顔をしかめる。そこで電話が途切れ、杏奈の甲高い喚き声を残して、静寂が立ち戻る。
携帯を内ポケットにしまい、それにしても、と首を傾げる。
「黒百合っつったらなんかキレられた。百合のなにが気に食わないんだい? 花言葉なんかは、あたしは知らないし。最近の子はよくわからないね……」
ふうと溜息をひとつ。
そうして立ち上がり、ザックを担ぐ。
自然の雄大さをよく語られる北海道だが、それは山にしても例外ではない。生まれてこのかた様々な山を眼にしてきた空でさえ、はっとするような強烈なうつくしさが、この地にはあった。深遠で、かつ峻烈だった。カムイエウクチカウシ――神の転げ落ちるところとはよく言ったものだと思う。
背筋を真っ直ぐにし、大きく伸びをして、
「――。このために生きてるって感じがするな……」
先日、天見と杏奈と三人で槍ヶ岳に登ったときと違い、今回はただひとりだった。しかし、孤独だとは思わなかった。パーティで登るのと、単独行のあいだには、人数の違いというだけでは説明できないほど大きな隔たりがある。好き嫌いや、優劣ではない。山行そのものの芯から、なにか違うのだ。
ふっと唇を綻ばせ、ほとんど少女のように微笑む。
空はそのどちらも愛していた。というよりは、山に関する限りはすべて。そうしていままさに、望んだ山頂にいる……
「さて、下りるか」
次はどの山に登ろうかと胸を躍らせている。
PR
姫ちゃんは着々と空さんの道を行っている。