オリジナルss。
……あ、特にありません。強いて言うなら手許の資料の貧弱さに悶々としてます。金がナイ。
ガイド適当に選ぶだけで一万円ってなんやねん。図書館へ行く慣習がないのだけれど、この機会に近いとこ探してみるか……
……あ、特にありません。強いて言うなら手許の資料の貧弱さに悶々としてます。金がナイ。
ガイド適当に選ぶだけで一万円ってなんやねん。図書館へ行く慣習がないのだけれど、この機会に近いとこ探してみるか……
紡は頬杖をついて天見を見る。「で、筋肉痛なんだ?」
天見はむっつりと座っている。無愛想そのものの表情と佇まいで。そんな彼女に紡はなおも言う。「全身メッチャがちがちじゃん。きちんとストレッチしてるぅ? 姫ちゃんカラダかったいもんねえ」
「……」
「なんであれスポーツやるんなら柔らかいに越したことないよ。あたしのお姉ちゃんもそこまで運動神経よくなかったけど、柔軟だけは大したもんだったよ。股裂きできるくらい。毎日風呂上りに一時間コツコツ――」
「わかってる」
変な対抗意識を燃やしたのが悪かった。ストレッチしようにも体力が尽きていたのだ。天見くらいからだが固いと、柔軟だけでかなりの気力を費やしてしまう。
しかし、股関節の柔らかさが欲しいのも確かだった。ハンドホールドを確保して脚を持ち上げるとき、次のフットホールドまで届かない。届いたとしても力が入らない。そういう局面が何度もあった。
「空さんの登り方が滑らかに見えたのは、からだが柔らかいからっていうのもあったのかもしれない。そう思う。鵠沼さんがバスケやってるところと似てる部分もあった……」
「まあ、手っ取り早い上達なんか有り得ないよねぇ。そういうのってせいぜいやり始めて何ヶ月かくらいだ」
「私山始めたの三ヶ月前」
「じゃあ伸び白あるねえ! いちばん楽しい時期なんじゃない?」
「だから登りたいんだけど」
空との都合がなかなか合わない。新しい仕事を始めたと聞くし、このまえは別の知り合いと登っていたらしい。そのうえ、彼女はもともとソロ志向の人間だ。自分のレベルに合った山がやりたいのなら、私は足手まといでしかない。天見はそのことをちゃんとわかっていた。
しかし、天見は空がいなければ登れない。単独行は天見ほどの歳でなくても基本的に避けたほうがいい。
「空さんしかいないってのが……」
両親は山と無縁の人間だし、そもそも仲がよろしくない。親と登るなんてまっぴらごめんだ。
そもそも天見は見ず知らずの者と登れるほど社交的な性格ではない。クラスメイトをいきなりぶん殴りにいくような女だ。
ぼんやりと窓の外を眺めた。紡の住んでいるのは駅前のマンションで、十二階建の七階、西向きに面した端部屋だった。朝は寒いが夕暮れが映えて見える。廊下は清潔でエレベーター完備、バリアフリーも完璧……という、天見が少し気圧されてしまうような物件だった。空のおんぼろアパートを見た後だとなおさら眼を瞠る。
従姉とふたり暮らしと聞いているが、詳しいことは尋ねなかった。天見は他人の事情に踏み込もうとは思わないし、踏み込んでほしいとも思わない。紡はそのあたりはひどくさばさばしていて、天見にしても付き合いやすい相手ではあった。
杏奈は憤慨していた。冗談抜きで、これほど憤慨したのは生まれて初めてだった。玄関先で腕組みして待ち受け、ドアが開いてパッとしない老け顔が現れると、歯軋りしてその父親に詰め寄った。胸倉に掴みかかる勢いをすんでのところでこらえ、下から睨み上げるように彼を見つめた。
「お父さん!?」
篠原は小さく仰け反り、眼を白黒させて娘を見た。「ん、おお?」
「誰よこの女っ!」
携帯の画面を押しつけられ、篠原は首を傾げた。最近の携帯はずいぶんと画質が良くなったもんだ、と呑気に思った。眼を細めて画面を見つめると、愛車の運転席に座っている自分の顔があった。
それだけでなく、助手席に見覚えのある顔もいた。アルコールの作用で顔を赤らめて、親しげに自分の肩に拳を当てている。美人――というには少しキツめの、しかしどこか異様に鮮烈な印象がある、色白の女。
篠原はなんでもないように言った。「ああ、空じゃないか。このまえ会ったときの。なんでおまえがこんな写真持ってるんだ?」
「空!?」
杏奈はますます怒り狂って眉を吊り上げた。“空”が苗字ではなく名前であることは明白で、しかもこの男はなんの躊躇いもなくそのファースト・ネームを口にした。いかにも親しげな相手であるかのように。妻というものがありながら!
「なによ空って! 帰りが遅かったと思ったらこういうことだったのね!? お母さんに申し訳ないって、ほんの少しでも思ったりしなかったの!? 少なくとも問題ないくらい仲良しだと思ってたのにっ……あたしがバカみたいじゃない、すごく裏切られた気分!」
「え、なに? うらぎ……?」
杏奈はキレた。「間抜け面さらしてんじゃねえよクソ親父!」
しかし、迫力のある怒りの表情を浮かべるには杏奈の顔は絶望的に向いていなかった。そもそもの顔の線が柔らかすぎ、母親に似て優しすぎ、少しばかり童顔でおおむねキュートだった。篠原はそんな娘の顔を見てもまったく危機感を覚えず、むしろ和んでしまう有様だった。おれの娘はちょっとびっくりするくらい可愛いなあ、と世の父親の普遍的な幸福に浸ってしまった。
とはいえ、蹴りにはそれなりの威力があった。幼い頃から山歩きで鍛えられた足腰は同年代の少女の比ではなかった。腰の入ったローキックをまともに喰らい、篠原は痛みに悶えて呻き、たまらずにしゃがみこんだ。
「浮気者! 最低のクズ! この……えーと……ナメクジ野郎! バカ!」
罵倒に語彙がないことに篠原は安心した。が、さすがに聞き捨てならなかった。「おい待て、浮気? そういう食い違いか!? 違う勘違いだ、空だよ櫛灘空! 覚えてないのか?」
「みっともない言い訳ばっかり! もう知らない!」
五十代にとっての六年はあっという間だが、十代にとっての六年は一世紀に等しい。篠原はようやくそのことに気づいた。杏奈が空のことをすぐに思い出せなくてもそれは誰にも咎められないことだった。
「待て、杏奈――」
篠原が呼び止める間もなく、杏奈はサンダルを突っかけて篠原の横をすり抜けて出て行ってしまう。
思わず、溜息をついていた。いますぐ追いかけるべきと思って立ち上がる、が、杏奈の一撃は考えていたよりもずっと重かった。脛をかばいながらドアを開けても、もう杏奈の姿はどこにも見えなくなってしまっていた。
「おれだってどうせ浮気するんならもっと可愛げのある女をだな……」
真面目な話、櫛灘空ほどそうしたことに不向きな人間もいない。あれは大昔から――それこそ櫛灘文太の小さなひとり娘であったときから――山の女でしかないのだから。誰かの女になることなど想像もできない人間なのだから。が、問題はそこではなかった。仕方なく、空のことを覚えているだろう女房に告げて、彼女から説得してもらおうと思った。
蹴られた脛がずきずきと痛んだ。おれの娘は見事にたくましく育ってるぞ、と嬉しく感じてしまうあたりが、おれの父親としての限界なんだろうと思った。
杏奈は歯軋りした。それだけでは足りず、そのへんの電柱を足の裏で蹴飛ばした。まったく腹が立ちすぎておかしくなりそうだった。浮気って!
あのウドの大木みたいな父親にそんな甲斐性があるとは思わなかった。心底裏切られた気分に陥った杏奈はこういうときにどう動いていいのかわからず、よくあるように自分の爪をがりがり噛んでみた。痛いだけでまったく発散にならない。こんな気分になるのも初めてなのだ。地味に育ちがいいせいで自分とうまく折り合いをつけられない。
「あのバカ親父、変態、ろくでなし、アホ、デクノボウの身の程知らず――」
思いついたことばを並べ立ててぷんすか。住宅街のせいで夜も静かで心が沈む。
長年連れ添った家族をそんな風に傷つけることが杏奈には信じられない。しかし噂好きのクラスメイトが夜の街で撮った写真が虚偽だとはとても思えない。ウソだけならともかくクラスメイトがわざわざ写真を加工するような面倒事をするわけがない。なにより、父はその写真を見てすぐに状況を理解してみせた。
つまりはそういうことだと。別の女に酒を飲ませて車に乗せた。しかもこの親しげな表情。まるでザイルパートナーに向けるような気軽さ!
まさしくザイルを繋いだことがある仲だと杏奈には知る由もない。
「あーいらいらするっ!」
天見の山に関して、天見の両親は無関心を貫いた。もともと不登校に関しても半ば諦めているような態度だった。しかし、失望と軽蔑の眼差しは日々強くなっていった。
が、天見も天見なりにしたたかだった。もはや学校などという場が唯一無二の世界でないことを知ってしまっており、教科書の内容など一通り読めば理解できたし、“勉強”に関しては教師などいないほうがずっとはかどった。むしろ自分の“勉強”がしたくてたまらなかったし、それはつまり、山に行きたいということだ。しかしそればかりは櫛灘空が必要だった。
日曜日に空と岩に行って、その次の日にはまた行きたくなっていた。が、さすがにもう平日には空と都合があわなかった。彼女は新しく仕事を始めたらしい。それで、天見はクライミング・ジムにきていた。もう日暮れで、仕事帰りのクライマーたちが続々と集まり始めており、そのいちばん端っこのベンチに座って、トライを繰り返していた。
(自分のペースでやってていいのが楽だ……)
指先に痛みがある。手首も少し。なにより、皮膚が削れたように熱い。そうした感覚に、自分の弱さのようなものが感じられ、どこか謙虚な気分になる。私はこんなにも弱い……
空からテープをもらったのだが、どう貼ればいいのかわからない。細いのと太いの。手のひらの上に置いて弄び、他のクライマーらを見つめる。手首に巻いてあったり、指に巻いていたり、腕に貼っている者もいたりして、その基準がわからない。
(巻けば少しはマシになるのかな)
そう思ってはみるもののわからないものは仕方がない。肩を落として溜息。すると、そこで声がする。「テーピング?」
顔を上げる。ジャージ姿の少女が目のまえに立って、こちらを見下ろしてきている。誰だかすぐにわかるが、名前は知らない。(このまえ初段登ってたひとだ)
杏奈は天見を見下ろし、何度か見た子だなと思う。しかし、小学生くらいなのにジムに入り浸っているとはいい時代になったものだ。「どこか痛むの?」
「……まあ」
「ちょっと見せて」
杏奈は天見のまえに膝をつく。天見はベンチに座っているから、それで目線が水平になる。杏奈は天見の手を取り、指の関節をいろいろと押して回る。
「こうすると痛い?」
「いえ」
「じゃあ――」
「っつ」
薬指の第二・第三間接のあいだを押したとき、天見の唇が歪む。チリッとした痛みに全身が強張る。杏奈は頷き、テープを取り上げる。
12ミリのホワイトテープ。幅が細く、ちょうど指の間接分くらいしかない。杏奈は手馴れた様子で天見の薬指に巻いていく。第二・第三間接のあいだを、軽く張力を加えて一周。さらに第一関節を少し曲げさせ、そのあたりもくるり。
「少しはマシになると思うよ。ほんとうは痛まなくなるまでレストしたほうがいいんだけどさ、やっぱり登りたくなるよね。他には?」
「あ、腕が……」
「付け根かな? 肘を伸ばして手首を曲げると痛む?」
「はい」
25ミリのキネシオテープを使う。手首の付け根から肘にかけて、肘の内側に向かってやや斜めに貼りつけ、さらにホワイトテープを両端に巻いて固定する。いっぱしのクライマーの腕ができあがる。
「……どうも」
「まあこんなもん」杏奈は言い、にこりと微笑む。「何度か登ってるとこ、見てるよね。ここへはよくくるの?」
「少しまえから」
「最近やり始めたんだ? いいね……あたしも十歳のときからやってるんだけどさ、近頃はなんか伸び悩んじゃって。高二なんだけどさ、そろそろ大学も考えなきゃならないし、他の悩み事もあってなかなか――」
「はあ」
「いっそやめてもいいかと思ってるのにクセになっちゃって、イライラして、気づいたらここにいるしさ。なんかもうぐだぐだだよ。ああ、ごめんね登りたいね。お姉さんに構わずどうぞどうぞ」
が、そう言って立ち上がったのは杏奈のほうで、液体チョークを手のひらに塗ると、すたすたと壁のまえに行ってしまう。天見は頬を引き攣らせてその背中を見つめる。変なのに絡まれたぞ、と自分に向けて警鐘を鳴らす。
杏奈はひょいとしゃがみこんで最初の一手に腕を伸ばす。シットスタート。そのままなんでもないように登ってしまう。いかにも簡単で、容易な、初心者向けの課題のように。天見は彼女の掴むホールドを見、その横に貼られたテープの色を見る。四級。もうすでにこの時点で天見には手を出せないレベル。
ムーヴにスピード感がある。勢いと思い切りが。ホールドを掴んで、からだを引きつけるまでの速度。まるでなんの力も使っていないかのように、活き活きと肉体が動く。
そういう動きを見ていると、自分まで簡単に登れそうな気がするから困る。ときどきどう登っているか理解できなくなる、空の登り方とは違う。空はどこか認識の外側にいるような感じがするが、この女は誰にでもわかるようなかたちで登っている。
しかも、ウォーミング・アップの領域だ。少し嫉妬心に駆られて呟く。「なにが伸び悩んでる、だ……」
天見も立ち上がり、壁と向き合う。深呼吸して集中。とにかく、登りたかった。登れるようになりたかった。いろんなところを登れるようにならなければ、登校拒否の不良でいる甲斐がない。
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周りにそんな素敵施設ないよー;;