闇黒片 ~Chaos lives in everything~
Stage4 地底教会
――ラヴリーラヴリーベイビーズ
4/4
「バカヤロウ」
「はい」
「なんだくそバカヤロウ、不味い、また元通りになってるじゃないかこのチクショウバカヤロウ」
「はい」
「学習能力のないやつだバカヤロウ、ちっとも成長していない、なんかもう、なんだ、えいくそバカヤロウ」
「はい」
味などあってなきものだった。もはや会話もない。炉端に三人囲んで座り、気まずさを越える気まずさに身動きひとつ取れない。
シスターさんがいてくれればなあ、と絣は思うのだ、だって本当はここに……いや、もともと馬頭にしろ自分にしろここにきた理由を考えれば、そんなことはありえないのだが。
左手の術式を施されているあいだは最悪だった。もはやふたりともなにも言えない。とうとう最後になって花乃がぼそりと呟いたのは、『……恥ずかしいんだからあんまり本性を挑発するんじゃない……』だった。
食事が終わると、花乃は黙ったまま酒瓶を持ってきた。首を持ってぐいと、突き出し、
「ほら」
三人は肴もなくちびちびとやり始めた。
唐突に、馬頭はふっと笑った。
「なんだ」
「いや、なにか懐かしい雰囲気だなと思ってね……。囲炉裏を囲んで、晩酌なんて、家族みたいじゃないか」
花乃はいやな顔をした。馬頭は手を振った。
「聞き流してくれ。別にあなたを見て女房を思い出したとかそういうんじゃない」
「こんなとこでグズグズしてていいのか。さっさと諦めて家に帰れ」
「自分ちにはもう誰もいないしなあ。離縁したから」
ふっと漏れ出たような声だった。絣は馬頭を見た。どこか寄る辺のない眼をして、囲炉裏の火を見つめていた。
花乃は酒を呷った。「子供は?」
「うん、娘がひとり。養育費だけ払ってた。でも別れたのは小さな頃だったから、顔も覚えられてないよ。ずっとまえに久し振りに会ったら、誰と言われてしまった」
「そうか」
「いまは冥府の役人をしてるそうだ。不思議な気分だけど……」
「元気でやってるんならなによりだな」
「そうだね」
花乃は杯の水面に眼を落としていた。
「悪い夫のようには見えんがな」
「散々毒を注いでそんなことを言うかい?」馬頭は笑った。「まあ、甲斐性がなかったんだね。僕は『人を幸福にする程度の能力』を申し訳程度に持ってるが、代償のほうがひどくて、貧乏くじを片っ端から引いてく体質でね。僕はそれでもよかったけど、妻には不満だったらしい。まあ娘に悪影響与えるかもしれないと考えたら、仕方ないことだろう」
「役人なら生活は安定してるだろうに」
「生活は、ね。物欲だけ満たされてもね……」
馬頭はそこでことばを途切れさせた。
花乃は馬頭の杯に酒を注いだ。
「愚痴りたければいい機会だぞ。どうせ毒しか出ん」絣を見て、「寝たけりゃ寝ろ」
「起きてます……」
「良かったな。巫女サマも付き合ってくれるそうだ」
馬頭は困ったように頭を掻いた。
花乃を見て、「あなたは何度結婚したと言ってたかな」
「三度。全部失敗だ」
「僕も離縁してからずっと後になって、もう一度その機会があったんだが、だめだったよ。詐欺だったんだ。牛頭は何度もあの女はやめておけと言ってくれたが、盲目だったんだな。騙されていたと気づいたときにはもうほとんど貯蓄もなく、それ以上に心が空っぽになっていた。恋愛どころか、僕にはもうなにひとつまともにやり遂げることもできないだろうって気にさせられていた。根っこのところで物事の真贋を見抜くことができなかったんだから」
「飲め」
「すまない」
絣にはなんと言っていいのかわからない。自分の持つどんなことばも張りぼてに過ぎないように思え、膝の上に置いた杯を見下ろしてじっとしている。室内の、火皿の灯と囲炉裏の火だけが光源となる薄暗さのなか、ふたりの姿は絣には茫洋として見える。
「いまは働くために働いてるようなものだ。なんだか騙し取られるために貯金しているような気さえするよ。こうして有給とったのも何年振りだろう。でも、なんだか久し振りに充実しているような気がするのも事実だ」
そうした年月を口にして味わったかのように、花乃の唇が撓む。言の葉にならないことばを発したかのように。
それでも、その場の空気は緩やかだ。打ち解け、許されている雰囲気がある。馬頭が言ったように、家族のような。絣は己の生家を思い出す……が、こんな居心地よくはなかったと思う。ここには対等の目線がある。花乃も馬頭も絣を巫女として見、取るに足らぬ子供とは見ていない。
だから黙っていようと思う。自分の手に抱え、解決してやれる問題でないことに正直でいようと。
「いまでこそこうしてなんでもないように酒を飲んでいられるが」と花乃は言う。「昔は想像もできなかった。そこにいるだけでそこらじゅうに毒を――言の葉じゃない、本物の致死毒を撒き散らしてたからな。夫は三人ともそれで死んだ。なんで一緒になったんだって言われると困るがな」
「気持ちはわかるよ」
「ありがとう。
最後の連れとのあいだに子供を授かった。多少は抗体があったんだろう、夫が死んでもその子は生きていた。だが、それもほんのいっときだ。ちょうど貴様くらいの歳で」絣を見て――「どうしようもなくなった。何度も……別れて暮らそうとしていたのに、置き去りにするたびについてくるんだ。どこに隠れても探し出された。抱き締められて離してくれなかった。そこらじゅうで戦争やってた、愚かな時代の話だ。ばかばかしいと思うだろうな。私といるとどんどん弱っていくのに、それでも私の手を離そうとせずに結局最後までいっちまった」
花乃は杯に口をつける。が、飲むことができずにそのまま離す。
「地獄に堕ちてこなかったか」
「僕には覚えがないな。無事に転生できたんだろう」
「最後の息と一緒に出てきたことばばかりを覚えてる。煙みたいなか細い声で、」そこで一度喉を詰まらせ、「……ありがとうお母さん、と。その一葉でぜんぶぶっ壊されちまった。どこにもいられなくなって、そのときはただの山奥でしかなかった幻想郷までやってきたんだ」
「飲むかい」
「うん」
促され、花乃は杯を空ける。そこに酒が注がれる。
湿ったような時間がある。が、ふたりはあくまで淡々としている。なんでもない事実を説明しただけという顔をしている。
枯れ果てているんだ、と絣は思う。
ふう、と花乃は息をつく。「まあ、昔の話だ」
「そうだね」
「いまの話をしよう。あの子はな、逃げ続けてそのままにしておくような女じゃない。鬼だからってわけじゃないがな、芯はきちんとした女だ。砕けたままのほうが楽だったろうに、少しずつ心を集めなおして、結局それで罪悪感のほうが強くなっちまった。どれだけ苦しんできたか、貴様らには想像もつくまい。兄に合わせる顔がないと思ってるんだろう。でも、最後には会いにいくだろうよ」
「時間が要る」
「ああ。……あのな、私が地底でなんだかんだとやってこれたのは、彼女のおかげなんだ。ぎりぎりのところで寄り添われてたのは彼女じゃなく、私だ。余計に傷つけたら赦さんからな」
馬頭は肩を竦める。「それはどうか牛頭に言ってくれ」
その晩、冴えたようになってしまった頭に、もやもやする胸を抱えて、絣は横になる。
自分のものでない世界を知るたびに、身の内の混沌が増していくような感覚がする。暗闇のなか、窓からわずかに射し込む鬼火の線のような灯りを見つめ、じっと反芻し続けている。答えのない問いの苦痛。
心臓が脈打つたびに新しい血がからだの末端を巡る。知り得たものなど彼女らのほんの一部、その長すぎる道の一面でしかないだろうに、ただそれだけで打ちのめされそうな気がする。
(重い……)
私にできることなどなにもない。みなそれぞれの道をそれぞれの力でゆく。だったら、私は? 私はなんのためにここにいる? この世界でなんの役割を果たす?
巫女……
(先代さま)心のなかで言う。(あなたはなにを思って其処におられたのですか)
絣は初めて霊夢の威光ではなく、霊夢自身のことを想う。
事件が起きたのは次の日であった。
地霊殿。またもや二日酔いにずきずき痛む頭を抱えて橙がエントランスに降りていくと、ペットたち――人化できる者できない者かかわらず、何十匹もの影が右往左往してざわざわしていた。不穏な響きに橙は顔をしかめ、これはなにかあったなと面倒ながらも思った。彼女らをかきわけ、どうにか話の通じそうな者を探すと、輪のど真ん中でさとりと燐が腰を下ろしてうんうん唸っていた。
「困りましたね、燐」
「とても困りました、さとり様」
「誰のせいだと思いますか」
「誰のせいでしょうか」
「私はお空を間欠泉センターなんぞにヘッドハンティングして地霊殿から引き抜いた八坂神奈子の責任だと考えます。八咫烏などというわけのわからん輩を私の可愛い空にぶっこんだことは百歩譲って許しましょう、ですが自分の利益のために好き放題利用しようという根性がそもそも気に食わなかったのです。私はこのことについて山の神社に謝罪と賠償を要求していっそ潰してしまうつもりでいます。妖怪の賢者は胡散臭くて信用ならない女ですが仕方がない、彼女に事を訴えて裁判所に引きずり出します。こうしてはいられない、いますぐ地上へ向かわなければ。そういうわけで燐、後始末はあなたにすべて任せた」
「ええーっ!?」
「そもそもあの仙人女がにこにこ笑いながら尋ねてきたことから厭な予感しかしなかったのですよ私はッ! 同じようにペットを愛する者として目を瞑りましたがさすがにッ、龍が卵を産みすぎたのでおひとついかがですかなどとッ、どう考えても厄介ごと押しつけにきやがったとしか考えられないでしょうどうして引き受けた燐ッ! 私がその場にいればやつの心を読むこともできたはずなのに! せめて私が戻ってくるまで待つとかできたでしょうがッ!」
「だってさとり様朝帰りだったじゃないですかーっ! さくやはおたのしみでしたねだったじゃないですかーっ!」
「『無意識の片鱗』」
「あっ消えた! ちょっとでも都合が悪くなるとすぐこれだよ!」
さとりがいなくなると、燐は唸りながら立ち上がった。その眼がぱっと閃き、立ち尽くす橙を捉えた。
橙はもう帰ってしまいたくなった。
なんとなく示し合わせたかのように、その日に限っては三人揃って旧都へ出かけた。飛ぶこともなく、踏み固められた荒い道をのろのろと歩いて、特別変わった会話もなかった。居心地がいいような悪いような、微妙な感覚が三人のあいだを流れた。
が、それも旧都の外輪にやってくるまでのことだった。すぐに様子がおかしいことに気づいた。普段、そこは中心部に比べて大した賑わいもない場所であるのに、鬼たちの姿が群れ集まって津波のようになっていた。三人は唖然として波の一部になった。
「なんだこれは……」
長く住んでいる花乃がそう言うのだからよほどの異常事態なのだと、絣と馬頭も気づいた。
老若男女関係なく集まってきているようなのである。鬼でない住人もいた。眠そうな顔をしている小鬼の少女や、なにが起きてるのかさっぱりわかってないような顔をした白髪の老人、見るからに精悍そうな若い鬼も困惑の表情を浮かべていた。赤髪猫耳の火車の一家もいて、どこかわくわくしているようにも見える。
わけがわからん。花乃はそう言って突き進もうとした。その肩を鬼の青年に掴まれた。
「よーお、毒花の姐さん。まあちょっと待ちなって」
「貴様からはなにも買わんぞ」
「今日は果物屋は休業だぜ。まあいいから聞きなって。ちーっとこっから先立ち入り禁止になっちまってるんだわ、おれもよくわかんねえんだけどよ、なんでも妙な妖怪がやってきたとかで」
「ふむなるほど、だがおい貴様地底に妙な妖怪というやつがいったいどれだけいると思ってるんだ。いまさら一匹や二匹増えたところで――」
「まあそうなんだけどよ。でもまあ聞いてくれって。鬼ってやつは追っかけてくるやつにゃ強いが、逃げるやつにはそんな脅威じゃないわけだ、なんてったって拳が届かないし、ものぐさだからな。ものすごい勢いで逃げるやつとなるとなんかもうとてもとても面倒くさい。で、逃げるときにそこらじゅう無茶苦茶にしてくようなやつだと相手したくもなくなるわけだ。やってきたのはそういうやつ」
「なに――?」
「旧地獄側のほうはもう滅茶苦茶だぜ。そりゃもうどっかんどっかん、家という家がごちゃ混ぜに崩れちまった。まあ建て直しゃいい話だが、これ以上無駄に被害増やすわけにゃいかないだろ?」
三人は顔を見合わせる。
花乃は眼を細め、現実のものでない眼を開く。鬼のものでない妖力を感じる。強大なものの片鱗を感じるが、どこか拙く、未熟とさえ言える。だが、本体は遠いのに、ここまで気配が広がってきている。
「感覚域がばかみたいに広い。なんなんだ? まるで神霊だぞ」
「龍の子供だそうだよ」
「橙さま!」
鬼の人垣を掻き分け、橙は溜息をつきながら絣の横に身を滑りこませる。猫耳がもうひとり。絣は初めて見る、ルビーのように鮮やかな紅眼紅髪の少女が、絣を見下ろしてにっこり微笑む。
「あんたが霊夢のお姉さんの次巫女? 初めまして。あたいは地霊殿の火焔描燐です」
「あっ、は、初めまして! 絣ですっ!」
「弾幕の一戦でも試合たいとこだけど、ごめんね、緊急事態なんだ。さっそく仕事の話に入らせてもらうよ。
旧都のなかにいるのは橙も言ったように、龍の子供。二ヶ月前に産まれたほんの赤ん坊だけど、旧都の街並みくらいなら三日で滅ぼせるくらいの力は持ってる。でもいちばん厄介なのはそういう力じゃない、なんといっても鬼だらけだからねここは。問題は感知能力。紅魔館の門番のお姉さん知ってる? あのひとと同じように、ものすごく広範囲――この旧都全体を覆うくらいの感覚領域と、鋭すぎるくらい鋭い危機察知能力を持ってる。龍の気、龍脈ってやつだね。でも赤ん坊であることは変わりないから、とても怖がりで繊細。
つまるところ少しでも危うそうな実力者が立ち入った瞬間、あの子はパニックになってそこらじゅうぶっ壊しまくって逃げ出す。ここまではオーケー?」
「えっ、あっ、えっ?」
「で、なんでそんな子がここにきちゃったかというと」
はー、とひとつ大きな溜息。
「お母さんを探してるんだ」
「お母さん――?」
「生まれてこのかたずっと一緒にいたのに、急にいなくなって怖がってるんだろう。実際の親御さんは地上にいて、お母さんってのは親代わりのことね。お空――あたいと同じ地霊殿のペットのひとりだけど、あの子はお空だけをお母さんとして見てる。ずっと卵を温めて、孵るときにいちばん傍にいたから。でもお空は仕事で、妖怪の山の麓にいるんだ。旧都じゃないから、埒が開かない。
お空を呼んでくるまでこのままにしとくわけにもいかない。そのうち本格的にパニックになって、旧都丸ごとどかんとやっちゃうかも。あたいとしちゃ、傷つけるような真似はしたくない、なんてったって赤ん坊なんだから。だから弾幕で一回休みにしたいとこなんだけど、あたいが近づけば逃げちゃう。近づけるのはあたいたちよりずっと弱くなきゃならないんだけど、それだとそもそもあの子に勝てない」
花乃と馬頭は話の行方を見て取って愕然とする。
「おい」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
橙は絣の肩に手を置く。
「次巫女さん。あんたは見るからに――いやごめん悪気はないんだけど――弱そうだ。鬼なんかとは比べ物にならないくらい。たぶんあの子の感覚領域に立ち入っても問題なく近づけるだろう。そしてそんな小さくても、巫女は巫女だ」
絣はごくりと唾を飲む。
「お空の娘――龍の子供を止めてくれ。あんたにしかできない」
花乃は声を張り上げる。「話にならん! いきなりやってきてなんだそれは!」絣をかばい、立ち塞がるようにして燐を睨み、「なんだか知らんが地霊殿の失態なら地霊殿でなんとかしろ! この子はまったく関係ないだろ!?」
馬頭は絣の肩にそっと手を置き、話すことは花乃に任せながらも、絣を自分の後ろに回りこませる。
「勝手なのはわかってる。でも間抜けなことにこのままだと旧都がちょっと本格的に危ない」
「幻想郷で爆発なんぞ珍しくもなんともない! この程度で潰れるような地底ならもうとっくに終わってるだろうが!」
「橙のゴーサインももらってる」
「なに……!?」
花乃は橙を見る。橙は燐でも花乃でも馬頭でもなく、ただひとりの弟子を見ている。ほとんど怒りに近い疑念の眼を向けられても、答える義務などないかのように胡散臭い雰囲気だけを漂わせている。
絣は肯定も拒否もなく戸惑いの表情を浮かべている。
「それに、これは博麗の巫女にも関係のあることだ」と燐はさらに言う。
まだいくらか冷静な馬頭が問う。「どういうことだい?」
「あの子の名前はあたいとさとり様で決めたんだけど、健やかに、健やか以上に強く育つように祈りを篭めて、ふたつの名前から取ってくっつけた。伝説上の龍の女王と、最強の巫女の名から。その名も」
燐はぐっと拳を握って力強く言い放つ。
「リオレイム――!!」
絣は弾かれたように顔を上げる。
「リ、リオレイム!?」
あまりにも強そうな名前に絣は戦慄いた。
花乃は絶叫した。「貴様らは全然まったくどうしようもなく話にならん女どもだ! 絣とまったく関係ないじゃないかっ!!」
絣は馬頭のからだをそっと押し退け、まえに出てくる。「や、やります」
「絣!?」
「花乃さん、心配してくれてありがとうございます。でも、こんななりでも私は巫女なんです。目のまえの異変を放っておくわけにはいかない――それに――それに先代さまの名を冠するものに背を向けるなんて、私にはどうしてもできません!」
馬頭ははっと絣を見やる。「絣君――そうか、君もまた貧乏くじ役――」
花乃は愕然として絣を見た。その眼に映っているものを見た。
その決意を揺るがすことはできないと悟り、花乃はただ一言声を張り上げた。
「アホかッ!」
絣が行ってしまうと、花乃は橙に詰め寄る。
「どういうつもりだ?」
「なにが?」
「なにがじゃない!」花乃の腕が鈍器のように振られる。「貴様の弟子だろうが! なにを考えてこんなくだらないことに引っ張り出す!? 絣になにかあったらどうするつもりだ!」
「絣は巫女だ」
「よくもまあそんな――」
「絣が巫女であることは絣自身がいちばんよくわかってる。それを遂げるのに不条理なくらい実力が不足していることも。それについてあらゆる批判を浴びてきたのも絣自身だ」橙はあくまで淡々としている。「ねえ、あんたは絣がいつも遺書を持ち歩いていることを知ってる? いつもなにかしらの覚悟を決めてることを知ってる? 二十四時間三百六十五日そのことについて想いを巡らせていることを知ってる?」
花乃は絶句する。
「知らないのなら、覚えてて。それでもって気が向いたら適当に手を貸してくれると嬉しい。けど土壇場で誰も手助けしてくれなくても、絣は文句のひとつも言わないと思うよ。少なくとも私は彼女について弱音のひとつも聞いたことがない」
花乃は大きく舌打ちをひとつする。が、それで後退する。馬頭は驚くような思いで橙を見る。
「花乃さんを黙らせるとはね。恐れ入った」
橙はおもむろにスキマを開き、現場の様子を傍観する態勢を取る。眼が細められ、感情の読めない瞳がスキマの色に染まる。
燐が申し訳なさそうに言う。「いや、ほんと悪いね、橙。巻き込むつもりはなかったんだけど」
「大したことないですよ」
「にゃー……や、でもさ、あんたの身内だろ? 霊夢ならともかくさ、荷が重かったんじゃないかなーって。ぅう、責任感じちゃって胸がごろごろ」
橙はにっこり笑って言う。「ていうかこんなのほんと大したことないです。負ける要素がない」
「えっ」
花乃は激烈な眼で絣が行った通りを睨みつけている。その立ち姿から染み出る強さに、馬頭は思わずすくんでしまいそうになる。毒より重いなにかがある。
「花乃さん」
「土壇場になったら」花乃は投げ捨てるように言う。「旧都がどうなろうと知ったことか。私は行くぞ」
「それについては賛成だけど、口にしないほうがいい。周りの眼がある。鬼のいない裏通りに行こう」
差し出された馬頭の腕を振り払いなおも言う。「こんなのは間違いだ。戦地へ向かう娘をただ見送るだけのことしかできないなんてのはあってはならんことだ」
花乃は凄まじい顔で俯き、唇を切れるほど噛んでいる。爪の割れるほど強く握り締められた手は震え、裸足の指先もまた拳のように曲げられている。
異様な感じを覚え、馬頭は危機感に似た思いから花乃の腕を掴む。「花乃さん」
「なにもできななんて認めない。二度も娘を失うなんて絶対にごめんだ。なんだってやってやる、なんだって……あのときの土蜘蛛と橋姫だって全部おっかぶりやがったんだ。見てるだけなんて二度と……二度と……」
「花乃さん」馬頭は強く腕を引く。「落ち着いてくれ。気持ちはわかるが絣君はあなたの娘じゃない」
その一言に突き飛ばされたように花乃は馬頭を見る。
その表情が不意に緩む。
「……わかってる」腕を振り払って、「私は――巫女を少しばかり手伝ってやろうって言ってるだけだ。霊夢のときから、巫女に協力する妖怪なんて珍しくもなくなったんだからな」
空っぽになってしまった旧都の大通りをひとり歩き、絣は道の果てをじっと見つめている。
(龍の子供……)
龍神が最高神である幻想郷の巫女であっても、本物を見たことはない。当然戦うなど考えたこともない。聖獣――といえばつい先日の獣くらいしか思い浮かばないが、ハクタクと龍にどう共通点を見出せばいいのか。獣には完膚なきまでに敗北した。
そう思った瞬間にぎしりと胸が痛む。心臓を服越しに鷲掴みにする。まだ……引き摺っている感覚がある。
(なんなの、この感覚……っ)
いまのことを思え、と強く考えてみても、五爪がつくる剥き出しの弾幕は脳裏から剥がれてくれない。偽りの歴史を破砕し、未完成の黒符を引っ張り出し、そのうえで完全に仕留めきった。どうしようもない敗北感が残っている。そのさらに上にある感情も。
首を振る。
それでもまだ獣が纏わりついてくる。去りゆく者の背中を見送ったあの雪原が。
(龍を相手にするっていうのに、私は)
どうにかして、どうにかして現在時制に戻ってこようとする。
龍……ドラゴン。紅魔館の図書館で、自分と妹を相手に、内緒話をするように教えてくれた小悪魔のことばが思い浮かぶ。ドラゴンっていうのは西じゃもともと悪魔と同一視されていてね、
『吸血鬼――ドラキュラっていうのも竜の息子って意味ですよ。レミリアお嬢様は違いますけどね』
そのレミリアとの契約はまだある。使えるか? 却下。弱いからこそこうして龍の感覚領域に踏み込んでいるのに、そこにレミリアが現れれば、まず間違いなく逃げられる。私は私のまま龍と対峙しなければならない。
(こっちは――)
気配を感じてゆく。見覚えのある道に出る。
熱い呼吸音を聞いた。
そこにいた。
例の教会だった。十字架の尖塔に巻きついて、大蛇のような龍がこちらを見下ろしていた。まさに神を愚弄する悪魔そのもののように。
「シスターさんは――!?」
先程の人垣に姿は見えなかったが、逃げ出したと信じる他ない。
やるしかない!
翠の、ぬめった鱗が尖塔の外壁に擦りつけられるたびにひび割れるような音が響く。屋根に食い込むかたちで体勢を支える三爪は月のように輝き、それぞれが鬼の腕ほども太い牙のあいだから、炎のように舌がちろちろと覗いている。兎の眼が初めて見つけたように絣を見下ろす。
なにか土石流のように大蛇の身がうねった。触れた石材がそれで砕かれていく。教会はいつ倒壊してもおかしくないように見えた。
獅子のたてがみが収穫期の稲穂のように揺れる。
赤子? ほんとうにそうなのかもわからない。さあ、ここからだ。どうする? どうすればいい?
(霊符は火力が足りない――黒符はまだ使い物にならない)
針も札も御幣も陰陽玉もない。とっくにわかっていたことだ。獣との戦いで散々思い知らされた。相手が獣でなくても、そのままでは勝てなかった……
(残った武器はひとつしかない)
左手に施された花乃の術式。爪から指先の第一関節にかけて、花びらのように刻印された紅と黒の紋様。霊力に擬似的な毒の働きをさせる呪。だが、花乃は言っていた。これは術者の――私自身の霊力に比例する。ほんの一瞬麻痺させる程度にしかならない。
花乃の「一葉」のように、問答無用で意識を吹っ飛ばすほどにはならない。
それでもこれしかない。使い方は? そっと指差すように触れるだけ。
それで――
『「歴史を』いきなり獣のことばが降ってきた。『破砕する程度の能力」』そのことばが槌であるかのように頭をがつんと叩いた。『それはおまえの歴史じゃない。おまえの歴史はそれを借りたってだけの、薄っぺらで、浅はかなものだ。なににも根ざすもののない、軽ければ軽いほど容易く、あたしはなんの造作もなくなんの障害もなく破砕し尽くす』
(……っ)
また……また、破砕される。
この指先をまったくの無条件に封殺される。同じことの繰り返しじゃないか。私はいつまで同じところをぐるぐる回ってるの!?
龍への恐怖以上に、自分への無力感が絣を覆う。そのとき、不意に耳元で声がする。
「私が注意をひきつけます。絣さんはとにかく思いっきりやってみてください」
「えっ?」
振り返る。
誰もいない。
なにもない。
(いまのは――?)
ただの幻聴? 助けを求める弱い心が生み出した都合のいい幻影? それにしてははっきりと聞こえすぎた。注がれた声が温かみとなって胸を満たした。
不意に足元が定まった。
揺れていた意識がしっかりと根を張り、敵と自分だけの世界が戻ってきた。
拳に力が戻ってきた。
(あ……)
そうしてようやく、この胸のもやもやをどう晴らせばいいのかわかった。悩み続けた果てに光を見た。
『お互い生き残っていたらまた逢おう』
逢って……
(リヴェンジする)
勝ちたい。
それは生まれて初めて思う感覚だった。
負けを負けのままにしておきたくない。もう二度と破砕されたくない。今度は私自身の歴史であの獣ともう一度対峙する。
私たちはもう一度出会い、
外面を引き剥がし、
そして
戦う!
(そうだ)
どうして気づかなかったんだろう。
(だから)
あの獣ともう一度戦うために生き残る。そのために全力でやる。
(私の歴史を乗せる――)
破砕されないために。あの能力の向こう側へ到達するために!
左手が疼いた。
「爪符……」
それはやろうと思ってできるタイミングではなかった。それでも、やれと言われれば脊髄反射的にやるのが絣だった。
シスターが舞い落ちる羽根のような柔らかさで十字架の横に降り立ったとき、龍の気はそれを感知することができなかった。『己の身と気配を隠す程度の能力』が解除されて初めて龍はそちらを向いた。なにもないと思っていた場所から神の御業のように気配が発生し、それそのものが完全な不意打ちのように作用した。
意図してつくられた無防備な刹那、絣は思考を介す間もなく突撃していた。橙との修行において何度も何度も何度も何度も繰り返した踏み込みがこれ以上ない素晴らしいタイミングで、奏者を決して裏切らない練習のかたちからなんの劣化もなく動いた。
裂帛の気合が絣の腹から発せられ、花乃の術式が起動した。
呪の紋様が音もなく絣の皮膚を伝い、花吹雪のように輝いた。左手全体に広まり、すぐに手首を越え、腕全体に刻印され、肩を越えて頬まで届いた。ほんの指先にだけ描かれていた花びらが左半身を支配した。
霊力を書き換え、擬似的な毒へと変えたときには、絣はもう龍の眼前まで肉薄していた。が、絣が見ていたのは龍ではなかった。
『いいぞ、チビ。相手してやる。来い』
網膜に焼きついた獣の爪、雪原の夕闇を薙ぐ明白な弾幕だった。もう何度も思い返したあの日の交錯を、トラウマを、今度は自分の血肉そのものに変えて吼えた。
絣のからだが獣そのもののように動き、まっすぐに振り切られた爪が彼女の弾幕を描いた。それは内なる獣が放った絣の歴史を乗せた一撃だった。
シスターに気を取られていた龍は、それでも比類なき種の遺伝子がもたらす動きから、咄嗟にからだをひねりながら上昇していた。
教会の尖塔が音を立てて捻じ曲がり、折れた。十字架を真下に向けて落下し、丸々一秒はかかったような時間の後、地面に食われるように着陸してばらばらになった。
絣は踏み込んだ勢いから教会の真裏に着地していた。そうして飛び上がる龍を見上げ、顔を歪ませた。
――しくじった?
「浅すぎた!?」
そのとき、予想外の方角から声が上がった。「充分だ!」
龍が地底の空へ昇るさなか、不意に固まった。からだを歪に捻じ曲げて苦しそうな声を上げた。
花乃の術式、絣の毒が神経を冒していた。それはほんの一瞬の硬直だった、が、そのときにはもう花乃が教会の屋根に鋭く降り立っていた。彼女はシスターの――長年ともに連れ添った者の気配を感じ取った瞬間、その場の誰にも反応できないほど素早く駆け出し、絣のもとに到達していたのだった。
花乃の手元が目視できぬほどの速度で霞んだ。絣にそう見えた瞬間、先代の武器が、隙を見せた龍を正確に貫いていた。パスウェイジョンニードルは、持ち主を変えその属性を変え、それでも性質までは変えることなく、それまで倒した幾多の妖怪と同じく……現在時制の敵を打ち倒してのけたのだった。
本物の毒がからだに回ると、龍は静かに落下し、連なる長屋の屋根に横たわった。
緊張がようやく解れ、絣は膝をついて荒く息を吐き、顎の下の汗を拭った。
もう、獣の影に纏わりつかれている感覚はなかった。
それはもはや絣の歴史そのものになっていた。スペルカードとともに。
鬼たちがざわざわと見物にくるなか、燐は気合で龍を背負ってスキマで帰っていった。
シスターは花乃に頭を下げた。「花乃さん。なにも言わずに隠れちゃってごめんなさい」
「そんなことは心底どうでもいいが」花乃は背伸びして手を伸ばし、シスターの頭を撫でた。「よく絣を助けてくれたな。偉いぞ」
花乃は娘を見る母親のような顔をしていた。
橙がやってくると、崩れてしまった尖塔をぼんやり見ていた絣は顔を上げた。
「橙さま」
「お疲れ様、絣。まあいきなりで災難だったけど、上出来上出来」
「えっ、あっ、えへ、えへへ」
絣は照れたように頬を染め、スカートを掴んで俯いた。けれど花乃の術式はまだ解放されたままで、左半身にびっしり埋まる紅と黒の花びら、十二の娘にしてはなんとも禍々しい紋様である。橙はちょっと憮然としてしまうのだった。
(ううん、もうちょっとこう、巫女らしいというか、女の子らしいあれはなかったのかなあ)
馬頭もやってきた。橙と一緒にいたのだろう、牛頭もいた。旧知の三人はとうとう顔を見合わせた。
その瞬間、世界から兄妹以外の存在が消え、水底のような緊張があたりを覆った。
絣は、シスターがそっと後退りして、消えたところまでは見た。が、どこへ行ったのか、博麗の勘をほとんど受け継いでいない絣にさえわかった。牛頭はおもむろに俯くと、鬼らしくもない細い足取りで教会のなかへ入っていった。
薄く射し込む光だけが教会のなかを照らしていた。一騒動あったせいで、天井から砂埃がさらさらと零れていた。
牛頭はいちばん前列の長椅子に腰かけ、外のざわめきなど知らぬ風なマリア像を見上げた。抱いた我が子を見つめる眼差しはどこまでもただ優しかった。牛頭はいくらか皮肉な感情から思った。
(あんたは俺たちをそういう眼で見ることができるかい)
俺たちのしてきたこと、してこなかったことを知り尽くしてもそういう眼で見ることができるかい――
視線を床に落とし、数えた。一から始め、十で終えた。
が、能力を発動する最後の呪文のところでつっかえた。おまえは兄としてなにもしてこなかった男だ、と内なる声が判決を下していた。罪悪感に恥じ入り、指が震えた。けれど同時に、四季映姫の説教が背中を蹴飛ばしていた。
牛頭はようやく口を開いた。
「もう――」
重ねるように小さな声が響いた。「もういいかい――」
通路を挟んで反対側の長椅子に妹がいた。
あらゆる想いがこみ上げ、牛頭は目許を覆った。ああ、とありふれたような声を漏らした。
道理で応えてくれなかったわけだよ。おまえは隠れていたんじゃなく、探していたんだな。
ただ静寂のみがその場を満たした。再会を祝福するわけでもなく、抱き締めあうわけでもなく、荘厳な音楽が流れ出すわけでもなく、ことばさえもなかった。ただ時間だけが波のように流れた。長い断絶によって変わり果てた、それでもありのままの兄妹だけがそこにいた。
やがて、牛頭は肩を揺らすようにして嗚咽し始めた。
「帰るよ、絣」
「はいっ、橙さま!」
「スキマ使う?」
「いえ、自分の足で帰れます!」
橙は微笑んだ。「わかった」
絣は花乃と馬頭に頭を下げた。
「お世話になりました!」
「まったくなんの面白味もないことに、大団円というわけだ。どいつもこいつも好き勝手に散々振り回しやがって、本当に目糞鼻糞ばかりの世の中だよ。喜劇にも悲劇にもならん。またいつでもこい」
「はいっ、ありがとうございました!」
馬頭も荷物をまとめ、帰路に立つところだった。首を巡らせてこきこきと鳴らし、花乃に握手を求めて腕を差し出した。花乃は申し訳程度に触れた。
「牛頭の目的は達したことだし、僕もこれで行くよ」
「ああ。これでやっと静かになるな」
「とても新鮮な体験だった。またひとり暮らしに逆戻りだけど、あなたに教わったとおり、料理の勉強は続けていくよ。そうしたら今度は個人的に会いにこよう」
「なに?」
馬頭の口調はどこか熱が篭もっていた。奇妙に感じた花乃が怪訝な顔をすると、掴んだまま手を情熱的に持ち上げられ、強く握り締められた。その眼と、その動作が語っていた。
「……貴様もまったくよくわからんやつだな。私の毒を思いっきり目の当たりにしただろうが。自分から貧乏くじを引きにくるのか?」
「いいや、逆さ。いい加減貧乏くじは引き飽きたから、次はその反対のものを引きにいくんだ」
花乃は堪えきれなくなって笑った。「おまえはほんっっとにばかだなあ。まあ期待せずに待っててやるがな、せめてそれなりな男になってからこいよ。また白目剥いてぶっ倒れるなんてことのないようにな」
「努力しよう」
馬頭は花乃の手の甲に唇を落とした。そうして背を向け、自分の世界へ帰っていった。
絣は唖然とした。
「……なんで?」
博麗神社。淫魔はもう涙目になりながらそこらじゅうを掃除しまくっていた。替えの服を持ってきてなかったので箪笥を漁ったが巫女服しかなかった。
「どうしてっどうして気高き純種の悪魔たるこの私がこんなっ、聖職のコスプレしてお掃除なんてっ」
恥辱と屈辱にぽろぽろと涙を零しながら雑巾がけをしたが、勢い余って敷居につまづいてどこかの部屋に転がった。すんすん鼻を鳴らして立ち上がろうとしたが、慣れぬ仕事に疲れきったからだは言うことを聞かずにばったり。
いったいこの苦しみはいつまで続くというのか。昨日など不意に訪れた例の闇が「出番……」などとわけのわからないことを言いながら不機嫌を越える不機嫌、危うく頭からばりばり喰われそうになって恐怖に腰抜け失禁寸前、野良猫らしき白髪褐色肌の少女が現れなければ間違いなくそのままサヨナラオヤスミだった。もういや。帰りたい。でもよくよく考えてみればもう外界に居場所などない、淫魔のコミュニティに背を向け、自分はそれで幻想入りしてきたのだから。その結果がこれよ! 淫魔はついにわんわん声を上げて泣き出した。
思う存分泣いた後、ちり紙を探してその部屋をごそごそ。
「あら……?」
机の上に分厚く綴じられた本が一冊。興味に駆られて開いてみると、少女特有の丸みを帯びた文字による手書きの一冊。ほとんどスキマなくびっしりと書き込まれた――弾幕の解説図だった。
「……グリモワールなんとかってやつ?」
あの巫女のものだろうか。そこまで思い至って不意に興奮を覚えた。自分の勘が正しければ――ページをめくってめくって――あった! あの忌まわしき猫女の弾幕! 間違いない、自分が喰らった仙符『鳳凰卵』もしっかり載っている。載っているどころか対処方法から回避術まで詳しすぎるほど詳しくご親切に分析してある!
「うぉぉぉぉぉおおおおおっシャァッ!」
ぐっと手を握り締めて勝利の雄叫び、これで勝てる! 雑巾なんてほったらかして貪るように読み込む。読めば読むほど奥が深い、ページを辿る指先が震えた。
しばらく読み進めたが、夢中になりすぎて、橙の項が終わっていたことに気づかなかった。
なにか違和感を覚えて我に還ると、別人の弾幕だった。いやだわ私ったらいけないけない、手を戻そうとしてこれは誰のだろうと気になった。橙ほどではないが、なかなか凄絶な弾幕だということは本の上でもわかる。橙を破ったところで違うやつにやられては元も子もない、ちょうどいいからついでに研究しておこうと目を落とす。
「ええーっと、なんて読むのかしらコレ、漢字はまだうろ覚えなのよね、うーんと、確か糸……方……イトカタさん? イトカタさんね!?」
※『紡』
「ダメだわこれ以上は辞書がないと。あら都合のいいこと、勉強熱心なのね机の上に一緒に置いてあるわ。ありがたく使わせていただくとしてーっ」
読むうちに顔が引き攣った。
これはまたなんとも……途轍もない。橙やルーミアほどでは確かにない、だがいまの自分がやりあって勝てるかどうか。まったくこの世界にはどれだけこういうレヴェルの女がいるっての? いやになりながらも辞書を片手になんとか読み進める――
「えと、これが最後のスペル? なんて読めばいいのかしら……光……えー……
――光耀……」
地上へ帰るまえにやっておきたいことがあった。
絣は縦穴への道とは逆へ進み、氷雪の路を飛んで地霊殿のまえまでやってきた。紅魔館並みに大きな建物に圧倒されながら、門を叩いて声を張り上げる。
「すみません――!」
返事がなかったのでそっと開ける。鍵はかかっていなかった。エントランスにあの龍が横たわっているのが見え、燐と、見たことのない女がふたり。
「なるほどつまり私が空を連れ戻してくるあいだに次巫女が解決してしまったと。なんてことでしょうまた博麗に借りをつくってしまった。それもこれもみんなあなたたちのせいじゃないですかもうっもうっもうっもうっ――!」
「うー、すみませんさとり様あたいが不甲斐ないばかりにッ」
「さとり様落ち着いて。理緒? 気持ちはわかるけど今生の別れじゃないんだから大丈夫なのに。めっだよ、めっ。いい加減私だけじゃなくて、みんなのことも認識しなさい。さとり様は主でお燐はお父さん。わかる?」
「おと……ッ!?」
漫才がいつまでも続きそうだったので絣は叫んだ。「すみませーん! ごめんくださいーっ!」
龍がごそごそ這って空の後ろに隠れた。
「あれっ、次巫女さん! 橙と一緒に帰ったんじゃなかったの?」と燐。
さとりがこちらを見る。「――! そうですか、あなたが次の」
空が頭を下げる。「こんにちは。このたびはうちの理緒がお世話になりました」
「こんにちは! あの、実はちょっと、こちらの――」
「私に用があって、ですか。初めまして。私が地霊殿の主、古明地さとりです。先程はどうもご迷惑をおかけしたようで」
「いえっ、そんな! あの、私は――」
「絣、ですか。いかにもグレイズしそうな名前ですね。もてなしのひとつでもしたいところですが、このあたりの障気はあなたには厳しいようで。今度宴会でもあればゆっくり訪ねさせていただくことにしましょう。さて、それでどうしてここに?」
「あ」
「私と撃ち合いたい、ですか?」さとりは不思議そうな表情をする。「それはまた奇妙な――まあ私は別に構いませんが。リオの借りもありますし。手加減のできない女ですので、容赦なくトラウマ掘り起こしますが――それを望んでいらっしゃる、と。ふむ。誰の弾幕ですか?」
「う」
「妹。紡。わかりました、いいでしょう。空、燐、リオを連れて下がりなさい。では早速始めましょうか、障気があなたのからだを冒すまえに」
「おね」
「お願いします。こちらこそ」
絣は弾かれたように飛び退き、ほとんど四つん這いになるように腰を落とした。左手の術式が起動し、黒と紅の紋様が左半身を覆った。書き換えられた霊力が毒を成し、顔が臨戦態勢の怒れる猫になった。
「爪符――!」
さとりは頷くと軽やかに地を蹴り、宙に浮かんで絣を見下ろした。催眠術を介す必要もなかった。それは最初から絣の胸に刻まれていた。
「想起『光耀励起』」
妹のラストワードが発動した。
Stage4 CLEAR! to be continued……
今回のスペルカード
爪符「カラードネイル」
hard以上で変化 獣爪「マージナルビーストインサイド」
※威力は微々たるものだが出が早く隙が少なく長い硬直を強いる 軌道も素直で使いやすい安定したサブウェポン 黒符へ繋ぐ一手
毒符「Fワード・アップ!」
「一葉殲滅」
※依存性はないが喰らいすぎると病みつきになるのでとっても危ない
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コメント
続編キタ━ヽ(ヽ(゚ヽ(゚∀ヽ(゚∀゚ヽ(゚∀゚)ノ゚∀゚)ノ∀゚)ノ゚)ノ)ノ━!!!!
今回も懐かしい過去作のキャラ達出てきましたねぇ
そして絣ちゃんはどんどん巫女らしからぬ技術を習得していきますな~
使えるならどんな技術でも貪欲に取り入れようとするのはいいことだ
それにしても淫魔さんは懲りないなw
対策したつもりで喧嘩ふっかけてあっけなく撃退されてそうw
今回も懐かしい過去作のキャラ達出てきましたねぇ
そして絣ちゃんはどんどん巫女らしからぬ技術を習得していきますな~
使えるならどんな技術でも貪欲に取り入れようとするのはいいことだ
それにしても淫魔さんは懲りないなw
対策したつもりで喧嘩ふっかけてあっけなく撃退されてそうw
posted by MORIGE at 2012/05/14 11:08 [ コメントを修正する ]
今回は過去キャラのオンパレードですごくカオス。
絣がどんどん逞しくなっていきますね。
今回はかなり頼もしかった。
淫魔さんと貧乏くじ男さん、強く生きろ。
絣がどんどん逞しくなっていきますね。
今回はかなり頼もしかった。
淫魔さんと貧乏くじ男さん、強く生きろ。
posted by NONAME at 2012/05/15 07:05 [ コメントを修正する ]
今回も大変面白かったです!
絣ちゃんの装備が増えてゆく……
淫魔さんが地味に良いキャラで可愛らしいですね
二人とも望んでないかもしれないけど、いつか娘さんともう一度会ってほしいなぁ
絣ちゃんの装備が増えてゆく……
淫魔さんが地味に良いキャラで可愛らしいですね
二人とも望んでないかもしれないけど、いつか娘さんともう一度会ってほしいなぁ
posted by NONAME at 2012/05/21 09:22 [ コメントを修正する ]
おお、続編キター!!
筆のノリに合わせてストーリーもだんだんながくなってきましたね。過去キャラがいっぱいで万歳!!
まずお空の天然タラシ化とお燐の主夫化がなんかすごいツボにはまりますね……おいおい、おかげでお子さん(美鈴に続くモンハン龍w)が旧都爆発させちゃってるじゃないですかwまあ幻想郷では珍しいことじゃないらしいですけどね!
絣は今回の件でまたひとつ武器を得、ひとつの決闘、ひとつの試練を終えましたね。そして同じように自身に対する怖れと矛盾を突きつけられていた牛頭の妹さんと花乃さんも。彼女らの中にある、ぶっ壊されても残り続ける根っこの部分が、同じに見えて実は異なるのかもしれない次の芽、次の一葉へとつなげていくのでしょうか。
しかし馬頭さんの隠れタフガイっぷりはやばいかっこいいですね。今までずっと貧乏くじを引き続け、あらゆる毒にぶちあたってきたということは、それだけ何度も負けて続け、否定され続けてもクジを引くテーブルに向かい続けてきたことの証左だということですか……そこにさらに『愛情』というスパイスの入手……
これは花乃さんじゃなくても惚れますねマジで。
≫昨日など不意に訪れた例の闇が「出番……」
強く生きてください。
≫西洋風の尖塔の上に、ルーミア……でなく、十字架が立っている。
≫伝家の宝刀、しゃがみガードの態勢
おいちょっと絣さんwwwwwwwwwwww
今回も本当にありがとうございました。
Stage5、楽しみに待ってます ( ^^)ノシ
筆のノリに合わせてストーリーもだんだんながくなってきましたね。過去キャラがいっぱいで万歳!!
まずお空の天然タラシ化とお燐の主夫化がなんかすごいツボにはまりますね……おいおい、おかげでお子さん(美鈴に続くモンハン龍w)が旧都爆発させちゃってるじゃないですかwまあ幻想郷では珍しいことじゃないらしいですけどね!
絣は今回の件でまたひとつ武器を得、ひとつの決闘、ひとつの試練を終えましたね。そして同じように自身に対する怖れと矛盾を突きつけられていた牛頭の妹さんと花乃さんも。彼女らの中にある、ぶっ壊されても残り続ける根っこの部分が、同じに見えて実は異なるのかもしれない次の芽、次の一葉へとつなげていくのでしょうか。
しかし馬頭さんの隠れタフガイっぷりはやばいかっこいいですね。今までずっと貧乏くじを引き続け、あらゆる毒にぶちあたってきたということは、それだけ何度も負けて続け、否定され続けてもクジを引くテーブルに向かい続けてきたことの証左だということですか……そこにさらに『愛情』というスパイスの入手……
これは花乃さんじゃなくても惚れますねマジで。
≫昨日など不意に訪れた例の闇が「出番……」
強く生きてください。
≫西洋風の尖塔の上に、ルーミア……でなく、十字架が立っている。
≫伝家の宝刀、しゃがみガードの態勢
おいちょっと絣さんwwwwwwwwwwww
今回も本当にありがとうございました。
Stage5、楽しみに待ってます ( ^^)ノシ
posted by TORCH at 2012/05/22 23:26 [ コメントを修正する ]
ご読了お疲れ様でしたっ、ありがとうございます!
>>Carrot様
トラウマの結果は次回! 書けたら(ボソッ
花乃と馬頭は恐らく私のキャラのなかで唯一のノマカプになると思いますが普通に振られそうな気もする今日この頃。まあ、いや、わかりません!
>>MORIGE様
絣が最終的にどういう方向性になるのかは6面くらいで! たぶん(ボソッ
淫魔に関しては考えてることが少しずつ(ry
>>3様
頼もしく感じていただけたら……まあ才能はないんですけれどもっ
馬頭はとりあえず今回はここで! 淫魔はちょこちょこっと! 書きます!
>>リク様
とりあえず6面でひと段落する(予定)なのでぽつぽつ書いてきますっ
次回はいつになるやら……(汗
>>5様
次回、さらに次の回で絣のおおまかなかたちが決定すると思います。たぶん! 淫魔が幻想郷でどう生きるかもぽちぽちとっ!
>>TORCH様
くっ、詳細な感想ありがとうございます……っ! なんかもう恐縮してその通りでございますとしか(汗
次回もがんばらせていただきます! ってかオリキャラでここまで思う存分やっちまってもう土下座から逃れられないorz
>>Carrot様
トラウマの結果は次回! 書けたら(ボソッ
花乃と馬頭は恐らく私のキャラのなかで唯一のノマカプになると思いますが普通に振られそうな気もする今日この頃。まあ、いや、わかりません!
>>MORIGE様
絣が最終的にどういう方向性になるのかは6面くらいで! たぶん(ボソッ
淫魔に関しては考えてることが少しずつ(ry
>>3様
頼もしく感じていただけたら……まあ才能はないんですけれどもっ
馬頭はとりあえず今回はここで! 淫魔はちょこちょこっと! 書きます!
>>リク様
とりあえず6面でひと段落する(予定)なのでぽつぽつ書いてきますっ
次回はいつになるやら……(汗
>>5様
次回、さらに次の回で絣のおおまかなかたちが決定すると思います。たぶん! 淫魔が幻想郷でどう生きるかもぽちぽちとっ!
>>TORCH様
くっ、詳細な感想ありがとうございます……っ! なんかもう恐縮してその通りでございますとしか(汗
次回もがんばらせていただきます! ってかオリキャラでここまで思う存分やっちまってもう土下座から逃れられないorz
posted by 夜麻産 at 2012/06/01 21:41 [ コメントを修正する ]
作品の感想
隠れていた鬼の妹さんの存在が、ずっとズーンときます。罪悪感を抱えて隠れていきてきた、妹さんにお兄さんが会いに行く。
彼女の気持ちを思うと、切ない気持になり、ずっと心に引っかかっています。
> 牛頭はいちばん前列の長椅子に腰かけ、外のざわめきなど知らぬ風>なマリア像を見上げた。抱いた我が子を見つめる眼差しはどこまでも>ただ優しかった。牛頭はいくらか皮肉な感情から思った。
> (あんたは俺たちをそういう眼で見ることができるかい)
> 俺たちのしてきたこと、してこなかったことを知り尽くしてもそう>いう眼で見ることができるかい――
ちょっと読み返して、この部分にやられました。私はこういう皮肉さはとても大切なのだと思います。こういう、「ただやさしい目でみてもらえるかい?」という疑問を突き詰めた所にしか、愛も希望も見つけられないと思います。
この試練を乗り越えていない、愛や希望や自信なんてぬるい
それと比べて、疑問の中で出会える愛のなんと素晴らしいものか、それが作者さんの作品の中にいつも見えるのが楽しみでいつも読んでいます。
posted by みなも at 2012/11/11 01:19 [ コメントを修正する ]
でもこの子、難易度ハードになれるのだろうか。
妹の物でもあり、トラウマでもある紡のスペルに自分から突っ込んでいくか。心意気かっこいいなもう。
地底の筋金入りのぼったくり鬼相手に値切り交渉して(多分)勝利する絣さんパネェ。
地上相場の倍の4分の1から始めたってことは、きっと地上相場くらいかそれ以下で買えたのかなー。
貧乏くじ男の馬頭さんだ!家族はどうし…なん…だと…?
この話が終わったらどうなるのかなこのひtフラグが立った…だと…?
しかしまあ。本人が幸せな方向に行ってるのなら、いい、のかなー?
ヤマメとキスメが仲睦まじく生きているようでなによりです。