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2025/02/07 23:14 |
(東方)
 闇黒片 ~Chaos lives in everything~
 
 
 
 Stage6 天境線上
 
 
 
 ――邪神、堕天使、闇黒の巫女



 4/4

拍手



 絣B´はぱっと顔を上げた。「わ、私……行かないと」
 絣の胸から伸びる魂の尾が、激しく波打っていた。本体がいま、すべての霊力を、感情を掻き集め始めている。一発限りの、主砲を撃とうとしているのだ。
 取っ組み合いの喧嘩で、紡は絣に馬乗りされていた。紡はひらひらと手を振った。「うん。行ってらっしゃい、お姉ちゃん。ここでこうしてたこともすっかり忘れちゃうんだろうけど」
 
 紡はまるで頓着していないような顔をしていた。が、絣は涙ぐんだ。結局のところ、飛び出していった妹と逢えない事実に変わりはない。本体は現実世界でかすり傷だらけになりながら戦っている。
 言うべきことばに意味があるのだろうか? 絣は力なく紡の胸に拳を押しつけて言う。「元気でね」
 「お姉ちゃんも。あたしなんにも心配してないよ。でも、また会えて嬉しかった」
 上体を起こし、紡は小さな姉を抱き締めた。その直後、魂の尾がぴんと張り詰め、巨大な手に引き上げられる釣り糸のように、絣は上空へすっ飛んでいった。
 
 絣がいなくなり、千早の世界から絣の色が消えた。黒い部分が溶けるように滲み、千早の足元へ引き寄せられていく。その裏側が紡の色、黄色混じりの白になる。黒が千早のところで一塊になると、千早はそれを吸収した。
 千早は“天使”を見つめた。「ケリ、つけましょうか。天境線は返していただきますよ」
 「……」
 沈黙を挟み、“天使”の姿も煙のように消えた。
 
 ふたりきりになると、紡は言った。「あれでいいん?」
 「あなたこそ」
 「夢のなかじゃあたしたちはいつだって一緒だよ」
 「羨ましいですね」千早はくすりと笑った。「でも、わたくしにも母親は山ほどいますから」自分の手のひらをしげしげと見下ろし、糸目をわずかに開いて、「わたくしのなかに流れる血がどういうものか知り得ただけで充分です。なんでもよかった。知らないということ自体にずっと身の内側から焼かれているようだった。知った以上、今度はそのことに悩むのでしょうけれど」
 「なかなかお転婆なカーチャンだねえ」
 千早は噴き出した。「あれをお転婆なんて言うのは博麗くらいでしょうよ」
 「で、どうする?」
 千早の手のひらには絣から喰らった黒い欠片があった。その色。侮られ蔑まれ、安全地帯から見下ろして好き放題こきおろしてきた者たちへの、『零無』の、『零無』への怒り。
 「それはもちろん、わたくしにもこういう感情はありますから。わたくしを置き去りなんかにしたんだから、きつい一発、お見舞いしてやりますよ」
 
 
 
 「霊力を溜めます」と千早は言う。「絣さん。先手をお願いできますか」
 「一機くらいは落としてやりますよ!」
 
 千早が後退すると、絣は深呼吸をひとつした。左半身を覆う獣爪の術式がひりひりと熱い。
 (黒符だ)
 緊張がある。実戦で撃つのはこれで二回目。一回目は完膚なきまでに叩きのめされ、が、そのときに対峙した弾幕は爪符の根幹のひとつとなった。練習ではなんとかうまくいった。今回はどうなる?
 しかし、後ろに千早が控えている。今日の私はオプションだ。だったら、思いっきり突っ込んでみるだけだ。
 お気に入りの歌の一説を口ずさむ。
 
 「――Holding on I’m lost in a haze,
 (しがみつき 霧のなかでさまよう)
 Fighting life ’till the end of my days.
 (命の果てまで生と戦う)」
 
 全身の血が入れ替わる。より深い場所に没入し、内側にあるものが表に現出し、意識が膨れ上がって沸き立つ感覚がやってくる。集中したのだ。ずっとしていたが、これは度合いが違う。闘志が湧いている。
 絣は少し横に移動し、“天使”を待ち受けた。先程の千早の爆心地から離れている。ここなら墜落しても、ちょっと尻餅をつくくらいで済む。
 
 天境線の力場が膨らむ。“天使”が今度こそ自分を狙って霊力を解き放つ。
 やっと、千早を仕留めるには私から撃ち落したほうが早いと気づいたらしい。
 それでも、もう厭というほどこの攻撃を目にした。そこまでくればもう恐怖はない。絣は頭を傾け、耳の横を不可視の衝撃が駆け抜けていくのを回避した。皮が削れたような痛みが走る。すごい威力だ、が、こんなのは全然大したことない。
 弾幕と違う、ただの攻撃だ。なにも表現していない。怖くもなんともない!
 
 橙の教えを思い出す――『弾幕はあえてスキマをつくってるところがあるけど、結局弾幕じゃないにしたって、「スキマのない攻撃」ってのは実は存在しないのね。スペルカードルールの巧いところはそこにあって、ルールを突き詰めようとすると自然に見えてくるものがあるの』
 わかっているのはルールがあろうがなかろうが、私の戦い方はなにひとつ変化しないということ。
 紡相手にずっとこうしてきた。物心つくより先に。
 
 天境線が蒼い力場を次々と放ち、真下から触れれば吹き飛ぶ陽炎が何重にも展開する。
 絣は木の葉のように舞い、翻弄されているように見えながらも、回避している。
 重ね合わせるように“天使”が霊力の砲撃を放ち、山の乾いた空気を穿ち続ける。
 絣は回避し続け、徐々に距離を詰めていく。
 あと百メートル。
 
 (気持ちいいや)
 
 敵機が本気でこちらを墜とそうとしているのが心地いい。
 その敵意がたまらない。さあ、もっとやってみせてよ。『零無』を壊してみせてよ。自分の世界が徐々に崩れていく感覚に昂揚する。マゾヒスティックなほど破滅的で、サディスティックなほど不遜な心地。
 五十メートル。
 
 “天使”がおもむろに右手を空に掲げる。
 満月の光のなかから、強大な砲撃が降りてくる。蒼白い円柱のように。咄嗟に眼をやって大きさを計測する。半径十メートルほど。絣はその柱のすれすれに位置する。
 柱が次々と落ちてくる。雨のように。当然、真下からの力場も、“天使”からの砲撃もまだある。三方向からの攻撃だ。すべてに、当たればそれで終わる程度の威力はある。
 けど、原始的だ。スペルカードルール向けに洗練された攻撃じゃない。威力はあってももっと大事なものが足りない。私の出会った他の人妖にあるものが、この“天使”にはない。厄介さと嫌らしさと美しさがない。そして私の動きは未熟であっても、少なくともスペルカードルール的な動きだ。
 だからかわせる。かわす!
 十メートル。
 射程距離!
 
 “天使”が霊力の防壁を張る。その一帯が眼の眩みそうなほど強く輝く。分厚く、枚数の多い代物だ。けれどそういうのは博麗や八雲の専売特許だ。
 絣は素早く防壁のスキマを見つけ出すと、真っ直ぐに紅黒い左手を差し入れ、そのすぐ横に右手も挿入する。
 「獣爪」力任せに抉じ開ける。「んぎぎぎぎ!」
 
 歯を食い縛り、全身を捻じ込む。するりと、絣は防壁の内側に侵入する。
 一メートル。
 “天使”の顔がはっきりと見える。笑みの消えた眼でしっかりとこちらを見つめている。その眼がいいね、と絣は思う。私をはっきりと敵として認識している眼だ。さあ、私を墜としてみせてよ。私もあなたを墜とすから。
 向けられる敵意に全身がずたぼろにされる感覚がある。その感覚が素晴らしい。胸の奥がきゅんとする、まるで恋のように。私は弾幕のたびに燃え上がるような恋をする。その瞬間だけに愛を向ける。
 腕を伸ばせば触れられる距離で対峙する。静謐の一瞬がある。
 
 ゆったりとした動作で、左腕を頭の後ろまで振りかぶった。「『マージナルビーストインサイド』!」
 「――!」
 
 素早く放たれた“天使”の銃撃をかわし、絣は爪を叩き込んだ。
 命中する。毒が標的を冒す。すべての霊力が弾け、砲撃が止み、あたりが暗くなる。天境線すら、いっとき、“天使”の手から離れる。
 絣は“天使”の背中に抜け、振り向き様に宣言する。
 「黒符!」
 
 
 
 「だって、スペルカードルールは私が創ったのよ」
 と霊夢は言った。
 「私のたったひとつの創作物よ。もう、私の子供みたいなもの。それが幻想郷に浸透したことがすごく嬉しいの。それを誰かが愛してくれることが。
 『博麗の巫女』は昔からあったものじゃない? 確かに大切だけど、私のものじゃないんだもの。だったら、試してみたいと思うじゃない」
 橙は首を傾げた。「試す?」
 「絣は空っぽの抜け殻。退治された後の、なにも残っていない空虚な器。で、だからこそ、自分の周りにあるすべてに依って少しずつ自分をかたちづくっていく。私たちと違って、スペルカードルール制定後に生まれた娘……生まれたときから弾幕と一緒にいた子供」
 
 橙は霊夢を見た。この女はあの子になにを見ているのだろうと思って。霊夢の眼は楽しげに細められていた。
 「そして、幻想郷は混沌の地よ。わかるでしょ、ねえ? 八雲の末娘さま?」
 「その混沌の一端は紛れもなくあんたのせいだけど。あんたとか、その他諸々」
 「自分を除外しないでくれる?」
 「はいはいそうですね」
 
 霊夢はさらに『マルス』を一口飲んだ。喉が焼けるような酒だった。「だから、それっぽく言うとしたら……絣は」さらに注いだ。もう鬼並に飲んでいた。「『混沌に生きる程度の能力』とか。そうやって生まれた弾幕女を見たいの。見たいし、感じたい。私の創作物を存分に享受して、それによってかたちづくられた女が、博麗の巫女って位置でなにを為すことになるのか」
 
 
 
 「『カオス・リヴズ・イン・エヴリシング』!!」
 
 絣が宣言したとき、千早は戦場の外側から内側を見ていた。絣の左半身を覆い尽くす黒が一気に膨れ上がったように見えた。そして、スペルカードが展開する。
 
 (――黒いマスタースパーク?)
 
 そのように見えた。千早自身――というより、弾幕を経験する者みな、多かれ少なかれ一度は体験する弾幕。スペルカードルール創始者を差し置いて、なにかそのルールの代名詞であるかのようにのさばる傑作のひとつ。
 太さも威力も比較にならないとはいえ、絣をカタパルトにして発射された。星の代わりに黒い粒子を撒き散らして、一帯を薙ぎ払う。その穂先に“天使”を飲み込んだ。
 
 そこで“天使”の麻痺が解ける。霊力の波と正面衝突し、その姿がぶれた。からだを捻じり、効果範囲の外に逃れた。砲撃の射角が傾けられ、“天使”を追う。
 “天使”の張った防壁を砕いた。標的のすれすれをかすめ、さらに薙ぎ払われた。ごうごうと、千早のところにまで轟音が届く。
 
 見事な威力だった。が、絣の霊力を考えると威力がありすぎた。なぜ? 答えはあまりにも簡単だ。
 (絣さん……全部の霊力を一気に吐き出してる)
 燃え尽きるまで、空っぽになるまで。それで当たらなければ終わってもいいという弾幕だった。
 さらに、しかし、
 (射程が短すぎます!)
 
 かなり遠くにいる千早にははっきりと見えた。マスタースパークとは比較にならない。霊力の穂先はすぐに途切れ、黒い粒となって飛散している。いや、だからこそ爪符からの連携なのか。至近距離まで近づき、麻痺させる必要があった。そうでなければ当てるどころか射程内で発動することさえままならない。
 そして、“天使”もそのことに気づいていた。四枚の翼をはばたかせ、射程外まで一息に離れた。そこが安地だ。無為な弾幕を見下ろし、好き放題に批判できる場所……
 
 (けど、そういうスペルだとしたら――)
 全霊力を吐き出す性質だとしたら、途中でやめられない。空っぽになるまで止められない。相手に真正面から撃ち合う気がない限り、撃ち合いにならない。
 案の定、“天使”にそのつもりはないようだった。安全地帯でただタイム・アウトを待っていた。自らの砲撃さえ、止めていた。千早を相手にするため温存するのだろう。
 そして絣は、スペルの性質からその場を移動できない。
 
 (……っ)
 欠陥品の主砲。
 そこらじゅうに黒い粒子が拡散している。しかし、それに当たり判定はない。
 急げ、と千早は思う。千早のラストワードは形成するために長い時間がいる。喰らった心を消化し、自らのものとして昇華するための。絣が撃墜されるまえにやりきらなければならない。
 しかし、無茶な理論で組まれたスペルが長続きするわけもない。黒符は次第に細くなっていく。そして、途切れた。音が消え、なにも見えなくなった。
 「絣さん!」
 
 “天使”は止めを刺すべく腕を掲げた。
 
 
 
 「絣さん!」
 千早は思わず叫んだ。が、紡はにやにやと笑っていた。
 「『放射』『拡散』『集束』んでもってまた『放射』」
 
 千早は振り返り、紡を見た。いまや夢の世界は紡の色一色になっており、すべてが眩しかった。そうしたなか、紡はひどく嬉しそうに見えた。
 実際、紡は嬉しかった。姉のラストワードが発動する瞬間を見ることができて。「お姉ちゃんは違うんだね。『放射』から、そんでもって――」
 
 
 
 “天使”は腕を掲げたまま止まった。いるはずのところに、あのちっぽけな標的がなかった。
 闇夜に溶け落ちてしまったかのように、姿かたちが見えない。どこにも。弾幕と一緒に消えてしまった。
 いや、弾幕は残っている。黒い粒子が闇そのもののようにそこらじゅうに散っている。当たり判定がないまま。しかしどうしてそれでまだ残っているのか――
 
 「私は負けていい」
 声だけが宙ぶらりんに聞こえた。
 「私よりも強くて、私より才能があって、私より長く努力し続けたひとに勝てるなんて思わない。私はそんな大したやつじゃない。でも」
 
 “天使”は振り返った。「な、に……?」
 違う。黒い粒子はそこらじゅうにあるのではなかった。自分の周囲だけにあった。その外側には一切なかった。三百六十度囲まれていたから、拡散していると錯覚していたのだ。
 そして、そこに絣がいた。真後ろに。自らが放った霊力の残骸、黒い粒子を衣服のように纏って、その顔を凄まじい怒りの色で醜悪に染めていた。
 
 絣の全霊力が“天使”の周囲にあった。そしてそれを操る絣がすぐそこにいた。絣の内側は空っぽだったが、いまやすべてを外側に纏っていた。なにを意味するのかはっきりとわかる。“天使”は離れようとしたが、絣の反射神経はそれより早く“天使”の首を黒い両腕で鷲掴みにしていた。
 
 「でも!」
 絣は咆哮する。
 「力があるくせに安地から見下して好き勝手ほざいてるだけのやつには絶対に! なにがあっても絶対に! 絶対に負けてはやらないんだよ!!
 
 当たり判定が再び具現する。
 
 ラストワード――「『闇黒異片』!!
 
 一瞬だった。
 全霊力を、ただその狭い範囲にだけ、ただその限定された一瞬にだけ、威力に換算する。
 絣自身の怒りが――『零無』としての怒りがそのまま浮き出た、歪み、捻じ曲がった弾幕だった。それを偽ることなく、そのままのかたちで表現していた。黒符の安地だけに。黒符と正面から撃ち合う者にはまるで通用しない、通用しなくてもいいというスペルだった。
 
 「同じところまで……堕ちてこい――!
 
 絣の闇黒が“天使”を包み込み、一瞬の炎となって燃え上がり、尽きる。
 “天使”は悲鳴を上げた。「あ、あ、……――ああああ――!」
 
 当然、毒だ。それも全霊力に比例した、強力なものだった。純白の翼が紅黒く染まる。痺れを越える激痛に神経が冒される。
 残されたものを一切使い尽くした絣が頭を下にして力なく墜落していく。“天使”は苦痛に身を捩って悶え、さらに悲鳴を上げた。空気を引き裂くような甲高い声が満ちた。
 
 「――っッ!」
 
 だが、“天使”は毒の波を耐え切った。自らの霊力を内側に注ぎ込み、毒を為す絣の霊力を粉砕した。しかも天境線の力がある。蒼白い力場が“天使”を包み込み、翼を純白へ戻していく。当然ながら、絣の全霊力などとは比較にならない力がある。
 スペルカードルール風に言えば、一機だけだ。まだ何機でも残っている。無尽蔵の力そのものが天境線の、この山全体の心臓の能力だった。“天使”は絣のようには墜落しなかった。息を荒げ、振り切った。態勢を立て直した。
 
 しかし、その時間は千早にとってあまりにも充分すぎた。すでに自らの弾幕を形成し終え、“天使”の目前まで迫っていた。
 
 “天使”は表情を歪めた。「――あなたは」
 「なんと言えばいいのでしょうね、産みの母。『ごめんなさい』? 『産んでくれてありがとう』? まあ、そういうのはなにもかも終わってから考えればいいことですね」
 千早は腕と一体化している赤紫の翼を広げた。
 
 ラストワード――「『邪神激翼 -黒風白雨-』」
 
 たったいま絣の見せた黒い炎が再び現れ、その一帯を覆い尽くす。千早の霊力分だけ威力を加算して。水増しなどという次元ではない。倍増しだった。広範囲に延焼し、さらに持続する。
 囲み込み、その先端が“天使”目がけて一気に降りかかる。真上から、真横から、風と雨のように。
 スペルカードルールに長けた者なら、あるいは回避することもできただろう。グレイズすることもできただろう。が、“天使”はそうではなかった。彼女の眼にはスキマなどどこにも映らなかった。
 
 「娘の分際で――!」
 
 “天使”は己の霊力を全開にした。これまで奪い尽くしてきた力の分まで解き放った。その弾幕に真っ向から鍔迫り合いを挑む。もはや退避のしようがなかった、絣のラストワードは“天使”の機動力を完全に削ぎ切っていた。まさに千早たちと同じところまで堕ちてきていた。
 そのスペルの第一波を内側から押し開く。力ずくで。霊力の衝突が生む風が嵐のように吹き荒んだ。勝てる、と“天使”は思う。さらにその矛先を千早に向ける。が、そのラストワードは既に第二波を起動していた。
 
 「『-黒天白夜-』」
 
 黒い炎が晴れるや、満月の光がさらに勢力を増したように眩く輝いた。が、その弾幕は“天使”の真下にあった。その光が天上にまで届き、満月と交わりあっていたのだ。光は下から昇っている。一瞬遅れて、“天使”は足元からの衝撃に吹き飛び上がった。
 眼の眩むような光。螺旋を描き、回転し始める。黄混じりの白が無数の泡沫となって竜巻をつくる。“天使”はなす術なく飲み込まれ、ぞっとするような速度で霊力が削られていく。防壁がもたない。
 
 「『-嵐-』」
 
 さらにもう一段階、竜巻の勢力と速度が強まる。純白の翼から羽根が散り始める。
 さらにもう一段階強まる。全身を撃たれ、生傷が――この私に生傷が!――赤く滲み始める。
 さらにもう一段階。息ができなくなる。
 さらにもう一段階。
 さらにもう一段階。
 さらに――まだ強くなるの?――もう数えられもしないほどの颶風と化し、“天使”はこの娘のおぞましさに始めて恐怖を覚える。そのえげつなさに。容赦のなさに。
 
 「『-雲尽きて、虹高く-』」
 
 嵐が晴れる。
 嘘のような静謐さが訪れ、“天使”は自らを取り戻す。残された霊力と天境線の力を頼みに再生を始める。なにも聞こえない。鼓膜が破れているかのように音がしない。が、自分の呼吸は聞こえる。
 満月が虹の輪を背負って美しい。こんな状況にもかかわらず。が、“天使”にそれを見上げる余裕はなかった。肩で息をし、再生に全力を費やしていた。みるみるうちに傷が塞がる。全身に再び力が満ちる。奪い続けてきたものをいま使用して――
 
 「ところで、守矢神社の『邪神』なんですよわたくし。なのでもちろん、他の三柱がたの下っ端、でがらしの使いっぱしりみたいなものでして」
 “天使”は顔を上げる――ああなんてこと――眼前に千早。人間モードに戻っている。その背中に、赤紫の翼とは別の、もう一対の翼が生えている。弾幕のつくる一時的な二枚羽。黒と白の。
 人間に戻った腕、指先を額に突きつけられる。
 「守矢神社へ向けられる信仰のうち、三柱に向けさせるわけにはいかないような、邪な祈りを担当しています。例えば憎い相手に天罰をとか、邪魔なやつを蹴落として自分が成り上がりたいとか、あてつけみたいなクレームとか。邪神なのでそうした願いを食べるだけ食べてなにもしないんですがね。ろくでもないことを神頼みしてもなんにもならないんだからやめておきなさい、みたいな、なんかそういう。
 なにが言いたいか? わたくしにはもうわたくしの世界があるのだから、いまさらのこのこ現れて勝手なことほざいてんじゃねえ。ですわ」
 
 千早の声音にはなんのためらいもない。“天使”は顔を引き攣らせて言う。「鬼巫女――」
 「奇跡『Good God Remixies』
 
 閃光。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「みんなは絣じゃなく、紡に巫女をやらせたがってたけどね」
 「あら。だったら余計にそういうことにはならないわ」
 「どうして?」
 「だって」霊夢はくすりと微笑んだ。「仮にもこの……『博麗霊夢』の弟子ともあろう者が? その辺の誰かの思い通りになってしまうような容易い人生を歩むと思うかしら?」
 霊夢は結局、面倒くさそうな態度を取りながらも、紡の師という役割を完璧にやり遂げていた。巫女業と同じように。橙は溜息をついた。「あんたが巫女を継いだ時点でもう手詰まりだったんだろうね」
 
 そのとき、障子が蹴り開けられた。ずたぼろになり、レミリアは紫にヘッドロックをかけながら霊夢のところに戻ってきた。紫はレミリアの腕をタップしていたが、完全に無視されている。晴れやかな笑顔でレミリアは言った。
 「ねえ霊夢! せっかく帰ってきたんだから私と遊びましょう!?」
 霊夢は面倒くさそうな顔をしてレミリアを見た。「ええ……いまから? いいけどさあ、私だって昔みたいには舞えないわよ。こっちはババアなんだから手加減してよね」
 「いやだわ霊夢ったら私より四百八十五歳も若いのに謙遜しちゃって! まだまだ全然可愛らしい女の子よ! ところで私いま契約のせいでグングニル手元にないの、うっかり本気出しちゃっても大丈夫よね霊夢だったら!?」
 
 霊夢はますます厭そうに顔をしかめた。「本気のあんたとやりあえるとか思ったこともないけど」
 「気をつけてね霊夢」霊夢の肩を叩き、既に避難モードに入っている咲夜が言った。「槍のないお嬢様は時間停止から突きのラッシュで仕留めにくるわよ。連続して時を止めることはできないけれど、五秒はお嬢様の世界だから」
 「めんどくせっ。まあいいけど」
 所詮は遊びだ。霊夢は立ち上がってぽきぽきと拳を鳴らした。
 
 そうなってしまうと橙にはどうしようもない。「紫様あとお願いしまーす」
 式の式がルーミアを引き摺って出ていく。紫は唖然とする。「えっ?」
 もう咲夜もいない。危機感と厭な予感と物騒な霊力と魔力が一瞬で膨れ上がり、紫は蒼褪める。レミリアは紫を拘束する腕を一瞬も緩めようとはしない。当然だ。紫のからだはすなわち、幻想郷最強の盾と同義だ。もちろん、いざとなったら振り回して棍棒にできるし、投げ飛ばして砲弾にも使える。弾幕戦においてこの上なく頼りになる万能兵器である。
 
 「ちょ……ちょっとあなたたち? せっかくこうして再会したのだから、弾幕の他にももっと旧交を温める手段はあると思うのだけれど、ね、ねえ?」
 「ああ霊夢とやりあうなんて何年振りのことかしら。しかもこの満月! まったくこれこそ紅き運命の妙なる導き、天上におわしめす月神の大慈悲だわ! でもいいかしら霊夢、このレミリア・スカーレットが二度顕在(あ)ることは眠れる王の旧き墓所から黄金の玉座を!」
 「うるさい」
 「こんなにも月が紅いから!」
 「紅くないけど。まあ楽しい夜にしましょうねっと」
 紫はついに悲鳴を上げた。「あなたたち!? 私の話をほんの少しでも聞く気はない!?」
 
 なかった。霊夢は宣言した。「紡符『三十六週目の二重光耀励起エクスペディション四式・改 -瞬-』」
 
 大惨事であった。
 
 
 
 紡は顔を上げた。「あ……お師匠さまが帰ってきてるんだ……」
 千早は膝をつき、肩で息をしていた。喰らった心を利用するラストワードは、胃から丸ごと吐き出すようなものだ。疲れ果てた顔で、紡を見上げる。「なんですか?」
 「なんでもないよ。さて、んじゃあたしも行こうかな」
 
 腰の後ろに手をやり、紡はくるりと背を向けた。
 千早もよろめきながら立ち上がった。誰もいない夢の世界にいることはできない。ここはあくまで他の誰かの心によって形成される世界であり、千早のパーソナル・スペースではなかった。紡に絣、“天使”の心まで喰って、腹はすっかりくちくなった。なにせ三人も押し入ってくるなど初めての経験だったから。
 様々な想いを篭め、千早は言った。「絣さん、あなたの言ったとおりのかたでしたね」
 「でしょ?」
 
 紡はくすりと笑った。実際、置いてった姉のことなどまったく心配もしていなかった。紡は結局、最も多く姉の弾幕を受けてきた女だった。いずれはそうでなくなるとはいえ。
 「たまにお姉ちゃんと遊んでやってね。さびしんぼだからさ」
 「紡さんはもう帰ってくるつもりはないのですか?」
 「あたしはあっちであたしの世界をつくってるよ。ま、明日のことは明日考えるけどね。んじゃまた今度」
 
 言うや否や紡は消えてしまう。あっさりと。
 まったくとんでもないひとだと思いつつ、千早は夢の世界を閉じた。
 
 
 
 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 
 絣は仰向けで大の字になって、千早が“天使”を撃破するのを見上げていた。まったくとんでもないひとだと思った。
 霊力がすっかり空っぽになっている。もう雑巾のように絞っても一滴たりとも捻り出せそうにない。一発撃つだけで力尽きる主砲とかアホだなあと自分で思うけれど、これが私なんだから仕方ない。
 まあ、今回はどうにかやり遂げたのだ。
 千早と“天使”が墜落してくる。千早はこちらに向かって、“天使”は風に流されて少し離れたところに。千早は人間モードに戻っていた。ずだん、と耳のそばで土埃が舞った。
 
 「千早さん」絣は息も絶え絶えに言った。いま訊いとかなきゃと思う。「どうして私なんかを相方に選んだんですか。巫女だからですか」
 千早もまた呼吸が荒れ果てている。絣とは逆方向に脚を伸ばして、うつ伏せになっていた。が、声音は穏やかだ。「そう言ったと思うのですが」
 「……」
 千早は微笑んだ。「絣さん。あなたとわたくしにはひとつ共通点があります。他の――山の妖怪や、母様たちや、慧音先生や、霊夢さんや、霊夢さんと戦ったあらゆる人妖がたにはない点が。なんだと思います?」
 「えと」
 「わたくしたちはどちらも、スペルカードルール制定後に生まれた子です。生まれたときから空に弾幕があった。わたくしたちの根っこにはそれがある。そして、それが大好きです」
 
 先代の博麗が創り出したルールを生まれるより先に享受してきた。空を見上げれば異変解決に奔走する紅白の巫女、読み書きよりも先に弾幕を覚え、弾幕によって人格さえ形成された。
 博麗霊夢の幻想……
 絣は笑った。からだの奥の奥からなぜか震えが湧き上がってきて、笑わずにはいられない気分になっていた。声が枯れるくらいに笑った。最後にげほっと咳き込んで、ふうと息をついた。
 
 
 
 ふたりは互いに寄りかかるようにして立ち上がった。千早は肩口に突き刺さった矢に手をかけた。肉が締まって容易には抜けなくなっていた。しかし、半分は妖怪だ。爪を傷口に差し込み、肉をぐちゅgちゅ言わせて強引に引き抜いた。絣は貧血を起こしかけた。
 どくどくと血の滴る傷口を見、絣は慌てて袂に手を突っ込んだ。
 左手の術式は消えてなくなっている。絣自身の霊力が尽きたためだ。
 
 「ま、待ってください。永遠亭印のメディカル・キット持ってきましたっ」
 「なかなか準備がいいですね」
 「えーっと、あれ? これじゃなくて、ああもうごちゃごちゃになってるし、ゆ、指が震えて」
 
 千早は大人しく待つ。
 自分の傷を縫ったら、“天使”の手当てもしてやろうと思う。いまさら打ち解けられるとは思わない、あんな物騒な考えの女なのだし、価値観がかけ離れすぎている。母親としてなんて思えるわけがない、育ての母をどちらも尊敬しているのだから。せいぜい時折、酒をかわすのが精一杯だろう……
 受け入れられるかな、と自分に問いかける。さあ? としか返答できない。仮に自分が受け入れたとしても、“天使”がそうなるとは限らない。今夜のことで恨まれたら……
 
 「絣さん?」
 「ありましたっ、これですこれ! よかった無事だ、早速――」
 
 が、そこで絣の動きが止まった。一瞬で表情が臨戦態勢に戻った。
 千早は一瞬遅れて振り返った。“天使”がよろめきながら、しかし戦意を顔に溜めてこちらに向かってきていた。天境線が再び輝きだす。満月を越えてルクスを増していく。
 
 「まだです!」“天使”は甲高い声で叫ぶ。「天境線の力に限界はない!」
 
 その通りだった。“天使”自身の霊力は尽きていたが、それだけだった。からだじゅう傷だらけでも、それを使えるだけの能力はまだ残っていた。
 しかし、千早には残っていなかった。完全に危機的状況に陥っていた。(まずい――!)
 
 絣は左手を袂から引き抜いた。その手に握られているのはメディカル・キットではなかった。
 千早にも“天使”にも反応できない速度で絣は踏み出していた。脊髄反射の動きで、それは、橙に教わっていたからだ。『終わっても油断しちゃダメだよ。からだの一部は常に備えときなさい。このご時勢、いまさらなにが起こっても不思議じゃないんだからね』。そう言われればそうするのが絣だった。そこに才能などは必要なかった。
 「闇符!」
 
 
 
 「……あっちゃー」
 一部始終をスキマからずっと見ていた橙は、額に手を当てた。
 「それやっちゃダメだよ、絣……」
 
 弟子の成長は嬉しくもあったが、やはり未熟は未熟だ。後先考えないでできることをやってしまう。確かにいまの状況で最適解ではあるのだが、問題は“天使”などよりずっと厄介な相手にすべきことを、いましてしまったことだ。
 なによりもまずいのは、それでちょっと嬉しくなっている自分がいることだ。まずいなあ、と思う。絣ではなく、私が。これは実にまずいことだ。嬉しく思っているのがまずい。
 
 「どうしたの?」
 後ろからルーミアに問われて、橙はスキマを閉じた。「なんでもないよ。でも、うーん」
 
 はあ、と溜息をつく。しかし、仕方がない。絣を責めるわけにもいくまい、彼女は現状を超えるためにそうしたのだから。そう、仕方がない。仕方がないので、橙もとりあえず最適解の行動を取ることにした。
 「ルーミア」
 「なに?」
 「愛してるよ」
 「えっ」
 
 振り向き様に、橙はルーミアを抱き締めた。身長差があるので、彼女の顔が胸元に埋まる。いきなりの行動にルーミアはぼっと顔を赤らめ、眼を白黒させた。
 「!? !? !?!?」
 「愛してる」
 
 聞き間違いではない。背中に回される腕は力強く自分を捉え、耳にかかる吐息は火のように熱い。たちまち心臓が早鐘を打ち始め、視界が、世界が鮮やかな桃色に染まった。橙が。あの橙が、この私に。
 「やっ……」
 「ずっと好きだった」
 「あっ……だ、だめよ橙、こんな、こんなところ、で――」
 「誰もいないよ」
 「そ、外じゃない、そんな、そんな、いきなり――」
 「だったらどこか物陰にいこう」
 「っ!?」
 
 いったいなにが起こったというのか。突然、あまりにも突然に。なんの前触れもなく。いや、霊夢が帰ってきていた。そうだ霊夢が帰ってきたおかげに違いない。霊夢のせいでと思わざるを得ない、そう霊夢が、そのせいだきっと。ありがとう霊夢あいしてる! でも橙はもっと好き! ルーミアの思考回路は完全に崩壊した。
 うろたえている合間に橙の指に顎を持ち上げられ、潤んだ眼で真っ直ぐに見つめられた。黒猫の澄んだ瞳。指からなにか怖ろしく切ないものが伝わってきて、眼を離せなくなる。心臓が大爆発を起こしてメルトダウンへのカウントを刻み始める。満月の蒼白い光。その逆光で橙の顔が薄暗く、ひどくミステリアスな魅力を醸し出して熱い。その唇が。ああ唇が。薄く艶やかな唇が徐々に、徐々に近づいて、ああ、
 「ルーミア」
 「ぁ……あ、ん」
 
 ルーミアは失神した。
 
 
 
 天境線の力が静かに緩んでいく。
 蒼白い光が再び稜線の下に収まり、脈動の速度を遅くする。やがて、母に抱き締められた子のような穏やかなものになる。そしてまた、誰のものでもなくなる。
 絣は両膝を地面につき、両手もついた。顎の下から汗を垂らして、ぬぐう余裕もなかった。
 
 「……」
 千早は“天使”を見やり、ぽかんと小さく口を開けた。頬に手を当てて、思案する様子で。
 “天使”は愕然として自分のからだを見下ろした。地面が近くなっている、というのが最初の感想だった。両手を持ち上げて、手のひらを覗き込んだ。指の関節が丸々ひとつ分なくなったかのように、小さかった。
 恐る恐る頭の後ろに手をやった。ばちり、と火花が飛び散った。「――ぁ、あ、つっ」
 
 “天使”の姿。先程までの凹凸のはっきりした胸元も、腰のくびれも、しなやかな脚線美もなくなっていた。白いワンピースの下、どこが胸でどこから腹なのか明白でなく、裸足の脚は折れそうなほど細い。頭身がぐっと縮んで、半分くらいになっていた。顔はいっそあどけなささえ感じさせるほど幼い。
 まったく、子供と化していた。絣よりも幼くさえ見えた。
 その頭の後ろ。リボンめいた赤い呪符がしっかりと結ばれている。純白の髪と肌に、色が鮮やかだ。
 
 “天使”はさあっと蒼褪め、口をぱくぱくさせた。「ぁっ……あ、あ……そんな、こんなこと、が……」
 その声さえ細く、高く、端的に表現してしまえば完全にロリ声だった。
 千早は茫然と呟いた。「封印……こんなに強固な。天境線を弾き返してしまうなんて」
 
 “天使”は後退りしようとした。が、膝が震えてどうにもならない。歩調さえもぎこちないもので、すぐにぺたんとへたりこんでしまった。精神さえ後戻りしつつあるかのように、千早と絣を交互に見て、とうとう目許を赤くして涙ぐみ始めた。
 千早の胸にようやく安堵が湧き上がってきて、静かに微笑みを浮かべた。はた迷惑な女はなんとも人畜無害な幼女に成り果てたようである。こんな結果になるとは予想もつかなかったが、こういうものなのだろう。まったく楽しませてくれることだ。
 千早は絣に向かって言った。「こんな切り札があったなんて。お見事でした、今回は絣さんに一本取られましたね」
 
 が、絣はよろめきながら立ち上がると、満月を見上げて頬をひくつかせていた。
 反射的に取った行動の生んだ結果が、つまりはどういうことを意味するのか。さすがに、それがわからない絣ではなかった。
 
 「……アハハ」
 思考ががたがたと震え、崩れ始めていく。
 「あ……あーはっはっはっは……」
 人間、追い込まれてしまうとどうなるのか。反応は様々だが、今回は現実逃避である。そして、やけくそだ。
 
 「千早さん!」
 「はい」
 「いやぁーアッハッハ千早さん! あはははははは! あーはっはっはっは千早さんっ!」
 「絣さん?」
 
 急に大声で笑い始める絣に、千早は怪訝な顔をしたが、今夜の事件は無事解決しているのである。やがて緊張も解れ、すぐに笑みを浮かべた。ショックを受けて固まっている“天使”を見下ろして、とびきりの笑顔を――とびきり邪悪で怖ろしい笑顔を――向けると、「ひっ」と喉を引き攣らせたような声が返ってきた。
 これからのことはこれから考えるとして、とりあえず連れて帰りましょうか、と千早は思った。
 絣は声が枯れるまで笑い続けていた。
 
 「あーはっははっははははっはっはっははははははっ、アハハハハハハハハハハ……」
 
 
 
 つまりこうして、絣はルーミアに対抗するたったひとつの手段を失ったのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帰り道を飛行する霊力を確保するため、少し休憩しているあいだに、千早は幼くなった“天使”を縛り上げてしまった。完全に簀巻きである。
 「では絣さん、これの処分はわたくしがやっておきますので」
 絣はリボンをものすごく返して欲しかったが言い出せる空気ではなかった。「はい……よろしくお願いしますぅ……」
 
 別れ際、千早は絣に手を差し出した。絣はためらいがちにその手を握った。
 「今後ともよろしくお願いしますわ。どうにも、絣さんはわたくしの能力と相性がいいようなので」
 「はい? あ、あの、そういえばすっかり忘れてましたけど千早さんの能力って……?」
 「とてもヴォリュームがあって、美味しゅうございました。ごちそうさまです」
 「え? え?」
 そんなことを言われても絣にはなんのことだかさっぱりわからない。
 
 夜も深まってきた。絣は博麗神社への帰路を、ふらふらとよろめきながら飛んだ。いま妖怪に会ったら一瞬で墜とされてしまうので、びくつきながらの飛行である。この満月、気の昂った妖怪が其処彼処で弾幕と酒宴をかわしている。途中で何度もひやりとする目に遭いながらも、気紛れな運命はどうにか味方してくれた。
 博麗神社に至る石段の上空で限界がきて、降り立った。ふうふう言いながら鳥居目指して登っていく。
 
 霊力は空っぽだし、全身はかすり傷だらけ。ルーミアのリボンまで失って、絶対橙さまに怒られてしまうと思う。いやそれよりも、いまルーミアに遭ったら本格的にまずい。頭からバリバリ食われても抵抗手段がない。
 それでもどこか、清々しい気分にある一部を、絣は感じていた。どうしてだろう。満月のせいで、気が昂っているせいか。なにか意識できないところで、いいことでもあったからか。今日もまた、どうにか生き延びることができたからか。あるいは全部。
 そうではなく、きっと、弾幕のなかに飛び込んだからだろうと思う。自分のスペルカードを余すところなく使って、使い尽くして、回避し、回避し尽くした。そのうえ、勝利で終えることができた。これ以上の幸福が、これ以上ドキドキするようなことが、この世にあるのだろうか? 絣は知らないし、わからない。私の闇黒片を表に現してなおこんな気分に浸れる事柄があるなんて想像もできない。そして、知らなくてもいいと思う。いまは弾幕だけで精一杯だし、それで満足だ。大満足だ。
 
 
 私は弾幕が大好きだ。
 スペルカードルールが大好きだ。
 
 
 鳥居まで登りきった。よし。寝る! 気兼ねなくぶっ倒れるべく、神社に向かって踏み出した。
 ――だけど、その神社はいったいどこにあるのだろう。
 「……」
 
 神社は崩落していた。焼けた木材と砕けた基礎のつくる廃墟と化していた。
 「……――なんッ……だとォ……!?」
 
 満月の灯りに照らされ、世界が幻想的に輝いている。なんとも美しい光景だ。廃墟でさえなければ。つい先程壊れたばかりなのだろう、火の粉がちりちりと舞い、金臭い匂いがあたりに漂っている。紫色の襤褸切れが視界に入った。あれはもしや死骸!? 怖くなり、離れた。そしてそこで、廃墟のど真ん中、かつて絣の部屋だったところに、ひとりの女が腰かけているのが見える。
 それが誰だかすぐにわかった。
 
 「……――!」
 女はひょいと片手を上げてみせた。「ぃよっ。久し振り。ただいま」
 「せせせせせ先代さまッ!?」
 
 なによりも反射的に、絣は跳躍していた。霊夢の足元にずざざざと滑りながら正座し、地面に頭突きをかましていた。絵に描いたように見事な、ダイヴィング土下座であった。
 巫女業の凄まじさを既に幾度となく体験した絣にとって、それをやり遂げた先代は恐れ敬うべき神である。その神が眼前に顕現していること。それが意味するところ。
 
 「おおおおおお久しゅうござります先代さまッ、青葉若葉のみぎりッ、外界におわします先代さまにはますますご健勝の事と存じますますのご繁栄の事とお喜び申し上げッ御多幸と御健康をお祈り申し上げッ、巫女においては格別なお引き立てを賜り厚くお礼を、ついわたくし筆不精の為一昨年以来ご無沙汰、誠に実力不足を申し訳なく存じておりおかげさまでつつがなくッ、たったいま帰宅しましてご来訪くださったことを知りましてなんのおもてなしも出来ずお恥ずかしい限り、先代さまには多忙中を貴重な時間をさいてくださりわたくし迂闊にも留守をしておりまいてッ大変、大変失礼を申し上げぇ――!」
 「うむ重畳重畳。で私いま腹減ってんだけど」
 「いますぐご用意致します! どうかおくつろぎのまましばしお待ちをー――ッ!」
 
 体力の限界を突破しているにもかかわらず絣は猛然とダッシュし、台所だったところへ突っ込んでいく。食材を押し潰している柱に手をかけ、息を詰めて一気に持ち上げた。
 「ふんぬーっ!!」
 
 そうした様子の絣を見つめ、霊夢はぷっと噴き出した。
 「巫女業やりきって心底よかったと思うわ。こんな状況でも美味いメシが勝手に出てくる」
 
 なによりも風通しが素晴らしい。風に髪を撫ぜられながら、最後のビール缶を傾けて、五百ml、ちびちびとやり始めた。
 弾幕の後の心地良い疲労が、最高のつまみだった。
 
 
 
 
 
 ――幻想郷。
 ある満月の夜。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Stage6 CLEAR! CONGRATULATION! and THANK YOU for READING!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今回のスペルカード
 
 
 霊符「夢想封印・劣」
 爪符「カラードネイル」
 獣爪「マージナルビーストインサイド」
 槍符「ネガ・グングニル」
 黒符「カオス・リヴズ・イン・エヴリシング」
 「闇黒異片」
 闇符「ルーミアのリボン」
 ※『今代の博麗』の最大にして唯一の被害者 能力も才能も霊力も体格もすべて奪われた上に面倒事全部押しつけられて毎日が試練 いまではスペルカードの節々に本来の属性の片鱗が微妙に残っているだけ ただし被害に遭わなければ師にも出会えなかったのでいまのほうがむしろ強い
 弾幕女。それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもなんでもない
 
 
 凶符「スレトニング・スカイ」
 驚符「裏メシア」
 狂符「忌みじき腕の悪しき祈り」
 「邪神激翼 -(喰らった心)-」
 「-(喰らった心の消化)-」
 「-(昇華)-」
 「-(結末の提示)-」
 奇跡「Good God Remixies」
 ※慧音先生の頭突きを一年間で七百発喰らったという伝説 一日一発は当たりまえ 一分間に五回も グッとガッツポーズしただけで頭から煙が噴いていた 他の生徒が登校してくると既に頭突きされた少女が机に突っ伏していた あまりにも頭突きされるので教室に置かれたヘルメットは『千早メット』として有名に
 常識とかなにそれ食えるの?→それがこのざまである
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2012/12/03 01:05 | Comments(10) | 東方ss(長)

コメント

お疲れ様でした。
本当にお疲れ様でした。

ただ……一つだけ、 



霊夢さん、絣ちゃんを休ませたげてぇーー!!
posted by NONAME at 2012/12/03 19:25 [ コメントを修正する ]
後、紫色のぼろ切れ様にも乾杯;;;;
posted by NONAME at 2012/12/03 19:42 [ コメントを修正する ]
Stage6キター!!

もうっ!なんかもうっ!この娘達はっ!
てな感じです。いやほんとに。弾幕女って本当にエクセレントでエキサイティングですね。やったね。凄いね。鬼巫女だし。まぁ本家は格が違ったけど。
天使は現れた瞬間にロリ化か……さすが幻想郷、ロリ母も余裕で受け止めるぜ。
あとルミャは早すぎだろう……

ああ……次はStage Extraだ……



しかしまさか紡が出るとは意外だった……
≫「突っ込んでるのは主にあたしのほう」
なんだと
posted by TORCH at 2012/12/03 22:00 [ コメントを修正する ]
お願いだから紫様を休ませてあげてっ!!

なるほど、確かに絣の弾幕は幻想郷の女性たちにはあまり通用しないでしょうね。
安全地帯でぬくぬくせずにグレイズしまくってる弾幕女ばっかりなんですから。
ほんともう、かっこいいなあ。惚れてしまいそうなくらい格好いい。

レミリア様のDIO化が進行しているのはきっと気のせいなんですよきっとそうだ。
posted by NONAME at 2012/12/03 23:02 [ コメントを修正する ]
ルミャは攻められると弱いのかー
絣は対ルミャ装備をなくしてこれからどうなるのか楽しみです
posted by KNR at 2012/12/04 19:34 [ コメントを修正する ]
個人的にはいつかグングニルを自由自在に振り回す絣ちゃんも見てみたいかも。

一生かかっても使いこなせない?

だからやる!
みたいな
posted by NONAME at 2012/12/04 21:23 [ コメントを修正する ]
まさかの紡さん登場に衝撃を受けました。どうも、絣にかなり感情移入をしている為らしいです。

絣の自分の真っ黒な部分を叫ぶように弾幕にぶつける姿にしびれました。
なんか、これって作者さんそのものなのではという見方もしました。

こういう、全力で自分の全てを弾幕や、SSという形に昇華できるのって、ステキなことだなあ、と思いました。

今回も面白かったです。ありがとうございました。
posted by みなも at 2012/12/05 20:13 [ コメントを修正する ]
ご読了お疲れ様でした。ありがとうございますっ!

>>1、2様
同じ方でしょうか? 違ったらごめんなさい!
絣に休む暇はございません。巫女業は茨の道だ! そして紫様は最強なので問題ありません、しかも家に帰れば超絶美人のヨメさんがいらっしゃるので(ry

>>TORCH様
というわけでEXです、小話の回想ですがっ
とりあえず一連の物語では弾幕について感じたことありったけぶちこみました、夜伽では百合エrをぶちまけておりますゆえ! ロリ母はあれです、先例が諏訪子様とか諏訪子様とか諏訪子様とか(ry

>>4様
紫様は最強の上に超絶美人のヨメさんがいらっしゃるのでこの程度ではなんの問題も(ry
おぜうはDIO様というよりイメージ的にはむしろ承太郎です、時止めスペルはスタプラうわなにするやめ

>>KNR様
リバは正義です(真顔
対ルーミアはいまのところまったく考えてません。むしろ対抗策はありません。代わりに橙様が幸せです(超真顔

>>6様
マジレスしますと爪や主砲とシナジーがないので、絣が自分自身になろうとすればするほど熟練はないと思われます。元々他人のスペルなので、どうやってもおぜうの劣化版にしかなりませんし(汗
さしあたっては早々に返還することが目標になるでしょうかw

>>みなも様
絣にしろ他のキャラにしろ、一種の理想を少しずつ詰め込んでる感じですね。私自身というより、ああほんの少しでもいいからこういう風に生きてえなぁ! という憧れです。私自身はヘボですorz
こちらこそありがとうございましたっ!
posted by 夜麻産 at 2012/12/06 00:41 [ コメントを修正する ]
紡さんが出てきてびっくり、弾幕の活躍はないけど。

紫様を武器として運用するとは…レミリア、侮れない奴…

ルミャの陥落早っ!
これで絣が橙様を取り返すことは不可能になった。
くじけるな絣、橙様を取り戻すその日まで。
いっそのこと絣も紫様を武器n
posted by NONAME at 2012/12/07 07:32 [ コメントを修正する ]
>>9様
元々ルーミア→橙だったのでリバれば一瞬です(キリッ
紫様は最強の鈍器ですがマジレスしますと爪や主砲とのシナジーがないので絣には合わな(ry
posted by 夜麻産 at 2012/12/16 09:48 [ コメントを修正する ]

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