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2025/02/08 05:11 |
熱を啜る
おもむろに黒歴史発掘。投下。
生まれてはじめての百合モノ。

オリジナル注意。妄想注意。百合注意。黒歴史注意。ネット向けに書くこと前提じゃなかったので読みづらいよ!
何年前のだ、これ……




拍手




 私の肩に鼻先を押し付けるようにする風子の頭を抱えたのは、それが例えば愛しさとかそういう感情に起因しているものではなく、そうしておかないとこの子は私の皮膚に歯を立てて噛み千切ろうとするからだ。服を着ていると服の生地ごと持ってこうとするので、軽くはだけていなければならない。そりゃあ羞恥心みたいなのはあるけれど、唾液と噛み痕でだめにするよりずっといい。この部屋には風子と私しかいないし、どうせ眼を瞑ってしまえば何も見えないのだ。
 んー、とか、うー、とか、そういう唸り方をして、風子はいやいやをするように首を振った。髪から香る匂いでむせる。ベッドが軋む。それくらい強く身体を動かすものだから、私は少しかちんときて風子の髪を鷲掴みにして顎を上げさせた。離れるときに痺れるような痛みが肩に走った。反り返った喉が白い。部屋は暗いのにそこだけやたらと明るくて、嚥下した器官の動きが表面に伝わって、私ははっとして自分の肩を見るといやな痕が赤く残っていた。
 「なにがしたいの」
 私が呆れて言うと、
 「いたいいたい」
 と、風子は私の腕を弱く叩いた。
 髪を離すと、風子はまたすぐに私の肩に噛み付いてきた。私は腕を持ち上げたまま長く溜息をついた。首を覆うように掴んで強引にこっちを向かせた。覗き込んだ眼が黒くて深い。膝を使って、全身を持ち上げるようにしてぐるりと回る。首投げみたくなって、風子の体がベッドに落ちた。
 立ち上がろうとして、裾を掴まれた。細い指のくせに妙に力が篭っていた。指を一本ずつ引き剥がしたら今度は手を握られた。指の股同士が深く触れ合って、冷たい温かさが痺れて背筋まで走った。
 「はなして」離さなかったのでもう一度言う。「はなせ」
 ここで調子に乗らせるとなかなか帰してもらえなくなるので、私は風子を強く睨んだ。返事はなく、代わりに手にかかる力が強くなった。私は逆にもっと力を篭めて、彼女の指が手の甲から離れた瞬間に振り払ってやった。指先が一気に冷えて不満げに疼いた。私の体はときどき私の言うことを聞かない。
 風子はいかにも寂しそうに俯いた。もともとのつくりがほとんど奇跡みたいに整った顔立ちなので、相手が相手ならそれだけで事足りるんだろうけど、生憎私はそのことを軽く妬んだだけだった。
 私は風子に背を向けて少し考えて、振り返りざま風子の頬に手をやった。ビンタみたいな勢いがついてたけど、振り切らなかったので、乾いた音を立てて頬肉を揺らすだけに留まった。彼女の体が反射的に震えた。
 「また」
 笑って言えたかどうかは自信がない。ただ、この子はちょっと笑ってくれた。
 彼女の部屋を出るともう日が暮れかけていた。茜色がどうしようもなく眩しくて暗い。吹いている風はもうひどく冷たいのだけれど肩から首にかけて残る生温かさはちっとも和らぐ気配がない。自分の家までの道のりはひどく億劫だ。地面に伏せて眠ってしまいたい。ああきっとこの辺の土は冷たくて気持ちいいんじゃないかなとばかな考えを引き摺りながら川沿いを下っていく。
 「相原さん――」
 急に自分の名前が空中にぽかんと出てきて戸惑った。振り返ると低い太陽を背負った風子が橋の欄干から身を乗り出して手を振っているのが見えた。
 「相原さあん――」
 こちらが気づいていないと思ったのか、彼女はますます大きく、引き千切られるんじゃないかと思うほど高い声を出した。
 血の巡りが急に素早くなって、頭のあたりでぐるぐる赤血球が掻き回されてるのがわかった。どうしてそうなるのかはよくわからなかった。
 「わすれものお――」
 風子は私の上着を抱いていた。けれども私はなんで今日上着を持ってきたのかよく覚えていなかった。だって今は不快感さえするほど暑いのだ。汗が出てるのに舌は乾いてて、皮膚の表面を濡らすくらいなら唾液を出せと自分の体に文句を言いたくなるほどなのだ。
 私は陶然としたようになって彼女を見上げていた。視界は闇色と茜色のあいだくらいで、彼女の体は誰かの影そのものみたいだった。私はもう一度彼女が私の名前を呼ぶ声が聴きたいと思った。それは冷静になってみるとほとんど脈絡もないような考えだったけれども、なにか義務感みたいなのが付き纏って、なんだか耳が妙に熱い。
 「相原さあん――」
 考えが伝わったのだろうか、と考えた瞬間、張り詰めた気持ちが荒縄みたいに私の体を縛って、指先だけがひくひくと動いて、なんかもうこんなのは嫌だと心の底から思った。
 そこでようやく、自分がひどく昂ぶっていることに気がついた。自分がどうしようもなく浅ましく思えた。お腹が痺れて涙が滲んだ。

 友達同士のスキンシップというやつはどこまで許されるんだろうか。海外の映画なんか見てると出会い頭にキスしたりしてるけれど、日本じゃさすがにありえないだろと思う。抱きつくのはいいんだろうか。祝福するような場面じゃわりと普通そうだ。祝福しないような場面でも普通だろうか。肩揉みみたいなマッサージ……ふくらはぎ……背骨の矯正……足裏のツボ。人混みの中で手を繋ぐ。肩を寄せ合って笑う。
 親の仕事の都合で三年間故郷を離れた。傍にいるのが当然で、いつどうやって会ったかすら思い出せない幼馴染とは、時折電話で声を交わした。手を繋いだまま男の子のように野山を駆けたことを思い出しては、受話器を握る手がちりちり震えた。何かを隠しているような笑い声は、電話を置いてもずっと鼓膜の裏に残っていた。
 帰郷したとき、抱きつかれて泣かれた。ちょっとびっくりして、すぐに私も泣いてしまった。親にだってぎゅっとされた記憶なんかなくて、ひとの体温って暖かいんだなあ、と場違いなことを考えていた。
 電話で何度も話したけど、直接会って言いたいことなんか山ほどあって、でも何から話していいのかちょっとわかんなくて、けど抱きつかれてるとそんなこと全部どうでもよくなるくらい気持ちが伝わって、届いてくる、それだけですごく安心できた。
 それに気を良くしたのかなんなのか、彼女は私に会うたびに抱きついてきて、私もそれが別に不快なものでなかったから拒絶もしなくて、部屋の中で彼女を膝の上に乗せながらぼーっとテレビ見てるだけで何時間も過ごしたりとか、そんなことがずっと続いた。
 成長期が終わってあんまり背丈が変わらなくなっても、彼女は私にもたれるような姿勢が好きで、その日はテレビがつまらなかったのか、彼女は私の手を自分のお腹のあたりに持ってきて弄くっていた。指先と爪の間をなぞったりとか、指の股の柔らかい部分を延々と揉んだりとか、手の甲に指を重ねてとんとん不規則に叩いたりだとか。私は次第に気恥ずかしくなってやめたかったけど、彼女が「相原さんの手って温かいねえ」とか言うもんだから拒絶もし辛くなって、それ以降なんだかそういう行為が当たり前になってしまった。
 やましいことしてるわけじゃなし、と言い訳めいたことを思ったまま、時間ばかりが過ぎてって、体と体の距離は、すごくすごく緩やかに縮まっていった。思えば彼女は両親とどうもうまくいってなかったし、兄弟もいなかったもんだから、誰かに無性に甘えたくなるのは当然で、そんなとき一番近くにいたのがたまたま私だった、それだけだ。
 微妙で曖昧な触れ合いの境界線は私の中で溶け合って、どれを拒絶するべきなのか、どこまで甘えさせてあげるべきなのか、段々わからなくなってきた。ただ緩んだ罪悪感だけが残ったまま停滞している。
 唇一つとっても。
 抱きついた拍子に肩口に触れて、そのまま留まって、首に登ってくるわけでもなく頬まで吹っ飛んでくるわけでもなく、ああこの赤いのどうしようとか思ってるうちにそれが二人の間で当然のことになって、なんだかもうわけがわからない。
 終わりにしようか、とかそれっぽく言ったこともあるけど、え、なにを、と返されて、私のほうでも思考を形作っていた色んな言葉がゲシュタルト崩壊して、本当にもうなにがなんだかわけがわからない。
 体の熱さだけが確かだ。ばかになる。

 レポートが行き詰まると密閉された容器の中でぐるぐるかき回されてる気分になる。頭がどんどんバターみたくなって、言葉と意味とが攪拌されて、眠い、図書館の中じゃ風も吹かないから知恵熱が知恵熱を呼んで悪循環。ひたすらかき集めた文献の中から適当に言葉を選んで繋げて削ってそれらしく書いて、むしろ意味はあとで考える。そういうその場凌ぎの作業だって次第に追い詰められて、ここが図書館であるということをふっと忘れた瞬間、机に向かって頭突きした。
 ごつん、とひどい音がして、それで我に返った。顔を上げるのが恥ずかしかったから腕で頭を囲んで眠っている振りをしたけれど、抑えた笑い声が聞こえて誰か私を殺せ! とかそういう気分になる。
 不可抗力を言い訳にして死にたい。
 レポートだってふっと思いつけばそれを盾に制圧前進できるのだけれど、今の私は、まあいつだってそうなんだけど、そんな発想をして進んで終わりに近くなっていきなり正気に戻って全部没にする、みたいなことを繰り返してようやく行き着くところに行き着くみたいな、そういうタイプだ。どうでもいいレポートは没にする直前で提出する。ボーダーラインぎりぎりを維持し続けて、今までなんと単位をひとつも落としたことがない。でもやっぱり崖っぷちなのは変わらないわけで、昨日起きた奇跡が今日も起きるなんて保証もなくて、恐怖と疲労でいつだって情緒不安定だ。
 外の景色を眺めてみてもなんの慰めにもならない。
 どうせ進まないのなら眠ってしまおう、と思いついて、思いついたら私は行動が早い。というか昨夜四時まで眠れず起きてたもんだから、まさに今は目を閉じたら夢の世界へ直行直帰みたいな、そういうテンションだった。最近はそういう、夜も眠れず昼寝するみたいな、ひどい生活習慣が身に馴染んでしまっている。
 起きたら目の前に風子の顔があった。
 うわっ、と大声を上げてしまい、再び、私は閲覧室中の視線を集めることになった。
 彼女は私と同じように枚数だけは達者な文献に囲まれて、白紙のルーズリーフの上に肘を乗せて、手で顎を支えて私を見ている。そういえば英語文献の翻訳の手伝いを約束してたっけ、と考えつく前に、私の体は過剰に反応して上半身を仰け反らせた。
 風子は楽しそうに笑った。くすくすとか、そういう擬音が似合いそうな表情だった。
 「今、何時」気まずくなって私が訊くと、
 「二時半」風子は時計も見ずに答えた。
 「今どの辺やってんの、あんた。どこまで」
 「私も今来たところで、何もしてないの。とりあえずそれっぽい本だけ集めてみたけど。相原さんが寝ちゃってたし、アルファベットを見るだけで頭痛くなって」
 「貸して」
 ひったくるようにして文献を奪うと、一語目から知らない単語が出てきた。明らかになにかの専門用語で、それは要するに私の丸っきり専門外の分野ということで、私の口からはあぁあーっていう蛮族の雄叫びみたいなうめきが漏れた。
 文法の読解なんて要はその場のノリと勘、あとは勢いによる適当な推測だけど、こう一手目からいきなり挫かれるとぐだぐだになる。凡才のくせに天才肌的手法に頼る救い難い私は、ぐだぐだになると本当弱い。土俵際の粘りが足りない。で、負けそうになるとすぐ別のことに逃避するどうしようもないばかだ。
 本を放るようにして立ち上がると、別の文献を探しに行く振りをして、開架室に入っていった。閲覧室にはそこそこひとがいたけど、そこには思ったよりいなくて、奥のほうに向かうともう私ひとりだけの空間みたくなった。
 寝起きのせいで頭が働かない。
 ただでさえ情緒不安定なのにそういう状態で、しかもいきなり目の前に風子が現れたっていう心臓に悪い状況で、半分おかしくなったまま、額をそっと並べられた本の背表紙に押し付けた。かさかさしててむかむかしてくる。
 「相原さん、大丈夫?」
 わざわざついてきたらしい風子が言う。
 「ここんとこ最近は特に」ひどい、ずっと正気に戻れてないみたい、と言おうとして、やめた。「ああ、うん、眠い。不眠症ぎみで、さあ。夏休み入っちゃえば多少は楽になるんだろうけど」
 「あんまり辛いんだったら無理して手伝ってくれなくてもいいよ?」
 「睡眠薬って素敵な響きよねぇ」
 「……病院、行く?」
 なにを、と思ったけど、本気で心配してくれてる響きだったので、少し申し訳なく思った。けれども今のところ私の悩みに関する全てはこの子がもたらすものだったので、段々腹が立ってきた。でもよくよく考えてみると原因はこの子だけれども私の感じ方がおかしな方向に進んでるのは他でもない私のせいで、そう思い当たると余計気が沈んできた。
 全体的に鬱な考え方なのに、体だけ何か勘違いしてハイになってる、そんな感じだった。
 こういうとき、躾けられた犬みたいに自然な形で寄り添ってくる風子が、なんだか憎らしく思えた。その時にふっと何か違和感を覚えたので、私は思ったことを反射的に口にした。
 「昼休み、シャワー浴びた?」
 風子は、え? という顔をした。
 「わかる? ちょっと髪濡れてた?」
 「そういうわけじゃないけど」
 「午前中ちょっと余計な汗かいちゃって。ぱっと帰ってぱぱっと体洗ったんだけど、ええ……わかっちゃうの?」
 「全体的に雰囲気が、なんか、湿っぽい気がしたから……」
 そう言ってるうちになんだか情けない気分になる。神経過敏になってるのかなぁ、とか、なんか変態みたいだなぁ、とか、そんな感じの。
 自覚し始めるとどんどん息苦しくなってくる。
 開架室の奥は暗くて、窓なんかないから光源は小さな蛍光灯だけで、さっきまでは多少あったひとの気配はもうここまで届いてこない。並べられた本の、古くて妙に濡れたような紙の、香りと呼ぶには強すぎるけど匂いとしか表現できないような雰囲気が曖昧に妖しくて、ああもう変な感じだな、とばかばかしいことを考える。
 手を伸ばせば触れられる距離の、というか向こうからそっと肘の辺りを触ってくる風子の体の柔らかな感触の錯覚が指先に登ってきて、私はそれを鬱陶しく思ったからわざと触れられないように体を捻じって握り拳を作って、暖かな幻覚を押し潰す。
 なんでこんな風になってんのかな、と思う。気の置けない幼馴染であるはずの風子といるのが苦しくて辛い。
 本当はもっと自然に、自分らしく振舞える相手なのに、とまで思ってから、自分らしくってどんな感じだ、と変な感じに思考が飛んだ。
 「帰ろっか、あんまり辛そうなら」風子が言う。
 私は黙って頷いた。彼女の後姿を見て、白い首筋に背骨の一番上が浮き出てるのを認めて、なんだか眩暈がした。なんでそうなるのよ、と自分に突っ込みを入れた。
 足がもつれて、ぐらぐら。大丈夫、まだ余裕はある。

 母方の実家は農家だけども海に程近い場所にあって、家そのものはゴキ……あの黒くて速い悪魔みたいな虫? 虫と呼ぶのもおこがましくておぞましい原初的生命体だらけであんまり好きじゃないんだけど、ひとのいない浜辺が延々と続く光景が気に入っていて、夏休みは必ず時間を空けて遊びに行く。
 暇そうにしてると肉体労働させられるので、なにかと理由をつけて朝から散歩に行く。
 天気が荒れる日の、崖の上から見る灰色の海が好きだ。波濤が岩を削っていくのをひとりでずっと眺めてる。焚火とかと同じで見てて一向に飽きないのは、同じ形なんて一切なく流動し続けてるのと、触れられないほど瑞々しい単純な力に満ちているせいだと思う。
 水平線のかなたに、どす黒い雲がぽっかりと穴を開けて、そこから金色の幕を落としているのが見える。
 毎年こういう光景を見るたびに、いい感じに気持ちがシフトダウンして、もやもやした心をなんとか許容することができる。街中だと行き場を失って掻き回されるしかない頭の熱さが、ふっと抜け落ちて、倒れ伏して体を丸めて目を閉じて、深呼吸するとちょっと涙が滲んでくる。ちょっと冷静になると、普段の私が、どれだけ慌てておろおろしてるか、思い返して笑いたくなる。
 私を救うのはいつだって飾り立てのない寛容さだ。
 でもその一方で、落ち着いてくると寂しくなってくる自分もいる。熱に浮かされているときは気づけない、体の中というより外側を漂ってるような気持ちは、懐かしいものを見て切なくなるような、そういう感情に近い。外側に漂ってるわけだから私自身にはどうにもできなくて、体を丸めれば丸めるほど、抑えがたくもどかしい。
 具体的な言葉にすればするほど抽象的になっていって、捉えどころがない。
 帰りたい、と思う、けど私が二十年間過ごしてきた家も母方の実家もありとあらゆる思い出の中の風景も、私が帰りたいと願ってる場所ではないのだ。
 頬に冷たいものが当たって、寝返りを打って空を見上げると、糸のような水滴が舞い落ちてくるのが見える。それが雨だと気づくのに、結構な時間が必要になった。
 私もいい加減間抜けに育ったもんだ。雲が重いのに傘を忘れてた。
 車がまともに擦れ違えないような、県道とは名ばかりの古い道路を歩いて帰る。服も髪も濡れて肌に張り付いて、太腿のあたりが特に気分が悪い。目の上に張り付いてくる前髪よりもうざったい。段々帰るのが億劫になってくる。もう少しばかり現実逃避していたいと思う。
 ちょっと寄り道して、人気のない観光地、小さな湿地帯を通っていく。県立公園だけども遊ぶ場所なんかなくて、木道がたくさんの沼地を横切ってるだけの、つまらないところだ。ウシガエルがすごくうるさい。次第に靴が重くなり始めて、靴下が濡れ濡れになって、足がふやけそうだ。
 海と違って、湿地帯は、全然爽やかな気分になんかさせてくれない。でも不思議と優しい気分というか、なんでも許せるような――ああ違う、すごく投げやりな気分、だ。それにさせてくれる。
 環境でころころ気分が変わるとか、私はカメレオンか。周りから浮きまくってる不良品の保護色だけども。
 何気なくついた溜息が自分でも驚くほど深刻な風だったので、もう一回溜息をついた。今度はやたらと湿っぽい代物になった。
 ……誰かに隣に居てほしいと思う、けどまともなやりとりなんかしたくなくて、そこに居るのが空気のように自然で自由で、かつ大勢といるときみたいに楽しいような、そんな誰か――
 「風子……」
 ……ではない。彼女と居るのはどこまでも辛くて苦しくて、でも自分ではそんなふうになりたくはなくて、本当はかつてのように自然で気の置けない会話をぽんぽん交わすような、そんな関係でありたかった、はずなのだ。
 居てほしい相手が現実のものでない。それが悔しくて、自分で自分を抱くようにして、木道の上でしゃがみこんでしまった。
 気持ち悪い。気分だけじゃなくて、私を客観的に見ると、そうなるだろうな、という自覚。きもいとかじゃなく気持ち悪い。
 折角海を見てきたというのに、またいつの間にか最悪な気分になっている。湿地になんか寄るんじゃなかった。
 そういう状態のまま帰ってきた。玄関でバスタオルで体を拭いて、風呂に直行して、脱衣所で服を替えて、もともと母のものだった私にあてがわれた部屋に寝転んだ。
 寂しさだけが真実味を持って周りをふらふらしてる。
 ここに誰かがいてくれたら、と思う、自然に思い浮かんできたのは風子の顔で、抱きついてくる体温だった。体温なんて曖昧なもので、実際体が覚えているのは鈍い温もりでしかなかったけど、指先だけはやたらと明確に覚えていた。体の中で一番鋭敏な部位だからかもしれない。彼女の髪を鷲掴みにしたのはいつごろだっただろうか。ついこの間だった気もするし、大学に上がる前、もしかしたら中学生の頃だったかもしれない。なんでそうしたのかしばらく思い出せなかったけど、すぐに肩に噛み付かれたことを思い出して、目の前でこくんと動いた喉を思い出して、鎖骨の上辺りに残されたキスマーク紛いのものを思い出して、その辺りをそっとなぞるとお腹がぞわっときた。指先だけで覚えていた彼女の体温が皮膚に伝わって蘇ったような感触だった。手と体がまるで別の器官に思えるのが不思議だった。あのときと同じように眼を瞑ると感覚はますます鋭くなっていく。順繰りに思い返そうとするんだけれども記憶はどこまでも不確かで、抱きつかれて密着して彼女の口は私の肩に埋められてるはずなのに、どこか遠いところからは声が聴こえる、引き千切られそうな声で私を呼ぶ、二度、三度、夕焼けを背負った真っ黒な影、指を深く交差させて繋いだ手、それらがいっぺんに押し寄せて時間も空間もめちゃくちゃに
 「うわぁ!」
 咄嗟に出した声で我に返る。今なにしようとしてた、私! なに考えてんだこのばか!
 自分の息がやたらと荒い、うるさい。両手で頬をはたいて深呼吸。喉がもうからからだ、変なところに集中して他の体が自分の役割を忘れたみたいだ。
 慌てついでに思い出した。着替える前の濡れたズボンのポケットに携帯を入れっ放しで、そのまま洗濯かごの中に放り込んでいた。
 紙一重の差で洗濯しようとしていた祖母を止めて、携帯を救出した。だいぶ濡れてしまっていて、ちゃんと動くのか心配になった。
 何気なく電話をかけてみようとして、何気なく指を動かして耳に当てた瞬間、それが風子の番号であることに気づいて死にたくなった。無意識まで支配されてるようなどうしようもない惨めさ。もういっそ本当誰か私を殺してくれ。
 コール音はちゃんと聴こえてきたのでもういいだろと思う。彼女はきっと今出られない状態に違いない、よし今すぐ切ってしまえ、と二つ目の音で思う。耳から携帯を話して、ボタンに指を触れた瞬間、くぐもった声の「はい」、脊髄反射的な素早さで手を戻した。
 『相原さん?』
 「え、ああ、うん、ごめんね用はないのちょっと退屈すぎてね、ほら前話したでしょ、私今親の実家にいるんだけどこの辺りなんもなくてねえ、雨も降ってきちゃったしテレビもつまんなくてさ」
 彼女の声が耳から入って胃の下まで直行直下、全身の熱さが蘇ってきたようになって、無様なくらい慌てて私は早口で言った。
 『うん――』
 頷いた後の彼女の声が聴こえなくなった。いきなり耳元にフィルターを張られたみたいだった。頭が声の意味を認識しない、ただ震える空気の波がぞわぞわ揺れて、侵食されて、
 ああ久し振りだ風子の声――
 思った瞬間夢の終わりみたいに全身がすとんと落ちた。
 「ぅあ……っ」
 私の呻き声はほとんど喘ぎ声だった。
 どれだけ溜め込んでいたんだろう。それが泥みたいな水に塗れた欲求だと認めたくなかったから、私は、自分がこんなになるまで気づいていなかったのだ。気づこうとしていなかったのだ。知っていたのにそれに名前をつけることをずっと拒んでいたんだ。
 どうにかこうにか会話を終えた。内容なんて覚えていない。自分の受け答えも、彼女の声がどういう調子だったのかもわからない。携帯の電源ごと切った瞬間、水の中に無理矢理押し込められていたようだった肺が爆発して、喉が膨れて、心臓が狂った。
 それはもう紛れもなく性的衝動だった。自分が自分の思い通りにならないのが悔しくて悔しくて悔しくて破裂しそうだった。
その晩、私は初めて彼女を思い浮かべて自慰をした。腰の下に敷いたタオルをビニール袋に包んで捨ててから、ひざまずいて、何度もごめんなさいと謝った。
 少し発散できて、少し落ち着いた。
 その翌朝も、海に臨む崖先の広場に行った。天気はもうすっかり良くなっていて、ほんのちょっとばかり黒っぽい雲の破片が、ずるずると其処此処に引き摺られてるだけで、あとはもう水色に近い薄い青空だった。波はどこまでも穏やかで、朝凪の緩い空気が感じられるようだった。
 それまでに比べて多少は冷静になれた私は、地べたに腰を下ろして膝を抱いて、眼を瞑って耳を澄ましていた。風の音と波の音が、互いに礼儀正しくかしこまって、控え目に混ざり合って届いてくる。風がどうぞと譲れば波が応え、波が身を引けば風が前に出る。
 あれだけ滾っていた淫熱も今では暗中の燐火のようで、火照りはもちろんあるけれどそれはもう、私をどうこうするほどの力もないようだった。
 ただ、わけのわからない熱が去っていった代わりに、心の底に根付いたひとつの想いは、既知の言葉を与えることができるほどしっかりと形作られてしまって、一切の否定を拒絶するしっかりしたものになってしまった。
 それは、良いか悪いかで言えば、たぶん間違いなく悪いものだと思う。独り善がりで浅ましい、なにより私自身が必死で否定しているのに、私自身が必死で認めたがってる、そんな矛盾だった。
 湿地帯を通らずに帰る。
 縁側に回ると、なぜか風子が座っていた。
 「うっ」あまりに唐突なので私もとうとうおかしくなったかと思った。幻だと思おうとしてほとんど無意識に彼女の頬に触れた。指先が覚えている温度よりぬくくて、少し汗が浮いていた。「……そお……」
 嘘、という単語が完全に泣き別れになって、それが伝わったのかどうかは知らないけど、彼女はおかしくてたまらないといったふうに笑った。
 「ひとりでね、旅行するのが楽しくなって、最近。青春十八切符買って」ちょこっと寄ってみたの、と風子は言った。もっと北の方に行く気らしい。
 「よくわかったね。うち」
 「あんまり期待してなかったけど、表札見たら苗字が同じだったから。思い切って訊いてみたの」
 「あぁ、随分と大胆になったねえ、あんたも……」
 呆れ半分驚き半分で言うと、この子はますます笑みを深くする。
 「ここの駅の周り、なんにもなかったけど、どこか旅館みたいなとこないかな」
 「そういうのはこっから六駅先の街まで行かなきゃならないけど」私は少し考える振りをして、ものすごく迷いながら続ける。「うち、泊まっていったら? もう結構いい時間だし、今」
 「それは悪いと……」
 「本当は期待してたくせに。空き部屋だけはたくさんあるから大丈夫だよ。街まで行っちゃうと見るべきところなんて何もないけど、ここからだと海がすごく近いし、本になんて載ってない穴場だってあるし」
 自分でなんかおかしなこと言ってるな、と思ったけど、とりあえず勢いで押すことにした。
 「……うん、家のひとが良いっていうんなら、だけど、泊まらせてほしいな」風子はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をしてから、またころっと表情を変えて、「相原さん、ちょっと元気になった? 大学にいたときと比べて……」
 「うん、田舎だからね、落ち着いたよ。ちょっとは」
 気まずさが顔に出ないように、と願った。
 祖父も祖母も叔父も叔母も従兄弟たちも、彼女が泊まることに反対なんてするはずなかった。晩御飯の席では彼女は質問攻めに会い、まともに箸を動かす暇もなかったほどだ。彼女は質問のひとつひとつに丁寧に答え、ずっとにこにこと上機嫌な微笑を浮かべていた。
 まん丸の月がやたらと明るくて、足元の薄闇にはっきりと影が落ちる、そんな夜だった。私はところどころに窪みのある軽トラを借りて、海を見に行こうと風子を誘った。
 風子は珍しがって荷台に乗った。農道を走ると車体はがたがた揺れて、私は彼女が落ちないかどうか、サイドミラーをちらちら見ながら、ゆっくり進んでいった。体を支える手だけがぼんやりと見えた。肌色というより白に近い。鏡越しの色合いは、いまにも夜の中に溶けていきそうだった。
 路肩に軽トラを置いて、浜辺に下りた。すごく静かだ。波の音の、どこまでも控え目な揺さぶりがある分、無風が余計に際立っているようだった。月明かりが水面に階段を落としている。水平線の藍色を見ながら、私は軽い足取りで波打ち際を歩く風子を追った。
 彼女の後姿の、細い首筋の線が曖昧にぼやけて、かすかに濡れたようになっている。そういうのを見るたび、以前の私はひどく不安定になっていたけど、今はもうそんな感じはなくなっていた。指先が思い出す彼女の温度も、お腹や背中を痺れさせるには弱々しい実感しかなく、潮くさい風が全てを取っ払ってしまった。
 一抹の寂しさと、あれは結局幻だったんじゃないかという願望と、ちょっとした罪悪感、それに変てこな幸福感が入り混じってる。
 一歩、足を踏み出すたびに沈み込む濡れた砂、そのふわふわした感触が心地いい。
 「ふたりでこういうとこ来るのって初めてだねえ」
 風子がそんなことを言うので、私はちょっと意外に思った。
 「そうだっけ」
 「うん、一緒にどこかに出かけるってことがあんまりなかったから」
 思い返してみると、確かに、ふたりで会うときは私か彼女の部屋がほとんどだった気はする。学校で会ったりはもちろんしたけど、帰りがけにどこかに寄ったり、買い物に出たりって記憶はほとんどない。
 外に出るとああいうスキンシップが途端に恥ずかしくなってしまうからなんじゃないか、と思考が至ったところで、なんとなく暗黙の了解みたいなものになっていたことに気がつく。
他愛のない会話を続けながら、私は、今ここでこの子と手を繋いだらどうなるだろう、と思った。他にひとはいなけれど、いろいろとかなり辛いものがある。彼女もそう感じているのか、一定の距離を保ったまま私に背を向け続けている。
 おかしくなっていた気はするけど、割とまともだったのかもしれない、と思う。私の部屋にいるとき以外は。
 ふと、この子があのスキンシップを実際どう思ってるのか、気になった。
 だけど訊いたらその瞬間に色んなものが崩れ落ちそうな予感もあって、訊かなかった。
 「ん……」
 会話が不意に止まる。返事をしなかったのは私のほうだ。
 どうしたの? と風子が振り返って私を見る。なんとなく、表情が虚ろになっているような気がした。あるいはそれは、月明かりの見せた幻だったのかもしれない。
 私は考える。あの薄暗い部屋で、私はいろんなものを曖昧にして、ぼやけた境界線を引き摺りながら歩いていた。少しずつ少しずつ削げ落ちることを赦していって、気づいたときには、頭の熱がぐるぐるバターみたくなっていた。きっかけはこの子から与えられたものだけど、過程は私が望んだもので、それはつまるところ――なんの身も蓋もない言い方をすれば――肉欲のせいで、それ以外のなんでもなかった。
 体の欲求は生理的なもので、私そのものとは、なんの関係もないのだ――
 ああでもやっぱり私この子好きだなあ、と考えたもの全部乱暴に投げ捨てて、風子の肩に手を回して引き寄せた。
 「あ」
 「よ、と」
 「え、相原さん?」
 「ん、もうちょいこのまま」
 選択肢を与えるのは卑怯な気がしたので、私は自分のしたいことだけを伝える。どこか切羽詰った口調になって、自分でも少し驚いた。
 腕のなかでこの子は少し身じろぎしたようだったけど、力を篭めたら諦めたのか、すぐに動かなくなった。
 全部曖昧にしてしまえばいい。私のときのように。許す許さないの境界線ごと抱き締めて、少しずつ押し広げて、なにもかもどうでもよくなるまで引っ掻き回し続ける。思考なんて所詮は言葉のぐだぐだだ。体の熱だけが本物で、それは頭をばかにする。知るか。ここには私と風子しかいないし、眼を瞑ってしまえば何も見えないのだ。
 闇だけが私たちを強く抱いている。
 密着してると彼女の考えていることが容易にわかる。困惑して、うろたえてる。でも剥き出しの首は次第に赤くなってきて、私は首をもたげて鼻先を肩口に埋めるようにする。
 ああ、自分からやったことはなかったけどこういう姿勢なら熱を啜ることだってできそうだ。
 私はこの子の服を噛み千切ってもよかったけど、それだときっと困るだろうと思ったので、そのまま身じろぎひとつしないで波の音を聴いていた。だんだん体が熱くなってきた。ちょっと目を開いてずらすと彼女の唇が見えた。

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2010/12/02 15:55 | Comments(2) | TrackBack() | SS

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コメント

これが黒歴史だというのなら、俺の今までの黒歴史はどこまで卑下すればいいのだろうか
posted by NONAME at 2010/12/06 11:31 [ コメントを修正する ]
>>NONAME様
もっとどす黒い黒歴史もありますがさすがに俺もそこまで曝せなくて(ry
posted by 夜麻産 at 2010/12/07 19:44 [ コメントを修正する ]

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