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2024/05/17 21:03 |
(東方)
 闇黒片 ~Chaos lives in everything~
 
 
 
 Stage6 天境線上
 
 
 
 ――邪神、堕天使、闇黒の巫女


 2/4

拍手



 「こっちくるまえに早苗んところ行って、少し話したわ。千早もそろそろ自分の根っこと向き合うことになるかもしれない。私はそれを見届けにきたってのもある。早苗の代わりにね」
 「今日は満月だね」
 「そう」博麗神社の石畳に降り立ち、霊夢は両腕を広げた。「我が家。懐かしいってもんじゃないわ! ああ、輝かしき少女時代の記憶たちよ!」
 
 既に幻想郷中を一巡りしていた。移動にスキマを利用するために、橙は引き摺り回されていた。あらゆる人妖が引き起こした異変の分が、霊夢の交友関係だった。酒を交わし、弾幕を交わす。その分だけ橙はもう疲れ果てていた。
 
 「お帰りなさい、霊夢」
 
 どこからともなく声が聞こえ、闇が夕焼けを押し開いて広がった。博麗神社が掻き消え、二人は黒に呑み込まれていた。霊夢は腰に手を当ててにやりとする。
 記録の一区切りはそこから始まる。紅霧異変……Stage1……ルーミア。霊夢は闇のなかをすたすたと歩いていき、迷うことなくその主のところまで辿り着いた。
 
 「あら。あんた少し印象変わったかしら?」
 「年月の分だけ」
 「ふうん。リボンどうしたの」
 「未熟な巫女にあげたわ。ささやかなプレゼントとして」
 「そ」なんの前触れも予備動作もなく霊夢がルーミアを抱き締めると、闇が晴れて世界が回帰した。
 
 霞むような陽射し。静寂のなか、霊夢は壁に指を這わせながら神社を巡った。思うところがあるのだろう。彼女は結局のところ、永遠の巫女なのだから。霊夢が博麗でなければこの世の誰ひとりとして博麗ではないのだから。そのことに永遠に縛られないのも彼女とはいえ。
 絣の部屋を敷居の外から見渡し、小さな少女を思い返した。弟子の姉。振り返らずに言う。「絣は元気?」
 「精一杯やってるよ」
 「あの子のつくる食事は美味かったわ。晩御飯は食べずに待っていようかしら」
 「たぶんずたぼろになって帰ってくると思うけど。ああ、そうそう。このまえチビも帰ってきてたんだよ」
 「へえ! ふふっ。どうせ相変わらず無茶ばっかりやってたんでしょうけど」
 「そうみたいだね。絣の歴史を頭から喰らってまた出て行っちゃった」
 
 一通り見て回ると、境内に戻り、空の賽銭箱に腰かけた。太陽の後光に黒い影そのものになった鳥居の上にルーミアが佇んでいるのが見えた。風を感じているかのように。風はどこまでも穏やかで柔い。
 ノスタルジアの奔流がある。心地良く、緩いものだ。思い出はあらゆる色を纏い、快楽も苦痛もある。とはいえ、霊夢は巫女をやり遂げていた。どこの誰に対しても批判を黙らせる程度のことは成していた。ただひとつのことを除いては。
 
 「ねえ、霊夢」と橙は言った。「ひとつだけ訊いていいかな」
 「なに?」
 「紡のこと。いろいろ考えてはみたんだけど、私にはそのことがわからない。あんたはあの子の師だった」
 「そうかもね」
 「あの子に巫女を継がせるためにあらゆることを叩き込んだ」
 「そうだったかも」
 「ごまかさないでよ、霊夢。でも、あんたにはわかってたと思うんだ。あんたは結局、きちんと紡の師をやってたんだから。ほんとうの意味で紡のいちばん近いところにいたのは、絣じゃなくあんただったんだから。あんたは紡が幻想郷を出て行くことを知るまえから知っていた。そうでしょ?」
 
 霊夢は微笑を浮かべて前髪の先を弄っていた。微笑は微笑でしかなく、それ以上のことを読み取ることはできなかった。不思議な間があった。ややあって霊夢は頷いた。「そうね」
 「やっぱり、って言っていいのかな」
 「そういうのは見ればわかるわ。見てわからないのが不思議なくらい。あの頃みんな、博麗の跡継ぎが現れたことに喜んでいたけれど、傍から見てると爆笑もんだったわ。出て行くってわかりきってたのに」
 「だったらどうして」
 
 橙は己の弟子に思いを巡らせた。
 博麗を押しつけられた娘。巫女らしくない巫女。
 ある意味、それは当然のことなのだ。博麗を継ぐべき者は姉ではなく、妹のほうだったのだから。教えているのが博麗ではなく、この自分なのだから。博麗ではなく、八雲さえまだ継いでいない、黒猫の妖獣……なにをどうしたって博麗らしくなどなるわけがない。
 
 「紡が出て行くことを知っていたのなら、どうして絣のほうに巫女の業を教えてくれなかったの?」
 「え?」
 
 霊夢はそこで初めてまったく予期せぬ問いを受けたように橙を見、眼を瞠った。霊夢がそういう反応を返すこと自体、予期しなかったことで、橙も少し困惑したように猫の耳をひくつかせた。
 
 「あんたにそういうこと言われるとは思わなかった」と霊夢は言う。「だって絣はまったく博麗の巫女じゃないもの。そういう子に博麗としての修行させたって、ものになるわけないじゃない」
 橙は口を噤んだ。
 「ああ、そういうことね」霊夢はようやく納得したように頷く。「あんたはずっとそこが引っ掛かってたわけ。絣はただの――そうね……弾幕女よ。博麗の巫女は自由になって」人差し指を天に向け、くるくると動かして――「どっか遠くへ……飛んでいった。もう戻ってこないわ」
 「絣は」
 「あーあ!」霊夢は頭の後ろに手をやってころりと横になり、明るい調子で言う。「私もお姉ちゃん欲しかったなーって思うわ。面倒なこと全部押しつけてさ……」
 
 陽が沈み、東の空が藍色に染まり始める。
 
 
 
 「わたくしは早苗様の実の娘ではありません」と千早は言う。「命蓮寺のまえに捨てられていました。生みの親も、兄弟姉妹の有無も知りません。だからときどき、兄弟や、姉妹のおられる方が羨ましく感じますわ」
 が、絣B´は千早の話をまったく聞いていなかった。「紡ーッ!!」
 
 闇の地面を足の裏で蹴飛ばし、猫のように跳躍した。自分でもなんだかよくわからないまま一気に絶頂まで高まったテンションが、なぜかドロップキックを選択させていた。紡は軽く半身になって姉の一撃を回避した。
 
 「お姉ちゃん相変わらずちっこくてかわいーなー」
 腋の下に腕を回され、ひょいと抱え上げられた。少し見ないあいだに体格差が著しい。それもそのはず、現在時点で絣百二十九センチ、紡百七十五センチである。完全に大人と子供。
 「にゃあッ!!」
 絣は抱え上げられたまま左手を薙ぎ払った。宣言のない爪符。軽くグレイズした紡の真後ろで、黒く鋭利な弾幕が弾けた。
 
 盲目的にぶんぶん腕を振るう絣に、千早は閉口する。想像していた感動的な再会どころか、結局弾幕である。紡が絣を抱き締めてくるくるとステップを踏むので、爪符は指向性を失ってそこらじゅうに撒き散らされる。流れ弾を手のひらで叩いて相殺し、さっさと収めてくださいと紡にじと目を送る。元が糸目なので、あまり変化はないのだが。
 
 「なんでっ、なんで紡がこんなところにいるの!?」ようやくことばを取り戻した絣が叫ぶ。「おかしいじゃない! 外の世界行ったんじゃなかったの!? 私に面倒ごと全部押しつけてこんなっ、もうっ、ああああーっ!!」
 「はいはい。落ち着いてお姉ちゃん」紡はちょこんと首を傾けて、「ここは幻想郷でもないよぉ? ちーちゃんの見る夢のなか。はい、で、あたしの能力ね。ちーちゃんとはもともと相性がよかったんだよ」
 「わかんないよ!?」
 「難しく考えることもないよ。夢のなかでは誰だって完璧に自由。どこへだって行けるし、誰にだって会える。そういうもんでしょ?」
 
 絣にしてみればすべてが唐突過ぎて大混乱である。状況にまったく追いつけない。闇の奥底へ墜落したと思ったらそこに千早がいて、それが千早の能力で、千早に喰われたと思ったら喰われた先に紡がいて。
 二度と会えないと覚悟していた妹がいて。
 なんの前触れもなく、こんなわけのわからないかたちで。しかもこの私さえ、ほんとうの私ですらなくB´、私の本体にはなんの影響もなくそれはつまり、つまるところこの再会さえ本体の知る由もない……
 
 「えぐっ」
 「お姉ちゃん?」
 「意味……意味が、わかんない……!」
 
 飽和状態を一気に突き抜けて涙まで出てくる。巫女の日々に緊張しっ放しだった心が真横からひと突きに崩され、不意打ち、湧き出た感情にそぼ濡れる。霊力と同調する左腕の術式が揺らぎ、花びらから波のようにかたちが滲む。
 紡は頭を掻き、助けを求めるように千早を見る。千早は腹に両手を添え、唇のかたちだけで言う。『とても美味しいです。おなかいっぱい』。妖怪はいつでも当てにならない。
 
 「心配してたんだからっ!」涙を拭い、絣は叫ぶように言う。「いきなりいなくなってさ! 外の世界に頼れる知り合いなんているわけないのに! ちゃんと食べてるの!? 家はあるの!? っていうかしばらく見ないうちにこんな大きくなっちゃって! 私は全然成長する気配もないのにっ! なにこの胸大きすぎて邪魔! ちくしょうッ!」
 「うん、心配かけてごめんね? でも、大丈夫だよ。歳ごまかしてバーテンのバイトやってたときに懇意にしてもらった女のひとのアパートに転がり込んで、戸籍偽造して従妹にしてもらって学校通いながらバスケやってる」
 「突っ込みどころしかねえよ!」
 「突っ込んでるのは主にあたしのほう」
 「なに言ってんだァーッ!!」
 
 ごうん、と重い音が響いた。絣渾身の頭突きが紡の額に決まっていた。
 「あうちっ」
 
 紡が仰け反った拍子に、姉妹のからだが離れた。再び霊力が勢いを取り戻し、絣の左腕が紅混じりの黒一色に染まっていく。
 「獣ぅう爪ぉおおオ――!!」
 千早が立ち上がり、素早く絣を羽交い絞めにする。「ちょっと待ってください。まだ天境線が見えてもいないのに余計な労力を使わせないでください」
 「うるせーっ!! 私がどれだけっ、みんながどれだけっ!! 私なんかが博麗の巫女になっちゃってっ、みんなみんな――みんな! みんなが私を役不足だって、身の程知らずだって――紡が巫女やったてたらきっと誰もなんにも言わなかったはずなのに!――私だって、あんたが、あんたのほうが相応しかったのに――!」
 紡は赤くなった額を擦り、悪びれもせずに言う。「あー。そんな連中批判以外にやることない暇人なんだから放っておけばいいんだよー。あたしだって散々言われたよ? 『今代の巫女候補は才能に慢心した謙虚さのない傲慢な子供だ』とかなんとかかんとか」
 「そいつら全員串刺しにしてやるァ!!!!!」
 
 絣のものではない、桁違いの紅い魔力が絣の全身から渦巻き、槍を形成して破裂する。その穂先の本質は妹たるものを守るための力だ。指向性と目的とが一致し、いま神槍の持つ真の力が明らかになる――
 「私の妹をけなしたのはどこのどいつだ!!」
 千早は絣の腕を掴む。「だから落ち着けと」
 紡は槍の柄を掴む。「言ってるのにお姉ちゃん」
 「がるるるるる――はっ!? す、すみません私いま完全に槍に心を乗っ取られてましたっ!」
 
 四つの腕になだめられ、絣はようやく我に帰った。
 獣の爪が人間に戻り、紅い槍が掻き消える。
 絣は肩で息をし、ぶるぶると首を振って白熱したテンションをクール・ダウンする。ここで心の赴くままに大暴れしてもなんにもならない。ここは現実ではなく千早の生み出した心象世界であり、それを彩っているのは絣自身の心の色だ。落ち着いてあたりを見渡せば、自分を取り戻すための、闇の色。黒猫の黒。
 分泌されたアドレナリンがさあっと引いていくと、その反動が訪れた。顔をしょぼくれさせて、ぺたんと地面に座り込む。
 
 「もう……っ。ごめんなさいっていうか、こんなとこに勝手に引き込んで。なに考えてんですか、千早さん……紡まで――」
 「そうした心の動きが」と千早は言う。「わたくしの力になるわけでして。並の妖怪退治なら、こうしたこともせずに済むのですが、今回は事態が事態ですので」
 
 彼女と知り合ったのは、と千早は澄ました顔をしている紡のほうを見た。というよりわたくしの能力に介入されたのは。
 
 「最初に弾幕をかわしたあの異変の直後から、ですね。紡さんはただ負けたわけではなかった、ということです。正直に申しますと、驚きました――それまで、この世界に本体のまま介入してきた方などひとりもいませんでしたから」
 「心を喰らう、って」絣は眼を泳がせる。「まだ、よくわからないんですけど。心を読むのとは違うんですか? 地底のさとりさんみたいな」
 「別物ですね。こうして絣さんの心であるあなたと向き合っても、絣さんのことを熟知できるわけではありませんから。わかるのは、あなたの話したことだけです。それはつまり、絣さんが話してもいいと考えていることだけ」
 
 絣は頷き、紡を見た。顎を引いて、少し咎めるように。「紡は――」
 「夢に距離は関係ないからねえ。外界に出ても、ちーちゃんから幻想郷のことはよく聞いてたよ。まあときどきこういうかたちで会うくらいだけど。友だちだよ、友だち」
 これだったのだ、と絣は思う。昨日、千早と再会したときに揺さぶられた感覚は。千早のなかに、片割れの残り香があったのだ。「……むぅーっ」
 
 「お話しすること。それ自体が目的です」
 千早は言って、懐から酒瓶を取り出した。
 「一杯やりながら、現実の弾幕を眺めていましょう。このお酒も、心の幻でしかありませんけどね」
 「お姉ちゃんと飲むのも久し振りだなー! 外界じゃ二十歳未満はお酒ダメだしね!」
 「全然納得できないっ……」
 
 憮然としながら、絣B´は杯を受け取る。
 
 
 
 満月の灯りが強く照らす。やや前方をぶれながら飛ぶ絣を見、千早はくすりと笑う。「爪符」
 「はい?」
 
 かすかに聞こえた声に、絣は振り向く。千早は絣の左手の先に眼をやり、刻まれた黒と紅の花びらを見つける。「毒なのですね」
 「え」
 「小回りも連射も利く。消耗も少なく、反動はないに等しい。触れたものに長めの硬直を強いる。共同戦線を張るのなら、なかなか好ましい弾幕ですね。相方の邪魔にならない」
 
 いきなり分析され、絣は出鼻を挫かれたように息を呑む。千早の物言いにはまるでいま見てきたような響きがある。「ど、どうして?」
 「ああ、お気になさらず。絣さんはいつものようになさっていてくださいね。主砲に繋ぐときには、できるだけ離脱しているよう気をつけますから。ただ槍のほうはよしてくださいね」
 
 手の内を明かすより先に手の内を曝されている。絣は得体の知れないものを覚え、眼を瞠る。なぜ? そんなにも容易く?
 (――いや、だけど)
 動悸しかける胸を抑え、心のざわめきを強引に鎮めにいく。深呼吸をひとつ。
 しかし、そういう能力はいまや珍しくはない。心を読むなり歴史を読むなり。実際、絣にはハクタクとも覚妖怪とも弾幕を交わした経験がある。先手を取られたというだけの話だ。大切なのは先手を取られたくらいでいちいち動揺しないことだ。
 
 「共同戦線を張るなら」思いを沈め、絣は言う。「知っておいたほうがいいですよね。千早さんの能力って――?」
 「しっ」千早は絣のことばを遮って指先に人差し指を当て、“静かに”と動作だけで言う。そのまま人差し指を前方に向ける。
 絣の視線が千早から逸れ、下方に広がる妖怪の山――正確には山塊、山脈――に向けられる。稜線伝いに登り、森林限界を越えたあたりから、砂状の地肌に、ところどころ岩肌が剥き出しになっている。
 
 「天境線です」と千早は言う。
 「あそこが?」
 「感じますか? 満月に引き寄せられて、染み出る力の質もざらついているのが。青い火のように、岩石の合間から滲み出している」
 
 絣は眼を凝らす。が、そうした風に意識せずともはっきりと見えた。絣には霊的な察知能力はほとんどないが、これはそういう次元のことではなかった。鬼火とも、燐光とも違う。
 山の真下に蒼い太陽があって、それを山という甲羅で覆っているようだった。ひび割れから火と煙の揺らめきが立ち込めているのだ。いまにも東の空へ昇っていきたがっているかのように。強烈な力が、月の引力に惹かれて上天へ向けられている……
 そのあたり一帯が真下から蒼白い。
 
 「すごい」絣は思わず呟いていた。
 「でも」と千早。「いつもならこんなものではありません。熱気がまるで伝わってこない。わたくしが以前見たときには、もっと野蛮で、滾るように泡立っていました。活火山のマグマのようなものですから」
 「それは――?」
 「吸収されている。それもかなりの比率で」
 絣は緊張を一段階強めた。いつでもスペルカードを放てるように、左手を軽く握り、霊力を集中させた。そのとき、稜線の頂点にぽつんと、白い人影を見つけた。「千早さん、あれ」
 千早は頷いた。「いますね」
 
 
 
 ふたりはその者から少し離れたところに降り立った。稜線の強い風が吹き抜け、それぞれの巫女装束を激しくはためかせた。並び立つと、大人と子供のような身長差がことさら際立って見えた。
 どちらが前衛でどちらが後衛ということもなかった。先んじることも先を譲ることもなく、白鳥のように細い足取りで歩いた。真上の満月と、真下の光源から挟むように照らされ、影そのものが押し潰されているようだった。
 
 巫女ふたり。心が緩むこともない。ふたりともそれぞれの臨戦態勢に入っている。
 絣は横目でちらと千早を見、すぐに前面に注意を向けた。人影ははっきりと見える距離にあるが、気配を感じることができない。というより、その気配そのものがこの地に溶け込んでいるようだった。この地の力を吸い、同化しているのだと、なんとなく察した。
 耳の底がきんきんと痛む。風の音がうるさいのに、感覚は静寂に近い。
 (震えてる)と絣は思った。(私はまだ怖がってる、こういうことを。それとも武者震い?)
 
 もう弾幕をする気でいる自分に気がつく。血気に逸りすぎて、左手が熱い。
 (衝突を回避しようと思ってない。むしろ、やらせてくれって思ってる。撃たせてくれって。心境の変化? 満月のせい?)
 
 絣は女に眼を向けた。そう、女だった。
 視界の端に小さなものが白くちらついていた。「雪?」
 千早は素早く囁いた。「羽根のようです」
 
 女はこちらがやってくるのを待っているかのように佇んでいた。腹のまえで軽く指を組んで、こちらを向いていた。肌が闇夜のなかでさえ陶器のように白い。肌だけでなく、ローブのようなワンピースも、鎧めいた胸当ても、漂白されたように白い。長く結ぶもののない髪さえも白に近い金。
 写真で烏天狗と見紛えた、巨大な二対四枚の翼も白だった。その部位以外は人間のかたちだった。
 彫像のように整った――整いすぎて彫像めいた――美しい貌にひどく穏やかな微笑を浮かべていた。母が遊ぶ子を眺めるような。ここにどうして自分がいて、絣と千早がきたのか、まるでわかっていないかのように。あるいはわかりきったことのように。
 
 向き合った瞬間、絣は脊髄反射的に身を縮めていつでも飛び出せる体勢になっていた。「千早さん――!」それだけに留まらずサイドステップを踏んで千早から離れ、標的を分散させる動きを取っていた。
 (もう明らかにおかしい! こっちはもう臨戦態勢なのにどうしてそんな表情をしてるの!?)
 
 その女の微笑は絣の対峙したことのない微笑だった。こうした場において。殺気に満ち満ちたサクラや獣、本性の花乃たちの笑みと違った。弾幕を心底愉しんでいたサフィとも違った。その笑みからはおよそ戦意というものが欠けていた。緊張すらも。
 (巫女ふたりをまえにして!)
 その身の内に天境線の力を取り込んで。どう考えても友好的な状況ではありえないのに、いかにも友好的な表情を浮かべていた。
 
 千早もまた臨戦態勢を崩さぬまま、問わなければならないことを問うべく口を開いた。どうして天境線に――山の妖怪たちの不可侵地帯に居座っているのか。故意か事故か。が、なぜか千早はそこで口を閉じた。眉をひそめ、困惑したように口許に指を添えた。
 「千早さん?」
 風が真横から吹きつけ、ふたりの女の羽根を散らせる。純白と赤紫が紙片のように舞う。
 女は絣に眼もくれず、千早だけを見ている。ここにそもそも絣がいないように。
 「千早さんっ!」
 
 呼びかけに応じない。千早は凍りついたように固まっている。秒のあいだ、異様な時が流れ、絣は状況に戸惑う。女からはもう凄まじい気配しかしないというのに。
 「――っ!」
 橙の教えを思い出す……(とりあえずぶちのめしなさい。ゲームなんだから、真剣にやるように。仲直りはそのあとでしなさい)
 (どうすればよかったのか教えたげる。私と向き合った瞬間に一撃目、夢想封印。口を利いた二撃目に――)
 
 ――とにかく動けっ!
 割り込んできたルーミアの声を振り払い、絣は女に真横から突っ込む。絣の場合、飛ぶより走るほうが迅い。射程距離に入った瞬間、袂で重い右腕を掲げ、
 「霊符『夢想封印・劣』!」
 
 そこでようやく女がこちらを向く。
 予備動作もなく結界染みたフィールドが展開する。当然のように絣の弾幕が弾かれ、天境線と同じ色をした力場が女を中心にドーム状に広がる。
 「……!」
 力の先に触れた地面さえ消滅させるほどの密度。絣は見るやいなや女に背を向けて全力で退避する。
 「千早さんっ!」
 また茫然としたままの千早の胴に飛びつき、そのまま後ろの断崖にもろとも突っ込む。岩肌すれすれのところを自由落下する。その直後、頭の上、先程まで千早がいたところを青い爆流が薙ぎ払う。
 
 落下の中途で静止し、絣は断崖の上方を見上げ、追撃がこないことを確かめると、千早の肩を真正面から掴む。
 「千早さん! 弾幕ですよホラぼーっとしてないでくださいなにかされたんですか大丈夫ですか!」
 千早は夢から覚めたように絣を見やる。「……、あ、っ……いえ、すみません」
 絣は右手のひらに左拳を打ちつける。「ッし!」気合を入れるかのように両頬をぱんと叩いて、「いつも通り――っ! 案の定次元違い! 遥かに格上! 集中、集中っ! 最後までやりきるんだ! 満身創痍でもコンティニューするんだっ!」
 
 絣は解き放たれたように飛び上がり、女の許へ向かう。千早は遅れて絣の後を追う。
 女は先程と同じところにいる。が、力場の爆発によってその周りがクレーター状に凹み、浮遊する体勢になっている。翼が緩やかに羽ばたき、そのたびに白い羽根が舞い散っている。絣と千早が昇ってくると、また戦意の見えない穏やかな微笑を浮かべ、絣には眼もくれず千早だけを見上げる。
 
 しかし、状況はシンプルに成り果てている。絣は鞘から抜き放つように左腕を振るう。
 「爪符『カラードネイル』!」
 黒と紅の花びらが腕を伝う。千早は夜空を見上げ、糸目をわずかに開く。猫の瞳孔が露になり、赤紫の翼が静かに撓む。
 「凶符『スレトニング・スカイ』」
 
 真上――月の光の奥から、千早の弾幕が雨のように降り注ぎ始める。色取り取りの、夥しい数の霊弾が女に向かって落ちていく。
 絣が弾幕に混じって突っ込む寸前、千早は彼女を見る。爪の術式がつくる紅と黒が頬にまで侵食した、その幼い顔。はっきりとした敵意の発露とこうした場に立つことへの覚悟、さらに弾幕への喜びで、いっそ醜悪なほど感情がはっきりと浮き出ていた。獣染みて歪んだ笑み。禍々しい色。
 
 
 
 「絣はあんたや妹の影を背負って、その重圧に押し潰された。あんたと比較して好き放題批評を下してくる安全地帯の善良な市民を憎んで、そんなやつらになんにも言い返せない自分さえ憎んでいた。『零無』であることに怒り狂っていた。絣の一部は悪感情の塊みたいなものだ」と橙は言った。「その怒りのほんの何分の一でも、前に進むために、あるいは誰かを思いやるために使えたら」そこで顔を上げ、ふっと優しげな微笑を浮かべた。「そうして実際、そうできてると思うよ」
 「そうね」と霊夢は言った。
 「それでも博麗の巫女には程遠いかな」
 「わかってるくせに。そういう風にすればするほど、博麗からは遠ざかっていく。絣が絣自身になればなるほど、望まれて生まれた者ではいられなくなる」
 
 霊夢は指先を鳥居のさらに先に向け、ゆらゆらと動かした。
 「運命的な物言いをすれば」霊夢は既にかなり酔っていた。「絣は博麗の巫女と対峙するために生まれてきた子。異変を解決する側ではなく、異変の元凶となる側としての役目を背負った娘。でも、博麗の血はそうなるまえに絣を『退治』してしまった。生まれるより先に『妹』になってしまうことでね。そうしてすべての才能も能力も奪い尽くした」
 「それはあんたの勘?」
 「いいえ? あの双子を眺めていて感じたこと。絣は空っぽの抜け殻。退治された後の残骸、なにも残っていない空虚な器。
 まあ、今夜の試練はどっちかってと千早のものよ。絣はオプションを演じる側になるかな。もっとも絣にとっちゃ、状況全部が試練みたいなもんだけど」
 
 
 
 紡は眼を瞠った。「ワオ」
 絣B´は絣本体とまったく同じように臨戦態勢に入っていた。紡と千早から飛び退いて離れ、地面に這うほど体勢を落とし、左腕の術式を抜き放って猫のような唸り声を上げていた。爪符の色は、この夢の世界を覆う闇の色とまったく同じで、つまりはそれが絣の心の色だった。が、いまその色にまた別の色が混じり始めていた。
 「――今日は来客の多い夜ですね」と千早は言った。
 
 三人はその夢の空を見上げていた。黒い空に亀裂が走り、そこから白い光が帯状に幾重も降り注いだ。紡の黄混じりの白ともまた違う、純白の、つくりもののような色合いの光だった。さらに、その光と同じ色をした羽根が、柔らかに波打ちながら舞い落ちてきた。
 寒い。千早は剥き出しの二の腕に手を添え、糸目をわずかに開いて降りてくる者を見上げた。金色の空と、眩しすぎるほどの太陽をバックにしていた。まるで演劇のように芝居がかった荘厳な景色。降りてくる女はさながら天使のようだった。
 
 「こういうのってよくあるの?」と紡は訊く。
 「いえ」と千早は答える。「紡さん以来ありません。これで二人目です」
 「夢の侵入者。お姉ちゃんはもうやる気満々だけど、あたしはブランクあるんだよね。まあ、できるだけ二人でがんばってよ」
 千早は肩を竦めた。
 
 “天使”はやはり千早しか見つめていなかった。絣にしろ、現実世界のどこにもいない紡にしろ、認識してすらいなかった。とても戦闘状態にあるようには見えない穏やかな微笑を浮かべて、黒い地面に降り立つやその周辺さえ白くなった。
 
 いまにも跳びかかろうとする絣を眼で制し、千早は言った。「シンプルに……問いましょうか。あなたは何ですか?」
 “天使”は胸前で両手を合わせて眼を細めた。いかにも滑稽なことをと言いたげだ。二対四枚の翼が応じるようにばさりとしなる。「それはあなたがいちばんよく知っていることよ、おチビさん」
 「わたくしが……?」
 
 紡は首を傾げた。「ふうん。友だちかなんか?」
 「友人と呼べるほどの方はおりません」
 「ヘイヘイあたしの立場はー?」
 「そんなことより少し離れてください。一発で二機落ちるような事態だけは避けたいので」
 「あいつあんたのことおチビさんっつったけどさ、どう贔屓目に見たって平均より高いくらいだよね。ガキの頃にでも会ってるんじゃないの?」
 「寺子屋で慧音先生相手に暴れ回ってた記憶しかないです」
 同じように暴れていた『後輩』、双子の片割れが威嚇の唸りを上げた。「がるるるるるる」
 「絣さん! もう少しお待ちになってください!」
 
 “天使”が一歩千早に近づくと、そこで紡も動いた。絣と反対方向にステップを踏み、さらに跳躍して上方に陣取った。より高く。標的を絣と挟み込むような位置で、静かに霊力を溜め込んだ。見、感じる限り、ブランクの影響をまるで感じさせない動きだった。
 
 それでも“天使”は紡を見もしない。戦闘モードに入りもしない。千早を見つめたまま己の胸に手を添えて言う。「『托卵』ということばがあります。ある種の鳥は別種の巣に卵を産み、偽りの親に育児を託す習性があるの。他より早く生まれた雛は卵を突き落とし、自分だけを育てさせる。生存競争に打ち勝つために」
 紡は浮遊したまま足を組んで座る姿勢になった。「理科の先生ときたもんだ。あたし寝てもいい?」
 「紡さんは少し黙っていてください。どうしてそんな話をするのかわかりませんね。答えてください、どうしてこの世界に立ち入ることができたのです? あなたは何ですか?」
 「私が何か」
 
 “天使”は自分を示すように両腕を広げた。
 「人間と呼ばれたことがあれば妖怪と呼ばれたこともある。翼を得てからは鳥とも竜とも。ハーピー。グリフォン。ガーゴイル。ヴァルキュリア。天使。聖なるものの象徴。娘であり、妻であり、母でもあった」
 「それはまたご大層な」
 「自分から名乗ったことはありません。求めたことも。いざない、迎えにきただけ。相応しいものを。地上の者の手に余るものを」
 
 紡は眉間に皺を寄せた。『なに言ってんだコイツ』とでも言いたげだ。紡はどんな時でもどんな場所でもどんなものを相手にしても、怖れ、警戒するということをしない。それは姉の役目だ。その姉はいま、全身の毛を発情期の猫のように逆立てて気を昂らせている。
 千早は首筋がちりちりしてくるのを感じた。「――それは、つまり。この……天境線のことを言っているのですか?」
 が、どうにもおかしな様子であることも感じていた。
 “天使”は哀しげに首を振った。「わからぬのですね。目前にしても。これほど近く、内側に入り込んでみても。こんなにも引き合っているというのに」
 紡はぼやいた。「近すぎだよぅ。ここちーちゃんのナカみたいなもんだぜ? でも、あーそうかそういうことか……」
 
 千早はこめかみに手を当てた。深い呼吸をし、唇を舌で濡らした。
 困惑があった。こういうものなのかと。こういうかたちで、ある日突然、これほどの事態に遭遇することになるなんて。それでも前触れはあったのかもしれないと思う、自分にわからない範囲で。両親の、実の娘でないことは知るより先に知っていた。事あるごとに、信仰する神に頭を撫でられて告げられていた――おまえもいつか、どうしても自分とやりあうことになる時がくるよと。覚悟だけはしていなさい、と。
 
 千早は細く呟いた。「……母親」
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2012/12/03 01:08 | Comments(0) | 東方ss(長)

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